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星宇と由紀
僕は男だけど男が好きだ。
それの何が悪いんだよ、などと開き直るつもりはない。
誰を好きになろうと個人の自由意志なので、わざわざ公表しなくてもと思うのだが不都合な人たちもいるようだ。
特に両親や兄弟は興味本位の詮索に出くわすと返答に窮することになる。でもカミングアウトしていれば答えは明瞭明白だ。
「うちの息子はゲイなので」とか「兄ちゃんには男の恋人がいます」とか。
その一撃で大抵の人を黙らせることが出来るらしい。
知人は忌憚なく「今度の彼氏はどんな人?」とか聞いてくる。
惚れやすく冷めやすい性質なので、隣りに並ぶ彼氏がコロコロと変わる。長くて10ヵ月、短くて2時間という最短記録も更新した。告白されて、交際をスタートして2時間後に喧嘩別れした。それを交際というには些か語弊があるが、たったの2時間でも彼を愛していたのは間違いない。
もう35になったので、友達と言える人たちは父親になったり、会社ではある程度の地位についたりして落ち着いている。
飲みに誘ったりも遠慮が先に立ち、一人飲みが増えて寂しい限りだ。
職業は陶芸家だが、それは尋ねられた時のために用意した口上みたいなもので、実のところ陶芸家を名乗るほどの作品を残してはいない。
13年ほど前に付き合っていた星宇<中国名>は親から相続した使い切れないほどの資産を、彼が見出した僕の価値に投資した。
仕事もしないのに豪奢なアトリエを用意して、僕らはそこで逢瀬を重ねた。
東京から通うのに便利で、海が近いという条件に合った千葉の物件は鬱蒼とした森の奥にあった。日中でも一人だと畏怖を感じるほどの静寂に包まれている。
大きな三角屋根が特徴的で、玄関から大屋根までの吹き抜けは開放感があってアトリエという佇まいに相応しい面構えをしている。
別荘として建てられたので、避暑として夏季だけの想定なのか、冬は暖房が利かなくて寒い。もちろん、この広さではエアコンはほとんど役に立たない。購入の際、不動産屋に一日中暖炉に薪をくべてないと凍死すると笑いながら脅かされた。
このアトリエを殊のほか気に入ったのが星宇だった。すごく落ち着くと言って、僕よりも滞在している時間が長いくらいだった。
特に2階の屋根裏部屋みたいな寝室が気に入っていて、仕事だと称して窓の下に机と椅子を置き、そこからの景色を一日中眺めていたりする。
西側に面する窓からは高い木々を掻いくぐって、連峰が四季折々に姿を変えるのを見ることが出来る。連なる山々を見ているだけで、気持ちが浄化されると言っていた。
朝昼晩と絵葉書のような景色に見入っていると、刻々と変わる空の色に心を奪われる。特に日の出前と日の入りに空が碧く染まる、マジックアワーは神秘的だ。
朝焼けや夕焼けの朱色と二層になって見事なコントラストを描いている。
夕刻の雲がかかる山頂のメタリックで無機質な感じも好きだけど、今にも消えてしまいそうな危うく深い碧が好きだと言った。朝が苦手なはずの星宇が、それを見たさに早起きしているのが不思議だった。
ブランケットが引っ張られる感覚で目を覚ますと、隣りで寝ていた星宇が身体を起こしてベットから床に足を下ろすところだった。
時計を見ると5時13分を指している。
「早起きだね」
「ごめん、起こしちゃったね。君はもう少し寝てるといいよ」
「また、山を見るの、よく飽きないね」
折角だから僕も起き出して、並んで窓の外を見る。
「ほら右の山、あの山を見ててごらん。綺麗でしょ、あそこだけ全体が碧に輝くの。きっとあの山には何かが宿ってるんだよ。僕が死んだら、あそこに埋めてね。墓なんて要らないから」
「知らない人の土地に骨なんか埋められない、捕まるよ」
「そうか、そうだね、それは残念……」
かなりガッカリした様子だったので代案を言ってみた。
「でもさ、髪の毛なら大丈夫。今度、星宇が髪を切ったら取っておいてね。それを埋めてあげる」
それを聞くや否や星宇は机の引き出しを開けてハサミを取り出した。漆黒の髪を無造作に掴むと、いきなり束にして切ってしまった。誰にでも褒められる自慢の黒髪だ。僕と出逢ってから一度も切ったことがないので、肩まで伸びて今では後ろでひとつに束ねている。
乱暴に切ったので、はらりと落ちて裸の胸に張りついた数本が、鋭利な刃物で切り裂いた傷口のように見えた。
「約束だよ、この髪をあの山に埋めてくれ。碧に染まって眠りたいんだ」
僕は返事の代わりにゴクンと唾を呑み込み、髪の束を受け取った。
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