不器用な想い

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 今回は映画の情報を洸也が前もって調べてくれた。前回と同じように、やはり評価が高いドキュメンタリー風という映画を観ることにした。「風」がわからなかったが、映画がはじまって少ししたところで「なるほど」となった。ドキュメンタリーのように進むのに、ところどころに架空の世界が入り込む、不思議な映画だ。 「どうだった?」  映画が終わり、エンドロールが流れたあとに洸也が難しい顔をして聞いてくる。 「俺にはよさがわからなかった。世間の感覚とずれているんだろうか」  難しい表情の理由がわかり、丹はつい笑ってしまった。睨まれたけれどそれさえおかしい。 「俺にもわかりませんでした。ふたりともずれてるんですね」 「そうか」  ほっとしたような洸也にまた笑うと、さすがに気分を害したのか、頭を軽く小突かれた。 「どこかいきたいところはあるか?」  食事をしながら、このあとどうするかの相談をする。今日も前回と同じ和食屋に入った。 「やっぱり丹の作った弁当のほうがおいしいな」  小さい呟きを、丹は聞き逃さなかった。嬉しくて、心にぽっと光が灯るような感覚があった。 「俺、パスケースを見たいです。今のが古くなってきたので」 「わかった。じゃあ見にいこう」  駅ビル内のメンズ小物のお店に入る。見た目も重要だが、機能性も重視したい。あれこれ悩んでいると、隣で洸也が使う本人以上に真剣に悩んでくれる。 「こっちの色は丹のイメージじゃないな」 「えっと」 「丹は柔らかい色が似合う」  そこまで真剣に考えなくても、と思うのに「違う店も見よう」と洸也は張り切っている。丹自身いいと思うものがなかったけれど、妥協してもいいかなと考えていた。だが洸也は妥協など許さないといった様子でひとつひとつ吟味する。 「これは丹が持っていて違和感がない」 「綺麗な色ですね」  最終的に彼が選んだのは、レンガ色の本革のパスケースだった。値段もそこそこで、しっかりしていて長持ちしそうだ。 「これにします」  洸也がこんなにも真剣に選んでくれたのだから、これにしない理由がない。 「わかった」 「え……」  なぜか洸也がレジにパスケースを持っていく。ラッピングまで頼んで、どういうことかと財布を持ったまま固まっていると、会計を終えた洸也が紙袋を丹に差し出した。 「使ってくれ」 「えっと……?」 「プレゼントだ」 「あ……、え?」  一瞬「プレゼント」の意味がわからなかったが、ようやく脳が理解した。熱くなる頬を感じながら紙袋を受け取る。 「ありがとうございます。大事にします」  パスケースを選び終えたとき以上の満足そうな笑みを浮かべた洸也に、胸が甘く鳴る。そっと胸もとに手を当てて、弾む心を落ちつけようとするがうまくいかない。  洸也といると楽しい。もっとふたりでいたいと思ってしまう。  お弁当の交換をしたり、休日にはデートをしたりと楽しい日々が続く。このまま洸也とつき合うのもいいかも、と思った。彼は不器用ながらも優しくて、一緒にいると心が温かくなる。 「ほら、企画部の」 「初己さんと洸也さんだ……。恰好いい」  廊下で洸也と初己が話している姿を、女性社員たちが熱い視線で見ている。企画部のふたりはとても目立って、視線をふたり占めしている。中にはほんのりと頬を赤くしながら見つめる人もいる。  丹もつい一緒になって洸也を見る。初己といるといつも不機嫌そうなのだが、今日も変わらずだ。洸也がなにか話しかけて、初己が答える。初己の言葉に洸也が頷く。仕事の話をしているようで、ふたりとも真剣だ。洸也の表情のひとつひとつに目が吸い寄せられる。 「……?」  自分を不思議に思った。どうして初己ではなく洸也なのか。こういうときに丹が目で追っていたのは初己のはずなのに、今は洸也しか見えない。  無事就業時間が終わり、帰ろうと私物を通勤バッグに入れているとスマートフォンが短く震えた。確認すると洸也からのメッセージだった。 『食事にいかないか?』  嬉しくて、すぐにオーケーの返信をする。『ビル前で待っている』とさらにメッセージが届き、急いで部署をあとにした。 「お疲れ」 「お疲れさまです」  ビルの前にいた洸也が丹を見つけて表情を緩める。丹も自然と口もとが綻んだ。 「いこう」 「はい」  会社から歩いて三分ほどのところにある居酒屋に入った。チェーンの居酒屋で、週半ばという中途半端な曜日でも客で賑わっている。四人がけのテーブル席に通され、向かい合って座った。洸也はビール、丹はレモンサワーを頼み、つまみをいくつか頼んだ。  お疲れ、とジョッキを軽くぶつけられて、なんだかくすぐったい。こんなふうに仕事のあとに誰かと飲みにいくなんてまったくなかったから、少し憧れていた。  レモンサワーの酸味と炭酸が疲れた身体に心地よい。 「昼間、見ていただろう」 「え……? ……あ」  洸也が初己といたときのことだとわかり、恥ずかしくて頬が熱くなる。珍しいわけでもないのにじっと見ていたことがばれた。 「……はい」  あのとき自分は初己ではなく洸也を見ていた。そのことに気がつかれたいけれど、気がつかれたくない。複雑な感情が胸に渦巻く。  なんとなく落ちつかなくてジョッキの持ち手に触れては手を離すのを繰り返していると、洸也が低い声で丹を呼んだ。 「俺と初己、どっちを見てた?」 「え?」 「――いや。なんでもない」  小さく頭を振った洸也がビールを呷る。  本当になんでもないのだろうか。真剣な表情で洸也が口にした問いかけが頭の中にまわる。  丹はなんと答えたかったのか考える。洸也を見ていたと正直に返したら、彼はどんな顔をしただろう。  なぜ初己を見ていたと言えなかったのか。自分は初己が好きだったはず――本当に初己が好き?  お酒がおいしくて、ついたくさん飲んでしまった。 「しっかり歩け」 「はい……すみません」 「弱いならあんなに飲むな」  洸也なのか初己なのか、考えていたらもやもやして、それを追い払うように飲んでいた。 「ほら。先にのれ」 「はい」  タクシーにのって、丹の隣に洸也が滑り込む。そんなに酔っているつもりはないのだけれど、心配だからと自宅まで送ってくれると言う。 「そんなに酔ってないです」 「酔っ払いほどそう言う」 「……」  たしかにそうかもしれない。  不意に肩を抱き寄せられ、どくんと心臓が激しく脈打った。 「寄りかかってろ」 「あ、あの」 「気持ち悪くないか?」 「……大丈夫です」  酔いが吹き飛んでしまうような心音が刻まれ、顔だけではなく耳まで熱い。ふらつく丹を支えるためにこうしてくれているのだとわかっている。わかっているから、と自分に言いわけをして、しっかりした肩に頭をのせた。柔軟剤か香水か、かすかにムスクのにおいがする。 「ここです」  部屋について、ドアの前で別れるのかと思ったら、洸也は寝室まで連れていってくれた。 「つらくないか?」 「大丈夫です」  ベッドに寝かせてくれて、慣れたスプリングの感覚に安堵した。知らずに緊張していたのかもしれない。  きし、とスプリングが軋む音がする。洸也が丹の顔の横に手をついたからだ。覆いかぶさる体勢になった彼は、暗がりの中で熱い瞳をしている。 「洸也さん……?」  視界の中の洸也がゆっくりと近づいてくる。唇が重なり、押し当てるようなキスに心臓が大きく跳ねて鼓動が激しくなった。  唇が離れ、しばし見つめ合う。時間が止まったような感覚に、酔いも醒めた。ただじっと見つめ合い、はっとしたように洸也が身体を起こして金縛りはとけた。 「悪い。……俺も飲みすぎた。帰るから、ちゃんと鍵をかけてから寝ろ」  慌てた様子で寝室から出ていく背中を茫然と見送る。嫌ではなかった自分に驚いた。  昨夜のあれはキスだ。なぜ、と何度考えてもわからない。あのときの熱のこもった瞳を思い出すだけで肌が甘く騒ぐ。ぼうっとしながら朝食を食べ、出勤した。なにをしていてもすぐに頭の中に至近距離で見た洸也が蘇り、頬が熱くなる。どんな顔をして洸也に会えばいいのかわからない。 「おはよう」 「お、おはようございます」  どんな顔をして――なんて思っていたら会社のビルの前で洸也と鉢合わせた。気まずくて、丹はなんとなく視線を逸らす。洸也の様子をちらりと窺うと、彼もどこか居心地が悪そうにしている。  エレベーターにのり、隣を盗み見る。薄い唇につい目がいってしまい、慌てて目を逸らした。  あれはなんだったのだろう。隣にいるのに聞けない。聞いていいのかわからない。  エレベーターが事務部のある三階につき、丹がおりようとするとなぜか洸也も一緒におりた。 「洸也さん……?」  どきどきと脈が速い。エレベーター脇に手招きされ、高鳴る心臓にくらりとしながら近寄る。 「忘れてくれ」  甘く騒いでいた心臓が凍りつく。彼の顔を見あげるが、視線を逸らされた。 「あれは酔った勢いの事故だ」 「事故……」 「キスなんて、はじめてじゃないだろ」  次にきたエレベーターにのってしまう洸也の姿を追うようにエレベーターの扉を見つめる。指が自然に自分の唇に触れた。たしかに覚えている温もりが冷えていく。  丹ははじめてのキスだった。
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