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「渡島迷い人食堂……」
木造建ての古びた山小屋。
木でできた小さな一軒家の外壁には、ツタがびっしりと絡みついていた。
気味悪く思えたけど、その山小屋は俺を呼んでいるような気がする。
入口に取りつけている暖簾には、『渡島迷い人食堂』と書かれていた。
「こんなところに食堂なんて……俺は夢の中にでもいるのだろうか」
鼻で笑いながら、独り言ちた。
多少の恐怖を振り払うように、無理に笑っている。
扉はすりガラスになっていて、はっきりと建物の中がどうなっているかはわからない。
それ以外の窓は……あることはあるけど、そこから中を覗こうにも曇っていて中身までは見えなかった。
煙突から煙が出ている。
煙が空に上がっていくのを見ていたら、どこか懐かしさを感じる出汁のニオイが俺の鼻腔を擽ってきた。
この作り物のような食堂に、俺は導かれたというのか。
「とにかく行ってみるか。お腹も空いたし」
おそるおそる、山小屋の扉を開けた。
ギィーッという建付けの悪い扉の音が響く。気にせず店内に入ってみた。
すると中は縦長のカウンターが続いていて、キッチンの中には無精髭が似合う、黒髪長髪の男が眠たそうな目でこっちを見ていた。
男は背が高く、長い髪は後ろで一本にまとめられている。
年齢は……見た目的には三十歳くらいだけど……。
「いらっしゃい」
細長いカウンターの、真ん中の席に通される。
この山小屋、暗くて外観だけではわからなかったけど、どうやら細長い造りをしているらしい。
年季の入った木のイスに座って、店内を見渡してみる。
渋さと華やかさを兼ね備えている店主が、おしぼりを渡しながら小さい声で話しかけてきた。
「よく来たな。こわかったべ?」
こわかった……あぁ、疲れたかい? ってことか。
この訛り、懐かしい。まだ若い店主なのに、訛り方はおばあみたいだ。言葉の使い方が俺のおばあとそっくり。
俺は「ま、まあ」と答えた。
「腹減ってるっしょ? 今用意してるから、待ってろ」
出汁の良い香りのせいで、俺の空腹状態が加速していく。
キッチンの中では、鍋の中の出汁が沸騰する音や、何らかの野菜を切る音が気持ちよく奏でられていた。
黒い衿付きのコックコート姿の店主は手を動かしながら、「ゆるぐねぇよな、人生って」と口にした。
ゆるぐねぇ……大変だよなってか……。
俺は反射的に、強く頷いた。
俺の反応を見て、店主はクールな表情のまま口元を綻ばせた。
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