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9 思い出
「凛音、なにか、オレたちだけしか知らない昔のことを話せるか?」
コンビニの向かい側にあるスーパーの休憩スペースで四人は思い思いに座りながら、水のカップを持っていた。
「えっと……」
凛音は類にチラリと視線をやる。
ほぼ部外者であるというのに、話の流れでついてきた類はとてもいいやつだが、これから先の話を聞かせてもいいものか、凛音はためらった。
「あっ、オレのことは気にせずどうぞどうぞ!」
すると、類が気を遣って先に言い出した。
「じゃあ、あの、今から話すこと、あとで全部忘れてくれる?」
「いや、それは無理かもだけど、秘密にしててほしいっていうなら秘密にしてるよ。安心しろ、口は固い方だ」
かっこつけた口調で、ガッツポーズまでされる。
ここまで言われたら、今さら『帰ってくれないかな』とも言えなくなる。
「僕たちだけしか知らないこと……」
たぶん、たくさんある。
リンネとして生きた十年分の記憶がすべて一気に戻ってきたわけではなく、徐々に戻ってきている感じなので、まだ思い出せないことはあるけど、話せそうなことならいくつか思い浮かんだ。
「……夏祭り」
ぽつりと呟いてから話し始めたリンネの言葉を、他の三人は、黙って聞いている。
「何年生の時だったかな……? 忘れちゃったけど、レイチェルは朝顔の柄の浴衣を着てたね。水色の生地にピンクと白の花が咲いてて……とっても綺麗だった。下駄も、赤い花柄の鼻緒が可愛くて……私はずっと『いいなぁ』って羨ましく思ってた。……浴衣、一度着てみたかったんだけど、うちのママは着付けができないから買ってくれなくて……私はちょっとだけおしゃれな白いワンピースを着てお祭りに行った。……歩いてるうちに足が痛くなっちゃったってレイチェルが言い出して、『そんなもん履いてくるからだよ』ってジンパチは笑ってたけど、タカキは黙って絆創膏を差し出してた」
いまここにはいない他の三人の仲間たちの顔が次々と浮かんでくる。
「シュウちゃんはくじ引きで犬の風船を当てて、それを引っ張って歩いてたら、『小さい子じゃないんだからやめなよ』ってアヤに笑われてた」
他愛のない思い出。
それでも、今となってはかけがえのない思い出。
もう決して戻ることのできない、ひとときの時間。
礼香は、綺麗にマスカラの塗られた睫毛に縁取られた目を大きく見開いて、その顔に驚愕を貼りつかせていた。
「……やめてよ」
絞り出すように紡がれた声は震えていた。
「やめてよ! リンネはもう死んだのよ! どこにもいないの! なんであんたが……あんたみたいなのが……!」
おもむろに肩を掴まれる。
細腕とは思えないほど力は強く、本能的な恐怖で凛音の身がすくんだ。
「おい、落ち着け、レイチェル!」
凛音から礼香を引き剥がそうとした愁の頬を、礼香は思いきり平手打ちした。
「うるさい! 今さらその名前で呼ぶな!」
泣きそうな声で叫んで、礼香は店から走り去っていってしまった。
「怪我はないか? 凛音」
礼香の後ろ姿には目もくれず、愁は凛音の前に跪いて、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫、だよ……」
シュウちゃんがレイチェルよりも僕のことを気にかけてくれて嬉しい、なんて自己中心的な感情が浮かんでしまった。
そんな自分が嫌になる。
「あのお姉さんは追いかけなくていいの?」
凛音が言いづらかったことを、類がさらっと言い出してくれて助かった。
「あいつとはどうせこのあと部活で会うからな。その時に声かけとくよ」
「部活?」
「同じ大学に通ってるんだ。水泳部で、あいつはマネージャーやってる」
「へー……もしかして、付き合ってたりとかするんスか?」
「る、類……!」
ニヤリと笑って言い出した類に、凛音は慌てる。
「いや……今は、そういうんじゃない」
凛音の顔を見て、愁は気まずそうに答える。
「今は?」
「とにかく、オレはいま誰とも付き合っていない。信じてくれ、凛音」
まっすぐに目を見つめられて宣言されたのは嬉しかった。
でも、どうして?
という感情も浮かんでくる。
(僕と付き合う気があるってこと!?)
「ねぇねぇ、ところで、生まれ変わりがどうとかってなに?」
類が目をキラキラ輝かせながら聞いてきた。
「…………」
凛音と愁は、ほぼ同じような気まずい表情を浮かべて黙り込んだ。
「もしかして、前世ってやつ? 二人は前世で恋人同士だったとか!?」
「……そ、そんな話、どこから……」
類にしてはずいぶんとロマンチストな発想だ。
「従姉弟のねーちゃんがそんな感じの漫画描いてるのをこっそり見ちゃったことがあるんだ」
「……従姉弟のお姉さん、漫画家さんなの? はじめて聞いた」
「いや、プロとかじゃなくて、趣味で漫画描いてるだけだって。なんか、出てくるの男ばっかりだったけど」
「…………」
それはいわゆるボーイズラブというジャンルでは? と内心思ったが、口に出す勇気はなかった。
確か、リンネだった頃のクラスメイトに、そういうのが好きな女の子がいた気がする。
(は……っ! ていうか、もし僕とシュウちゃんが付き合う付き合わないの話になったら、ボーイズラブ的な話になるんじゃ!?)
しかもかなり年の差があるので、だいぶマニア受けの内容になりそうだ。
今さら気づかされて、凛音は戸惑う。
「ち、違うよ! シュウちゃんはちゃんと女の子が好きで! ロリコンでもショタコンでもなくて! 変態趣味でもないから!」
「……おい、凛音」
愁の名誉のために必死に弁解した凛音だが、庇われた愁は渋い表情を浮かべている。
「シュウちゃん、って、森倉先生のこと? ほんとにそんなに仲がいいんだ?」
類はまだ完全に状況を飲み込めていない様子だが、的確に痛いところを突いてくる。
「それは……」
「凛音、話してもいいんじゃないのか?」
愁がまじめに言い出した。
「え、でも……」
「友達なんだろう? 適当な嘘でごまかすのは、彼にも悪い」
昔から嘘が嫌いな、愁らしい発言だった。
成長してもそのあたり変わらないことに、凛音はほっとする。
「……溺れて死にそうになった時、前世の記憶を取り戻した、って言ったら信じてくれる?」
おそるおそる、凛音は切り出した。
三人のコップの水はまだたっぷりと残っていたが、誰一人として、飲み終わる気配はなかった。
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