邪の若

3/16
前へ
/16ページ
次へ
 駅近くのこじんまりした居酒屋というか、ちょっとした割烹料理屋のようなうまい一品料理を出す店に決めた。 今日のサーバー修理の件を話しながら、3人並んで歩いた。 あの男は俺が話す時は、俺の目をちゃんと見て、うなずいて、笑みを絶やさなかった。 本来は、俺よりも若い後輩職員が正式な担当だった。 ただ後輩が少し抜けている所がある為、何度か俺が上司として対応はしていたが、そんなにあの男とは直接話したこともないはずだ。 なのにやたら親しく感じるのは、彼の視線だろうか。 店に入ると、俺の向かいに2人が並んで座った。 顔馴染みの店員にお勧めをいくつかとビールを頼んだ。 話は結構弾んだ。 その中で俺とあの男、青山さんが同じ年だと知った。 佐藤くんは2つ下で、彼の希望通り、さん付けはこの場でやめた。 青山さんは不快感を感じた印象とはだいぶ違っていた。 仕事の時よりは、話しやすかった。 仕事ではずいぶん気を遣っていたようだ。 「あ、与野さんって今彼女とかいるんですか?」 「佐藤、いきなり不躾だって。」 「あ、だめでしたか?飲みの席なんで、そういうの聞いてもいいのかと思って。」 焦って青山さんと俺を見比べる佐藤くんがかわいかった。 今日、佐藤くんのことをかわいいと思ったのは2回目だ。 あの笑ったり、困ったりした時にさらに下がる八の字眉がかわいくて仕方がない。 「はは、大丈夫ですよ。今は恋人はいません。3年ぐらい独り身ですね。そちらお2人は?」 「青山さんは、この顔ですからね!本当にモテますよ!うちの会社の女子全員から狙われてます!」 佐藤くんはこの話を他のところでもしているのだろう。 青山さんは訂正することなく、聞きながら軽く笑っていた。 「あー、想像できますね、それ。」 「でしょー。本当ですよ。でも、彼女はいませんよね?あ!でも、今朝電車で与野さんと会ったらしいですね!彼女のところからだったんですか?」 勢い込んで聞きだそうとする佐藤くんの肩を青山さんは笑いながら軽く叩くと、 「いや、友達のところに泊まったから電車だっただけ。朝は、失礼しました。」と俺に向かって一礼した。 「朝はこちらも失礼しました。メールの内容も気にしてませんのでお構いなく。」 少しガードを張った物言いになってしまった。 いくらお酒で打ち解けたとはいえ、今朝のメールと彼の視線はなんとなく今だに気になっていた。 「佐藤くんは?彼女はいない?」 「いませんねー。でも、最近ちょっといいなって思う人がいて。」 「そうなんだ。俺聞いてないな。」 びっくりした顔をした青山さんは、やはり俺には気を遣っているのだろう。 佐藤くんと話す時は、お酒も入ってるせいか、だいぶフランクになっていた。 「まだ、誰にも言ってませんから。ちょっと自分でも思ってもみなかった相手で。うまくいったら話しますよ!」 「もったいぶってるな。与野さんは今気になってる人とかいないんですか?」 「俺はいませんね。仕事と家の往復がほとんどなんで。」 「そうですか。じゃあ、今日はまだ相手がいない寂しい3人の飲み会ということで、また乾杯しましょうか?」 何度か似たような乾杯を繰り返しつつ、軽く酔っぱらうまで飲むと、いつの間にかタクシーを青山さんが呼んでくれていたようで、3人で乗り込んだ。 近くに引っ越してきた佐藤くんが先に降りることになる。 青山さんとふたりきりになるのは若干心もとない気がしたが、お酒がその意識を薄れさせていた。 佐藤くんは降り際、メールしますと言うとエントランスに入っていった。 佐藤くんが降りると、2人とも特に話すこともないので窓の外ばかり見ていた。 しばらくそのまま走っていると、窓越しに目が合った。 彼が笑った。 そして、左手で俺の前髪を整えるように撫でると、 「佐藤はあなたのことが気になっているようですよ。あなたもですか?」 と言った。 何を言われているのかわからなかった。 窓の外に自宅近くのコンビニが見えた。 運転手に降りることを伝えると、彼に適当に掴んだお金を渡してタクシーを降りた。 1人になった瞬間、自分の心臓の音がどくどくと頭に響いた。 彼は、俺の髪を、撫でた。 彼は、朝と同じように、微笑んでいた。 そして、彼は、俺に、男から好意を持たれていると、 俺が、その好意を持っている男を同じように思っているかと、 笑顔で、さも男女の話かのように聞いてきた。 酔いはすでに醒めていた。 携帯が鳴った。 新着メールが1件ー 「先程はすみませんでした。あなたがゲイだと言うことは誰にも言いませんから。」 すでに醒めたはずの酔いか、その場に立ち竦んで動けなかった。
/16ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加