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3人で飲んだ次の日が休みでよかった。
あの男、青山さんからきたメールは俺の酔いを引き戻した。
急いで家に帰ると、トイレに直行した。
吐いても、吐いても、気持ちは落ち着かなかった。
いつまでも酔っている感覚だった。
頭がまわっている。
水を一杯飲むと、ベッドの上でうずくまるように横になった。
部屋は暗いままだ。
携帯が鳴ると、びくっと体が跳ねた。
そっと携帯に手を伸ばす。
メールだということは分かっている。
「今日はおいしいお店教えてもらってありがとうございました。
またご一緒したいです。
また連絡します。」
佐藤くんからのメールだった。
彼の笑い顔が浮かんで、肩の力が抜けた。
ほっとすると、眠気が襲ってきて、いつの間にか寝ていた。
自分の恋愛対象が男だと知っているのはこの世の中に1人だけだ。
大学生の頃から5年間付き合った男、ヨハンしか知らないはずなのに。
ヨハンはクウォーターで背の高い綺麗な男だった。
大学に入ってすぐに仲良くなった。
柔らかい物腰で一緒にいると気を遣わず心地良かった。
好意は持っていたが、それを表に出さず友人関係を続けていた。
大学4年生になった頃、彼の家に遊びに行くと、少しだけいつもと違う彼が気になったが、何か相談事があるのかもしれないと思って、話し出すまでは黙っていようと普段の態度を心がけた。
ベッドを背にしてテレビを見ていたヨハンは、ベッドの上にいた俺を仰ぎ見た。
「与野・・・、好きだ。」
たれ目の彼の目が心配そうに細まって、不安げに俺を見ている。
初めてのことなのに、冷静だった俺は、手の甲で彼の頬に触れると、俺も好きだと言って自分から唇を重ねた。
初めてのキスは自分からしたかったし、普段はしっかりしているのに、たまに優しすぎて頼りない時があるヨハンのすがるような目が俺に勇気を与えた。
初めてのキスも、
初めて好きだと言葉にしたことも、
初めて体を繋げたことも、
初めて体が満たされると幸せだと知ったことも、
そして、初めての別れも、
初めての喪失感も、
初めて痛みが癒されると知ったことも、
ヨハンが俺に教えてくれて、俺にはヨハンだけだったからー。
それなのに、あの男はなぜ俺の過去を知っている?
あの男に電話をした。
会う約束を取り付けた。
俺の近所の大きな公園を知っているようで、そこで会うことにした。
あの男は慌てるでもなく、ゆっくりと歩いてきて、俺から少し離れて座った。
「もう秋なのに、暑いですね。」
座ってそう口にした彼は、目の前のランニングコースを見つめている。
その先にある野球場は今日は使われてないのか、やたら静かで、2人でいることが急に息苦しくなった。
「すみません。あんなメール送って。どう弁解すればいいかわからなかったんです。」
「どういうつもりで送ったんですか?」
夕方の空気は少し冷たくて、両手で自分を抱えて俯いた。
「私、あなたを見たことがあるんです。この場所で。」
少しだけびっくりしたが、それを態度には出さなかった、つもりだ。
「すみません。びっくりしたでしょう。仕事で出会っただけの人間なのに。」
彼は前を見たまま話しているのに、俺の驚いた小さな変化にも気付いたようだ。
「ちょっとだけ長くなるんですが、聞いて下さい。」
彼は一瞬こちらに視線を向けて話し出した。
「夜、この公園でランニングするんですよ。公園まではウォーキングで、この公園で走るんです。」
佐藤くんが青山さんが朝歩いて出勤していると話していたのを思い出した。
「もう6年くらい前だったと思います。社会人になってすぐの頃にこの公園で走ってたんです。仕事の時間が不規則で次の日は昼からだったから、その日は夜中12時を越えてたんですが、走ってると遊歩道の方から笑い声がしたので、深夜だということもあったし、ちょっとその場で止まって声のする方を見たんです。」
ふっと彼が笑った。
「そしたら、あなたがいた。横には背の高い人がいて、手を繋ごうとする彼をまわりをきょろきょろ確認しながら、手を繋ぐのを迷うあなたがいました。私は同性愛者を意識して見たことはなかったんですが、あなたたちが恋人同士だということはわかりました。あなたたちがあまりに自然で幸せそうだったので、しばらく見ていました。」
今度は明らかにびっくりして振り向いた俺を、彼はゆっくりあの笑い方で見た。
今度は、優しく、微笑んでいるようにみえた。
「驚きましたよね?」
そう言って、また正面を向いて話し出した。
「私はいいなと思いました。私は恋人と長続きしないので、あなたたちのような雰囲気になったことはないし、最終的に手をつないだあなたの笑った顔が街頭に照らされた時、本当に幸せそうで、正直羨ましかったです。」
あ!私の恋人は女性ですよと弁解する彼が少しおかしかった。
「でも、その後、もう一度あなたをここで見ました。3年前です。」
心当たりがあった。
「その日は夕方走りに来てたんです。その時、このベンチで話すあなたたちを見ました。」
ヨハンとこのベンチに座っていた。
「まだ付き合ってるんだなと思って、私は何だか嬉しくなって、そのまま家に帰りました。」
ヨハンと最後に会った日だ。
「その後、またあなたを見たんです。このベンチで。」
すでに別れることは決まっていて、最後に部屋にあったヨハンの私物を渡すために会っていただけだった。
「夜は送別会があって、酔いをさまそうとこの公園に寄ったんです。そしたら、あなたがまだこのベンチに座っていた。歩いている人も誰もいないこの場所で、あなたが泣いている声だけが聞こえていました。」
俺はその日、動けなかった。
ヨハンを困らせるのが嫌で、本当はすがってしまいそうな自分を抑えるのに必死で、我慢していたものが溢れてきて止まらなかった。
人がいなくなると声を出して泣いたんだった。
「数日後駅前であなたを見ました。公園を走っているときに、その先のコンビニに入るあなたを見かけたこともあります。そして、仕事で一緒になった。本当にびっくりしました。あなたは私を知らないでしょうけど、私はあなたを知っていました。気持ち悪いかもしれませんね。でも、あなたにまた幸せになってもらいたいと思ったんです。」
やたら親密な感じがでていたのはそのせいだったのかと納得した。
「だから、佐藤のことを昨日思わず、話してしまった。あなたは私と話すより、佐藤と話すほうが楽しそうだったし、佐藤があなたのことを意識しているのはなんとなく気付いていたので、後輩の応援もありますが、あなたにも幸せになってほしかった。おせっかいなのはわかっています。」
彼を見ると、まだ正面を向いている。
彼が少し緊張しているのに、今気付いた。
「青山さん」
彼がこちらに体ごと向きなおった。
綺麗な顔で優しく笑っている。
「敬語やめませんか?同じ歳だし。これから、佐藤くんのこと相談すると思うんで。」
そう言って笑った俺に、安心した彼は、「俺、私って言うのが辛くて・・・」と言って息を吐いて笑った。
今までの印象とは違う明るい笑い声だった。
それから、俺はヨハンとの誰にもしたことのない話を彼にした。
彼は黙って聞いていて、話し終わって彼を見ると、なぜか泣いていた。
笑って泣いて、俺たちは友達になった。
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