3.逢魔が時

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 忌一の全身から、ドライアイスの煙のように黒い霧状の瘴気がとめどなく滲み出ていた。ベンチ上の桜爺はそれを左右の足で巧みに避けてはいるが、その下に落ちて行く瘴気はベンチ下の小さな雑草をみるみるうちに枯らしていく。  忌一の身に巣くう異形を封印し続けている龍蜷は、忌一の体から離れられずにその瘴気をもろに喰らって、しなしなと身体を弱らせていった。 「忌一よ、しっかりせい! 意識を保つのじゃ!!」  桜爺の叫びも虚しく、忌一の身体からは紫色の炎がメラメラと燃え盛る。 「女ニ……手ヲ出シタナ……」  忌一の口がそう動き、そこからも黒い瘴気が漏れ出る。 (闇黒童子は、茜殿を襲った鬼がサグメだと見ておるようじゃな。怒りで我を忘れておる……)  凪がもたらした情報は、忌一の中で封印していたはずの異形ーー闇黒童子(あんこくどうじ)を刺激し、怒りで無理矢理表面化したのだと桜爺は分析した。もともとサグメが人間の女の姿で接触してきた時に、忌一ではなく闇黒童子が受け答えするのを間近で見ていたので、二年の時をかけて施した封印はすでに意味を成さないのかもしれないという疑惑はあったのだが。 (忌一のいちばん恐れていた事態が、起こってしまったようじゃのう……)  サグメはまたの名を天深女童子(てんたんじょどうじ)といい、闇黒童子と同じ六鬼童子(ろっきどうじ)の一鬼だ。それだけでも十分縁はあるのだろうが、この二鬼には過去に何か因縁でもあるのか、忌一の中に闇黒童子が封印されていると知ったサグメは、わざわざもう一度忌一の実家まで会いに来ている。  六鬼童子は異形の中でも最も力の強い存在だ。その力は神クラスとも云われている。それもあって忌一は、想い人である従妹の茜を巻き込みたくないと、わざと自分から遠ざけるような行動をとったのだ。  しかしそれが逆に仇となったのか、いつの間にかサグメはターゲットを闇黒童子の宿る忌一にではなく、茜に変えて襲ったらしい。忌一の行動は茜を守るどころか、かえって彼女を危険に晒したと言っても過言ではなかった。 「許サン……絶対ニ許サンゾ」  もはや忌一のものとは思えない鋭い牙の隙間から、こぼれる低い声がそう唸った。全身から立ち昇る紫の炎は、同じ異形や幽霊、そして鬼の眼を持つ人間にしか見えていないはずなのに、生命の危機を何となく感じたのか、先ほどまで無邪気に遊んでいた子ども達はいつの間にか公園から姿を消していた。  夕日はすでに西の山々の稜線を橙色に照らしつつ、迫りくる闇色のグラデーションから逃げるように、更なる山の向こうへと逃げ込もうとしていた。
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