1.捕食者の月と影

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1.捕食者の月と影

 都内ホテルの一室から、大島史佳(おおしまふみか)は関東平野に広がる夜景を一望していた。  最近課長に昇進した彼女は、所属する建設会社『小和(しょうわ)建設』の東京本社にて、全体会議に出席するために会社から指示されたこのホテルに宿泊していた。都内と言っても高層ビル群とは少し離れた山際に立つホテルなので、辺りに同じような高いビルはなく、大都会の夜景がよく見渡せた。  日中は会議といくつかの打ち合わせをこなし、夜は親睦を深めるために本社の社員と飲みに出かけ、つい先ほど自分の泊まるこの部屋に戻って来たばかりである。  軽くシャワーを浴びて、部屋にあったバスローブに着替え、濡れた長い黒髪をタオルで拭きながら、窓の外を眺めていた。普段住んでいる地方では、こんなに高いところから煌びやかな夜景を望めることなど出来ない。  一日中顔に張り付いていた愛想笑いで、深いため息が出そうになったその時、扉からコンコンと控えめなノック音がした。時刻は夜の十一時を回っている。  ドアスコープをそっと覗くと、そこにはよく見知った若い男が、カジュアルなスーツ姿で立っていた。同じ支社に所属する後輩社員だ。史佳はニコリと口角を上げ、彼を素早く部屋へ招き入れた。 「大島課長、来ましたよ。約束通り自腹で」 「まぁ、悪い子ね」  二人は扉前で視線を絡ませると、奥へは進まずにどちらともなくキスを交わした。そのキスは段々と深くなり、二人の呼吸が次第に荒くなって、互いに身に着けているものを取り払いながらベッドへとなだれ込む。  激しく互いを求め合い、室内の温度は急激に増していった。彼らがこのような行為をするのは、一度や二度ではない。しかし、彼らは決して正式に付き合っているわけではなく、社内には二人の関係を知る者は誰一人としていない秘密の関係だ。  ひとしきり史佳の嬌声が室内に響き、二人の荒い呼吸が落ち着きを取り戻し始めた頃、男はポツリと「例のもの、ちゃんと持ってきましたよ」と呟いた。それを聞いた史佳は無言で立ち上がり、床に落ちたバスローブを拾い上げて静かにそれを身に着ける。そして、備え付けの小さな冷蔵庫から、ペットボトルのスポーツ飲料を取り出してぐびりとあおった。  テーブル席へ座り一息つくと、「勇人(はやと)君、見せてちょうだい」と言って史佳は片手を差し出す。  勇人はまだ気だるさの残る身体を無理やり起こして、床に散らばった服の中から、自分が身に着けていたボディバッグを拾い上げた。そして中からクリアファイルに入った書類を取り出し、史佳の目の前のテーブルへ静かに置く。書類には、『松原茜(まつばらあかね)に関する報告書』と書かれていた。
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