一、野良猫

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 逢生はその空気から逃れるように、視線をさっと手元に落とした。そして要望通り、ビニール袋に商品を入れつつ値段を告げる。商品を差し出すのと引き換えに、代金を受け取ってレジから釣り銭を取り出した。それを早々に手渡して、悪い夢でも見ているかのようなよくわからないこの時間を早く終わらせてしまおう、と思った。現状をあまりよく理解はできていないが、他人の空似ということもあるかもしれない。とにもかくにも、考えるのはあとでいい。今はとにかく、少しでも早く、この得体の知れないそれの視線から解放されたかった。  が、それを許さなかったのは他の誰でもない、その男だった。 「あの、」  逢生の差し出す釣り銭を受け取らないまま、それは「にこり」という効果音がつきそうなほどに素晴らしい笑顔で逢生に話しかけてくる。逢生はギクリとしつつも、それへと視線を返さざるを得なくなる。 「もしかしてですけど、兄をご存知ですか」  そしてそんなことを言われて、逢生は呆然としてしまった。 「あ、あに……」  それでもどうにか、けれどほとんど意味は成さないままに、逢生はその言葉を繰り返す。繰り返しながらその言葉の意味を考え、そして改めて、目の前の男の顔をしげしげと見つめ返した。そこにいるのはやっぱり稲越佳唯であり、しかし、稲越佳唯ではない男である。 (兄、か)  そしてようやく、逢生は合点がいく。 「稲越、佳唯」  つまり、目の前の男は佳唯の弟ということか、と。意識せず、逢生はその名前をぼやいていた。と、そんな逢生の呟きをその男の耳はしっかりと拾ったようで、頷いて見せる。 「そうです、佳唯。稲越佳唯は僕の双子の兄です」  そして告げられた逢生の考えを肯定する言葉に、逢生は未だ呆然とはしながらも、「ああ、なるほど」と納得してしまった。  双子、それも一卵性双生児だとすれば、佳唯とこの男があまりにも似通っていることにも頷ける。そして、いくら見かけが同じであろうと、あくまでも佳唯とこの男は違う人間だということも。「稲越佳唯の皮を被ったなにか」という表現は、ある意味で的を射ていたということだ。  それから目の前の男は、「それで?」とでも問うようにこてりと首を傾げてみせた。佳唯とよく似たさらりとした黒髪が形のいい額を滑っていく。明確な言葉はなかったけれど、その仕草は逢生に「それで、おまえは兄とどういう知り合いなのか」と尋ねているのがわかった。  妙な感覚が腹の奥底にふつっと湧き出た。逢生は知れず、小さく肩を震わせる。  今日の放課後、佳唯はあからさまな敵意をその瞳に乗せてこちらを睨んできた。ただ、そこに隠しきれない怯えの感情が滲んでいるのもわかった。それはまるで人慣れしていない野良猫を感じさせる。つまり、庇護欲を煽るようなものもそこに同時あるのだ。けれど目の前のこの男は違う。浮かべている人好きのする笑みはその実、こちらを見定めているようにも見えるのだ。笑みの奥底では獲物を狙っているかのような。佳唯の持っている敵意よりももっと鋭利なものをこの男は秘めている感じがした。  ある意味で、この兄弟はよく似ているのだな、と逢生は頭の片隅で思った。形は違えど、ふたりとも、他人に対する警戒心は人一倍に強いらしい。  仕事中だから私語はできないのだ、と逃げてしまってもよかった。事実、逢生はアルバイト中の身である。けれどもうひとつの明らかな事実として、コンビニの中にはこの男の他に客はいない。店長はバックヤードから戻ってきていないし、もうひとりのアルバイトもまだ裏で作業をしているらしい。この店が比較的手すきの時間が多いことを楽だと思うことはあれど、それをこんなふうに恨む日がくるとは思わなかった。逢生に、逃げる手段は今のところはありそうになかった。 「……クラスメイト、です」  手短に、けれど確実な事実のみを逢生は述べた。すると男は「へえ!」と大げさにも思える反応を返してくる。猫の目をくるりと見開いたその表情は、いかにも人懐こそうだった。けれどそれは逢生には、どうにも仮面のように見えてしまった。丁寧に繕った演技に見える。そういうもので押し隠しながら、こちらの様子を伺っているのだろうと疑ってしまう。  そしてどうやら、彼はこの回答だけでは満足してくれないらしい。 「兄とは仲がいいんですか?」  そう問いが重ねられる。逢生は、その問いかけに、逢生は素直に首を横に振った。 「そうでもない、です」 「そうでもない……」
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