山嫌い

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近藤裕紀は工藤夏来が嫌いである。裕紀は大学二年生。旅行サークルに所属している。夏来はサークルの後輩の女の子。法学部らしいが、小説ばっかり読んでいる。文芸部に入らないのかと聞いたことがある。すると「後頭部をピンヒールでぶっ叩きたくなる奴いるんで無理」と秒で返された。いや、どんな理由だよ。まだ大学生になって4ケ月なのにそんな嫌いな奴ができるってどういうことだ。 うちに入部したのは旅行の仕方を学ぶためだと言う。 「いつか一人旅したいんですよね」 「一人旅って寂しくね」 と言ったら実に嫌な顔をして「今まで散々、グループ組めだの連帯責任だのみんなと仲良くだの言われてきたんです。大学ぐらい好きな時に一人でいさせてほしいですよ」 どうして言い方に一々トゲがあるのか。夏来は一年生なのに全く物怖じせず先輩の立てた旅行計画にあれこれ口を出す。 「そんな高いホテル嫌です。一年も参加するんですよ。もっと価格抑えてください。ここのホテルがいいです。それかここ」 「もっと安いルートありませんか。ここ電車の方が安いです」 「このスケジュール無理でしょ。女性の足じゃきついです」 「飲み放題にするなら、料理もちゃんとしたの出してください。下戸もいるんですけど」 「ここもまわりたいんです。入れてください。で、ここ外して。入場料高すぎ」 特に旅行費についてはかなり口を出す。先輩に嫌な顔をされても同級生にたしなめられても譲らない。そんなに金がないようにも見えないが、とにかく旅行費にこだわるのだ。 「そんなに金ねえの? バイト増やせば」 先輩が言えば夏来はじろりと睨んで黙殺した。 そんな風だからサークル内の人気は底辺だ。冒頭で述べた通り、裕紀も夏来が嫌いの部類に入る。生意気な態度も気にくわないがなにより散々、あそこはやめろのこれは変えろの大騒ぎして旅費を削っておいて、いざ、旅行に行けばまあ、散財する。あれかわいい、これ美味しいとぱっぱ買う。なぜか本まで買う。いや、旅先でわざわざなんで本買うんだよ。ある日、先輩のひとりが、夏来に嫌がらせを提案した。 「次の行き先はあいつの行きたくないとこにしよう」 裕紀は悪趣味だなと思った。夏来は確かに嫌なやつだが、嫌がらせをするのは人として褒められた話ではない。裕紀はさりげなくそんなことを行ったが、無視された。夏来が嫌いな場所を飲み会で吐かせることになり、夏来が嫌いな先輩のひとりがその役に選ばれた。大丈夫かよと裕紀は心配した。夏来はカンがいい。逆に先輩の真意に気づいてえらいことになるのではないか。だが、夏来はあっさり言った。 「山ですね。山、大っ嫌い。山行く人間の気が知れませんよ。大体、どうせ降りるなら登る必要あります? 疲れるだけですよ。綺麗な景色は動画か写真で見れば十分です。山伏じゃあるまいし」 行きたくない場所を聞かれただけでこれかよ。なんだ山伏って。 まあ、そんなわけで行き先は日帰り登山になった。登山と言っても軽いもので山岳部の連中から見ればピクニックみたいなレベルの山である。それでも山嫌いには歓迎できないだろう。夏来は行かないと言うに違いない。ところが予想は外れて(嫌そうな顔をしつつだが)夏来は出席すると言う。旅行計画にも口を出さなかった。もしかしたら嫌がらせに気づいてショックを受けているのかと心配になった。夏来は嫌いなことに変わりはないが、普段騒がしいやつが大人しいのはなんだか、不安になる。 「あいつ、山が嫌いすぎておかしくなったんか」 同級生が陰口を叩いたが、裕紀は返事ができなかった。 (あいつやっぱり、嫌がらせと気づいて意地になってるんじゃ) 山は普通の旅行先と違う。嫌になったからタクシーで帰りますとは行かない。意地でどうにかなる場所ではないのだ。 さて、山登り当日。夏来は普通にやって来た。 「おまえ、その格好大丈夫かよ」 先輩のひとりが言った。みんながそこそこの装備をする中、夏来は結構な軽装だ。 「大丈夫ですよ」 「工藤」 裕紀は夏来に声をかけた。 「山、苦手なんじゃねえの。断ってもよかったんだぞ」 裕紀が言う。今からでも帰れと言おうとしたが、その前に夏来は眉をあげた。 「近藤さんてあたしのこと嫌いなのかと思ってました」 「え、いや別に」 もごもご言っている内に出発の時間になった。万が一、倒れられたらと夏来の近くを歩く。 が。 「もっとペースあげないと日が暮れますよ」 倒れるなんてとんでもない。それどころかメンバーに発破をかける始末。その足取りの軽やかなこと。昼に至っては疲れで食欲すらわかないメンバーさえいるなか、「これ食べてみたかったのよねー」と山岳用の飯をごそごそ出してきてぱくぱく。チーズあぶってパンに塗ってご満悦。皮肉なことに嫌がらせ発案の先輩が1番バテてる。 「工藤サン」 「なんすか」 今度はデザートの高そうなクッキーを出してきた。まだ食うのか。 「山、好きだろほんとは」 あれか、やっぱりこっちの真意に気づいてわざと山嫌いなんて言ったのか。まんじゅう怖い的な。 「嫌いですけど」 夏来はあっさり言った。 「あたしの父親、出身長野。んで、母親は秩父。あたしは八王子です」 「……」 「わかります? どっちのばあちゃん家行っても山。山山山。小中高校と遠足は毎回、高尾山」 「わーお。ベテランさん」 「もういい加減うんざりですよ。山」 「あーそう。嫌いってそういうこと」 「まあ、今回旅費も安かったし、山頂にあるお寺に行ってみたかったからいいかなーって。じゃなきゃ普通に欠席してましたよ」 そうだった。この一年は遠慮とか意地とかショックとかそんなかわいいタマじゃないんだった。もう、すべて無駄で杞憂だったのだ。なんだかおかしくなって笑いだした。夏来も笑う。裕紀はすっかり口が軽くなって尋ねる。 「あのさー、そこまで旅費にこだわるのなんで」 「みんなで行きたいから」 意外すぎる答えに裕紀は笑いを引っ込めた。 「サークルでしょ。お金のせいで行けない子いたら嫌じゃないですか。先輩たちはわかりませんけど、一年で行けない子何人かいますよ」 「……」 「金がないから行くなって言うのは簡単ですよ。所詮、娯楽だし。でも、なんとかなるならなんとかしたい。行きたくないと行きたいけど行けないは違う」 「ごめん。配慮が足りなかった」 裕紀は恥ずかしくなった。 「配慮なんていいんです。こっちで主張すればいいんだし」 「いやいや、それは先輩として情けなすぎるだろ」 「そう? なら、今後はよろしくです」 「ハイ 。ガンバリマス」 「素直でよろしい」 夏来はけらけら笑って立ち上がった。 「さ、もう行きますよ!」 メンバーはぶつぶつ言いながら立ち上がる。 「しかし、工藤ってかわいいとこあるな」 あの、生意気なひとり好きが、みんなで行きたいからと先輩とやりあうなんて。 「あたしはかわいいとこしかないですけど?」 べと舌を出す。あ、これは照れ隠しだ。顔がちょっと赤い。 「また、山行こうな」 「お断りでーす」 夏来はぷいと顔を反らす。 「えー? 行こうよー」 「しつこいですよ」 夏来は足早に裕紀から離れていく。明日からあいつに言った手前、ガンバらないとだなーなんて考えつつ、夏来の背を見送った。露骨に離れていくなんてやっぱりあいつちょっとかわいいとこあんなと思った。まあ、ちょっとなんだけど。
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