彼がここにいる理由

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彼がここにいる理由

「待ってないし! どうして来たの!」  私の瞬間移動でノーマンの潜む草むらに全員で移動したのだが、現れた私達の姿に待ってましたと喜ぶどころか彼は大いに怒り始めた。 「それに、せっかく逃がしたお子様まで連れて来て! それも俺がこれから盗賊の始末に行くって時に!」  クロードリアで別れた時と違い、風呂どころか何日も同じ服を着ている状態のノーマンは、薄汚れて臭い上に無精ひげ塗れだった。  そして彼は私に対して物凄く怒ってもいるが、私は彼が全然怖くなかった。  冬眠から出てきたクマのように怒っている彼を怖く思うべきなのだが、たった四日ぶりなのに、彼に会えて嬉しいと思う気持ちの方が強かったのである。  て、どういうこと?  嫌だ、私自身の方が怖いわ。 「イーサン。あなたが付いていながらどうしてこんなご判断を!!」  そう。  最初から私なんか見ていなかったわね、あなたは。  一度は恋を語ってくれた勇者(あの男)だって、国とお姫様を手にした途端に、あっちに行け、だったものね。  私は自分の過去とノーマンに感じた勝手な気持ちで苛立ちばかりとなり、一歩ノーマンの前に出ると右手を翳した。 「うわっ」  突然洗浄魔法を掛けられた男は振り回された猫みたいに驚き、ようやく私がいたかのように私を見た。ノーマンが私に向けた顔つきは、あら、罪悪感があるような表情だわ。私に無関心、というほどでは無かったのかしら? 「君は――」 「だって物凄く臭かったのだもの。感謝なさい。それから、そんな疲れ切った体で戦えるとお思いなの。そりゃあ、幸せをすぐにでも甥っ子に伝えたい気持ちはわかりますけどね、気が焦って馬から落ちたらどうするおつもり」 「どういう報告ですか! 気が焦って当り前です! 臭くて当たり前です! 俺は君に逃げられてから一睡もしないで馬を駆けてここまで来たのですから!」 「あらごめんなさい」  ノーマンの辛そうに見えた表情は、単に私に苛立っていただけとは。  そして私は彼に反発し返すどころか、反射的に謝っていた。  私のせいで彼が一睡もせずに馬掛けしていたことが、彼に対して憤っていた私の心を落ち着かせたからである。  何かをされた側よりも、何かをしてやった側の方がいいわ。  そんな感じの、あらごめんなさい、である。  けれど、私が謝った事でノーマンは少し落ち着いたのか、大きくほおっと溜息をついた。  薄汚れた風体でも魅力的に見える男って何だろう。  ノーマンはあの日と比べて頬が少しこけており、良く寝られなかったからか、目元には暗い影を生む隈が出来ていた。  顎を覆う無精ひげが、小汚いと思うよりも、お疲れと触れてみたくなる。 「ああ。思い出してくれた? 俺は君に後でって言ったよね。俺はあの日、君に言いたい事があったんだ」 「まあ、それでこちらに。でも、良く私がここにいるってわかったわね」 「わかるわけないでしょう。ベイルにレターセットを借りるつもりだったの! 君がベイルに渡したでしょう。絶対に大事な人に届くレターセット。俺はあれでベイルの大事を知って、ベイルを助け出す事が出来たんだ」  ああ、彼は私にお礼をずっと言いたかったのか。 「まあ! あなたはわたくしにお礼を言いたかったのですね」 「いえ、ええ、それはそうです、けど」  不貞腐れたようになったのはなぜだろう。  こんな汚い格好でお礼を言う事になったから?  でも、言わせてもらえば、いつでもお礼を言う場面があったはずだわ。  では、もしかして、彼が私を捜したのは。 「ああ、あなたはお礼じゃ無い別の用がわたくしにあったのね」 「ええ。あなたに俺は言わなければならないことがあるのです」  ノーマンの虹のような虹彩を持つ目は、なんだか輝いてグルグル回っているように感じる程に光り輝いている。 「ええと、後金の五千バイツかしら。私忘れちゃってて。ネフェルトの鞍に挟んで忘れちゃっていたから」  悔しいことに、私は小銀貨二枚のことなんかすっかり忘れるぐらい、ノーマンがお姫様に恋していた事実に打ちのめされていたようだ。  それにしても、なんて律義な男。  恋人がいるのに私にキスできる、軽薄な人のはずなのに。  そう、そんな人の私の内面なんか絶対に知られちゃいけないと、私は彼に微笑んで見せた。  するとノーマンは、大きく疲れたような溜息を吐いた。  これで彼は私から解放される、そう思ったのかしら?  彼は私に五千バイツ入りの小袋を手渡し、私はどうでもよくなっている銀貨を嬉しそうな素振りで受け取る。  それからノーマンは、用事を終えた彼は、そのまましゃがみ込んでしまった。 「まあ、疲れが出てしまったのね。ではここにいらして。あの程度の敵ならば私とベイルとイーサンで充分よ。ねえ、ベイル!」 「はい! 大丈夫であります! 叔父さんはここにいて! 僕とリジーとイーサンで充分ですよ!」  しゃがんだままの男は、可愛いはずの甥っ子に、地獄の底から聞こえてくるような低くて擦れた恐ろしい声で、ふざけるな、と言い返した。  それから私達が見守る中のっそりと立ち上がり、死んだばかりか飲み過ぎた人のような暗い目元のまま剣を腰から引き抜くと、そのままのしのしとラガシュ城の方へと歩き出したのだ。 「ちょっと! ノーマン!」 「ふざけんな。俺は行く。ちくしょう! 俺があいつらを殲滅する。くそ! いいか、俺は死なないからな! 絶対に死なないからな! 君の為に死んでたまるか!」  彼は駆け出して行った。  私とベイルは豹変した彼の後ろ姿に茫然として、彼を追いかける事も忘れて見守るだけで、イーサンはなぜか物凄く嬉しそうに笑い声を立てるだけだった。
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