曲がって曲がって……

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曲がって曲がって……

 今、私は年配の女性をタクシーに乗せている。彼女の目的地は娘の家だと聞いており、親子の再会を心待ちにしている様子が想像できる。交差点に差しかかり、右に曲がろうとした瞬間、後部座席からの声が耳に入った。 「ここを左よ」  その声には微かな不安が含まれているように感じた。私は一瞬戸惑いながらも、ナビの指示に従うべきだと考え、「いえ、ナビ通りならここは右に曲がることになります」と冷静に返答した。おばあさんはしばらくの間、納得がいかない様子で黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。 「いつも左に曲がっていたから、間違った場所に着いたのね」  その言葉には、彼女が過去に何度も同じ間違いを繰り返してきたことが垣間見えた。私は彼女の手助けをしようと決心し、話を続けた。 「お客様、電話をお持ちでないのですね。地図アプリを使えば、道に迷うことはありませんから」 「ええ、機械音痴だから」と、彼女は少し申し訳なさそうに答えた。  それでも、どうして毎回左に曲がってしまうのか、その理由が気になった。ふと、「左回りの法則」という言葉が頭に浮かんだ。そこで、思い切って話を切り出してみることにした。 「お客様、左回りの法則というものをご存知ですか?」 「左回りの法則?」彼女の声には疑問が混じっていた。 「簡単に説明しますと、人間は困ったときに無意識に左側に曲がる傾向があると言われています。例えば、スーパーでは左回りにコーナーを配置していることが多いんです」と私は説明を続けた。 「つまり、あなたは毎回この交差点で方向に迷い、無意識のうちに左に曲がることが多かったのではないでしょうか?」  彼女の顔に納得の表情が浮かび、深く頷いた。「ああ、そういうことだったのね」と呟く彼女の表情には、驚きとともに安心感も漂っていた。   「左回りの法則? もしかして……?」と、彼女はさらに興味を示しているようだった。 「どうされましたか?」と私は続きを促した。 「この前、娘と一緒にお化け屋敷に行ったのよ」と彼女は話し始めた。「心臓に悪かったわ、とても怖かったの。それで、あのお化け屋敷では、右に進むことが多かったの。もしかしたら、左回りの法則の逆を使って、不安感を煽るためにそうしていたのかもしれないわね」  その話を聞いて、私は一人納得しながら微笑んだ。確かに、心理的な影響を考えれば、右回りで不安感を煽るのは合理的だ。 「娘に会ったら、ぜひ左回りの法則を教えてあげるわ。知らないでしょうから、きっと驚くに違いないわ」と、おばあさんは目を輝かせながら話した。  彼女が目的地で降りる際、少しウキウキとした様子で背中を見せるのを見て、私は心の中でほっとした。謎解きが親子の会話に役立ち、彼女の一日を少しでも明るくできたことに、私は満足感を覚えた。
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