第一話 鮭の皮論争

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「まあ、皮を食べる人もいるし、そうじゃない人もいます。好みは人それぞれですからねえ……」 俺にはそれしか言えなかった。するとその女性は不満そうに言った。 「でも、貧乏くさくないですか? マナーとしてどうなんです?」 やはりこの女性、若いが一筋縄では行かない。そのつぶらな瞳は確かにしっかりとした、いや、しっかりとしすぎた自我を持ち、その強かさを象徴するようだった。それに気圧されまいと、目線をそらした。他のテーブル客の肴を準備する手元に視線を落として、俺は言った。 「まあ、貧乏くさいって事はないですよ。それに、皮を食べるのがマナー違反って事もないです」 それを聞いてその女性は、そのつぶらな目を更に丸くした。言ってから後悔した。俺は、その強気な女性の主張に、真っ向から立ち向かってしまったのだ。隣の男性が少しほくそ笑んだのを見た。これはマズい。痴話喧嘩の火種を作ってしまった。俺は慌てて付け加えた。 「まあ、一度食べてみて下さい。その鮭の皮、箸で分けられる程にパリパリに仕上がってますので、旨いですよ!」 その日の鮭はトキシラズと呼ばれる高級品だった。鮭は本来、秋に捕れる。しかし、季節外れの夏に捕れる事もある。通常よりも早く現れるので、時を間違えた鮭、という事でその名がついた。繁殖の準備が整っていないその魚の栄養は卵や白子にはまだ届いていない。全身の筋肉に貯蔵されているのだ。その身が不味いはずがない。
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