第二話 振り袖姿の一見さん

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第二話 振り袖姿の一見さん

 今やネズミの国ですっかり有名なここ浦安も、かつては漁師町として栄えていた。そこに広がっていた遠浅の海は、漁場としては素晴らしく、実に豊かな生態系が育まれていた。  しかし、海洋汚染の影響から、昭和三十七年頃に漁師達は一部漁業権を放棄した。昭和四十六年にはいよいよ全面放棄となり、その海域で大規模な埋め立て工事が行われ、現在に至る。  そんな歴史を振り返ると、少し悲しくも淋しいものだが、今や千葉県の「住みたい街ランキング」なんかでは、度々上位にランクインしている。そんな事を鑑みると、その心境は複雑である。  まあ、難しい事を考えても仕方あるまい。信頼のおける仕入先があり、この小さな店で美味い魚料理を提供できる。それだけで、俺としては十分に満足だ。  席数は多くない。カウンターが四席に四人掛けテーブルが二つ。全十二席だ。  カウンターもテーブルも、吉野杉の分厚い一枚板でできている良質なモノだ。そういった無垢の木材は好きだ。使い込む程に角が丸くなり、表面の細かな傷すらも、絶妙な趣を醸し出すようになる。ここに店を構えた五年前からあるそれらの木材は、その歳月を確実に刻み、丸く、滑らかで、自然の風合いを醸し出すようになっている。  皿にも拘りがある。もちろん、料理によって皿は使い分けるが、俺は信楽焼が好きだ。あの土の温もりを感じさせる分厚くて少し歪な形状には何とも風情がある。  吉野杉の一枚板のぬくもりを感じつつ、その上に置かれた温かみのある信楽焼。そして、その皿に盛られた魚料理に興じる瞬間は、間違いなく憩いの時間になるだろう。
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