第二話 振り袖姿の一見さん

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 そうだ、酒器を忘れてはいけない。酒器は基本的に錫製のものを使う。熱伝導率が高く柔らかく、少々クセのある素材だが、それは酒の味をまろやかにしてくれる。そして、その青白く柔らかい金属光沢は、不思議と吉野杉や信楽焼と同質のものを感じさせる。  金や銀のようなギラつきはなく、俺にとっては丁度良い感じなのだ。もちろん、人によって好みは分かれるだろう。だが、俺には、質実剛健な、それでいて温もりを感じさせる、そんな雰囲気が心地よいのだ。  その日は、正月が終わって初めての祝日だった。そう、成人の日だ。赤提灯よりも鮮やかな赤色の振り袖姿の女性が暖簾をくぐりかけて、入り口で止まった。 「あの、やってますか?」 時間は十八時だった。まだ客は誰も入っていなかった。その様子を目の当たりにしたら当然の質問だ。  意外だった。成人式とは言え、珍しい客だ。浦安市の成人式は毎年ネズミーリゾートで行うのだ。最寄り駅は京葉線の舞浜駅だ。式の後で飲むとしても、その界隈でだ。  わざわざそこから東西線の浦安駅まで飲みに来るなんて考えにくかった。しかもひとりで……。そう、この日、浦安市の成人客は皆、舞浜界隈にごっそり持って行かれてしまうのだ。 「いらっしゃい。やってますよ」 そう言うと、俺は手の平をカウンターの奥の席に向けて入店を促した。その女性は軽く会釈をすると、小さな歩幅で店の奥まで歩き、その席に腰を下ろした。  その所作は美しかった。慣れた様子だ。晴れの日の為にレンタルした振り袖をぎこちなく着る、いや、振り袖に着られている大多数の成人女性とは根本から様子が異なっていた。大人の雰囲気だった。  それでも、高校生と言われても通りそうな童顔で、シワひとつ無く整った顔立ちにはあどけなさが残り、彼女は確かに今日成人式に参加したであろう事が窺えた。
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