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目覚まし時計のけたたましいアラームで辛うじて目を覚ます。
喉奥からこみあげる不快な臭いと胃から溢れそうな圧迫感はほんの三時間前まで呑んでいた安くて強いだけの缶チューハイだ。
這うようにトイレへ向かい便器に顔まで突っ込んでとりあえずの平穏を得ると、ヌルい水道水をたらふく流し込んでまた繰り返す。
数度を経てから冷蔵庫の1リットルペットボトルの安物コーヒーを流し込んでようやく人心地ついた。
テーブルに置きっぱなしになっていた食パンを一枚そのまま齧る。何日前に買ったのだったか、少し乾いて固くなっていたがどうでもいい。とにかく今は腹にカロリー、それだけだ。昼休みにはなにかマトモなものを腹に入れよう。それで事足りる。
鏡の前に立つとクマの目立つ青白い顔が映し出された。俺だ。少々無精ひげが目に入ったがどうこうしようという気力も湧かず歯だけ磨く。
昨晩脱ぎ捨てたままだったシワだらけのスーツを纏って家を出る。
駅までそう遠くは無いが足取りは重い。
昨日も帰りは終電だった。というか終電より早く帰った最後の日はいつだったのか思い出せない。ぎりぎりまで寝ているのでゴミ出しも出来ておらず部屋の中は空き缶の山。次の休みには纏めて処分しよう、と思いつつそもそも次の休みはいつになるのだろうか。
俺も同僚たちも世の中ではあまり仕事が出来るほうではないらしく、平日休日昼夜を問わず働き続けている。自分の無能で会社に迷惑はかけられないから残業や休日出勤を申請することも出来ない。まあ、したところでどうせ課長に怒鳴られ罵詈雑言を浴びせられるだけだ。貴重な勤務時間を説教に費やされても損しかない。
正直、仕事と安酒だけに支配される日々にいい加減嫌気が差していた。
今日も終電まで帰れないに違いない。昨日もそうだったし明日もきっとそうだ。たとえこの仕事を辞めても俺なんかどこに行っても通用しない。何処へ行っても一日のほとんどを怒鳴られながら過ごし僅かな余暇を安酒で埋める人生か。
このまま苦しみながら生きてなんの意味がある?
ホームにアナウンスが流れる。電車はこの駅を通過するらしい。
でも目的地によっては乗れないこともないんじゃないか?
もう、いいか。
ふらりと一歩、二歩、己の意志というよりは吸い込まれるように重心を傾けて前に出た。
そういえば。
ふと脳裏を過る。
こういうとき、遺族が賠償請求される場合があるのだったか。
気付けば電車は目の前を通り過ぎていた。
会社の、世の中の役に立てない、自分ひとりの世話すら満足に出来ない俺でも、望めるなら年老いた親の負担にまではなりたくない。そんな気持ちがぎりぎり踏み止まらせた。
とはいえ覚悟はもう決まっている。
終わりにしよう、ひとの目に付かないところでひっそりとだ。それでも誰か彼かの迷惑にはなるのだろうが、俺も辛いのだ。勘弁して欲しい。
いつもは乗らない電車に乗って、知らない景色に揺られながらの探し物はいわゆる【名所】というやつだ。目当ての場所は思いのほかすぐにみつかった。意外と人気スポットなのだろうか。
くだらない思案を巡らせている間に電車は街の中心部を離れて乗客が減り始め、空いた席に腰を下ろす。
窓の外へ視線を向ければ青空が広がり、陽光を浴びて鮮烈に輝く小さな住宅群が映った。
きれいだ。
その光景を目にする心は驚くほどに穏やかで、それでいて少しわくわくするような、懐かしい郷愁にしばらく支配されていたが、ふと違和感で我に返る。
気付けばマナーモードのスマホがバイブモードで揺れていた。
ディスプレイには会社の番号。定時を過ぎているからおそらくは課長だろう。ぼんやり無感動に眺めていると、その着信は止まり、また鳴動を始める。
いくらでも代わりがいるはずの俺に随分とご執心のようだ。
その滑稽な様に皮肉めいた愉悦を感じながらスマホを空きスペースに置くとまた見慣れない景色へと視線を向ける。
不安も後悔もない。
自分で決断するとはこんなに心地よいものだったのかと驚きすらしていた。これが最後になるからなのかもしれない。もう、思い悩み、日々に煩う必要は無いのだ。
目的の駅に着く頃には着信もなくなっていた。というかスマホの電池が切れていた。あの課長ともう永遠に話さなくてよくなったのだという解放感に任せて鉄とプラのクズになったそれをゴミ箱に投げ込む。
もう俺には必要のないものだ。
なんならかばんも一緒に捨てたかったが駅のゴミ箱には入らなさそうだったので諦める。
駅近くのスーパーでビニール紐と総菜弁当、それからペットボトルのお茶を買い、一時間に一本しかないバスに乗った。
いい加減酔いも醒め、代わりに空腹感が頭をもたげてきたので最後尾の座席で弁当を広げる。ミラー越しに運転手がじっとこちらを見ていたが、なにも言わず走り出したので遠慮なく最後の晩餐ならぬ昼食、ブランチぐらいだろうか。
梅干しと海苔がのった白飯に唐揚げとコロッケの盛り合わせ。サイドメニューにマカロニサラダと漬物。どれも値段相応とはいえ、遠足で食べる弁当は美味い心理なのだろうか満足度はそれなりに高かった。
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