リン 2

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 「…実はな…アムンゼン…」  「…なんですか? 矢田さん?…」  「…私は、うっかり、店主の機嫌を損ねて、しまったかも、しれんさ…」  「…どうして、そう思うんですか? ボクの見るところ、矢田さんは、店主の機嫌を損ねるようなことは、していませんが…」  「…いや、したさ…」  「…した? なにをしたんです?…」  「…あの店主、私たち3人が、この店に入って来たとき、大人の私やオスマンではなく、子供のオマエに挨拶しただろ?…」  「…ハイ…しました…」  「…だから、どうして、そうしたんだと、今聞いたら、事前に、子供が、一番偉いと、聞いたからだと、店主は、答えたろ?…」  「…ハイ…」  「…実は、私は、もっと、違う答えを期待していたのさ…」  「…違う答え?…」  「…例えば、一目見て、オマエが、一番、偉いとわかったとか?…」  「…どうして、一目見て、わかるんですか? 初対面なのに?…」  「…オーラさ…威厳さ…私は、それを、店主が、感じたと、思ったのさ…」  「…」  「…でも、実際は、違った…それで、私は、ガッカリしたんだが、その私の表情を見て、あの店主が、もしかしたら、そのガッカリした表情が、ラーメンが、期待外れだと、思ったら、困ると、思ってな…」  「…期待外れ?…」  「…そうさ…」  私が、言うと、アムンゼンと、オスマンが、互いに顔を見合わせた…  それから、オスマンが、  「…矢田さん、それは、考え過ぎじゃ…」  と、口を開いた…  「…考え過ぎじゃないさ…」  私が、言うと、またも、アムンゼンとオスマンが、顔を見合わせた…  それから、アムンゼンが、  「…矢田さんは、つくづく日本人ですね…」  と、感嘆した様子で、言った…  「…それは、どういう意味だ?…」  「…小さなことでも、気になって、極力、相手の気持ちを気遣う…それが、日本人…まさに、矢田さんは、日本人そのものです…」  「…なんだと?…」  「…世界中で、日本人ほど、他人の動静を気にする人種は、いませんよ…」  アムンゼンが、断言する…  「…それに、矢田さんが、そこまで、気にすることは、ありませんよ…」  「…どうして、オマエにそれが、わかる?…」  「…3人とも、ラーメンを食べました…残すこともなく、食べ終わりました…それに…」  「…それに、なんだ?…」  「…ボクたち3人が、ラーメンを食べる姿を、あの店主は、ずっと、見てました…ボクも、オスマンも、この味に感動しました…そして、それは、言葉にこそ、出しませんが、表情に出ているはずです…」  「…表情に?…」  「…そうです…」  私は、それを、聞いて、安心した…  心の底から、ホッとした…  正直、誤解されるのは、嫌…  嫌だからだ…  これは、どんな人間も、同じ…  同じだ…  例えば、若い男女の間で、  「…好き…」  とか、  「…嫌い…」  は、誰にだって、ある…  しかしながら、誰もが、  「…好きでもない、人間に、好きだと誤解されたり…」  真逆に、  「…好きな人間に、嫌いだと、誤解されたら…」  たまったものでは、ないからだ…  そして、そんなことは、ありえないと、思うかも、しれないが、現実は、違う…  案外、身近にありえるものだからだ…  私の身近でも、かつての会社の同僚の男が、偶然、街中で、同じ会社の同僚の女を見かけて、その同僚が、恋人と、歩いているのを、目撃したことがあるそうだ…  会社では、付き合っているひとは、いないと、公言していたにも、関わらず、実際は、付き合っている人間が、いたわけだ(笑)…  まさか、それを、本人に伝えるわけにも、いかず、会社では、誰にも言わないで、黙っていたが、やはり、気になる…  それで、チラチラと、つい、その同僚を見ていたら、  「…あの男は、あの同僚を好きなんじゃ…」  と、根も葉もない噂が、流れて、困ったと、聞いたことがある(爆笑)…  つまりは、誤解…  周囲が、勝手に誤解したわけだ…  そして、そんな例は、枚強にいとまがない…  誰でも、身近に、見たり、聞いたりしたことがある、事例だからだ…  要するに、自分が、考えていたことと、違う展開になる…  自分の思っても、見ない展開になる…  これは、意外に、誰にでも、あるものだからだ…  そして、それは、おそらく、このアムンゼンも、同じ…  アラブの至宝も、同じだと、思った…  おそらく、リンのことを、調べていて、予想もしないことを、発見したに違いなかった…  私は、そう、見た…  私は、そう、睨んだ…  だから、私は、アムンゼンを睨みながら、  「…アムンゼン…オマエ、リンのなにを知った?…」  と、聞いた…  私の細い目をさらに細めて、聞いた…  いわば、尋問したのだ…  すると、どうだ?  アムンゼンが、動揺した…  アラブの至宝が、動揺した…  アラブの至宝は、動揺したまま、  「…実は、矢田さん…」  と、切り出した…  「…なんだ?…」  私は、いつのまにか、腕を組んで、アムンゼンの話を聞いてやった…  威厳を出すためだ…  「…リンについて、調べているうちに、よからぬ情報が、入りました…」  「…よからぬ情報? …なんだ? …それは?…」  「…リンは、C国のスパイだと、言うのです…」  「…なんだと?…」  私は、思わず、唸った…  同時に、  …それは、もしや、あり得るかも、しれん…  と、思った…  リンは、台湾のチアガール…  球団に属するチアガールに過ぎないが、台湾中に知られている…  つまり、本人が、自分のことを、どう思おうと、台湾で、一定の影響力があると、いうことだ…  そして、それは、今の時代は、昔の比ではない…  なぜなら、ネットが発達しているからだ…  ネットが発達する以前の時代とは、雲泥に違う…  わかりやすい例で言えば、SNSを駆使すれば、政治にすら、影響を与えることが、できる…  台湾で、圧倒的に人気のあるリンが、  「…今度の選挙は、誰誰を応援しよう!…」  と、書き込めば、その通りにする者が、必ず一定数存在するからだ…  私は、思った…  私は、考えた…  同時に、気付いた…  その情報源は、どこかと、気付いたのだ…  私は、つい、  「…サウジアラビアの情報局が、情報源か?…」  と、聞いた…  つい、聞いてしまった…  つい、口にして、しまった…  私の問いに、アムンゼンは、一瞬、ビクッと、カラダを揺らしたが、  「…その通りです…矢田さん…」  と、認めた…  あっさりと、認めた…  私は、  「…そうか…」  と、だけ、言った…  腕を組みながら、相槌を、打った…  威厳を出すためだ…  少しでも、自分を偉く見せるためだ…  なにしろ、この矢田には、威厳がない…  まるで、ない(笑)…  だから、腕を組み、威厳を出した…  目の前のアラブの至宝が、相談しやすいように、するためだ…  アラブの至宝が、相談するに足る人物になろうと、自分自身を演出したのだ…  私は、  「…やはり、そうか…」  と、繰り返した…  何度も言うように、威厳を出すためだ…  なにもわからない、この矢田が、さも、わかったように、言うためだ…  そのために、腕を組む、必要があったわけだ…  腕を組んで、威厳を出す必要があったわけだ…  そして、私が、一生懸命、威厳を出していると、  「…それは、本当ですか? …オジサン?…」  と、隣のオスマンが、焦った様子で、アムンゼンに聞いた…  すると、  「…本当だ…」  と、アムンゼンが、不機嫌に一言。  「…いつも、近くにいる、オマエが、気付かないで、どうする?…」  と、オスマンを一喝した…  「…だから、いつまでも、オマエは、一人前になれないんだ…」  アムンゼンが、愚痴る…  「…ホントは、ボクは、オマエに…」  と、アムンゼンが、続けるから、  「…まあ、いいじゃないか?…」  と、私は、言った…  「…なにが、いいんですか? …矢田さん?…」  「…オマエ…ラーメン屋で、そんなに、オスマンを叱るな…周りが、見ているゾ…」  私が、言うと、アムンゼンが、慌てて、周囲を見回した…  すると、当然、店主を筆頭として、店の従業員全員が、私たちを見ていた…  私たち3人を見ていた…  なにしろ、貸し切りだ…  店の客は、私たち3人だけ…  しかも、  しかも、だ…  貸し切りにする前に、日本の外務省のお偉いさんが、この店にやって来たという…  外務大臣が、わざわざやって来て、この店を貸し切りにしてくれと、懇願したという(笑)…  当然ながら、そんなことがあれば、一体、どんな客が、やって来るか? 誰でも、気になるに決まっている…  だから、店中の人間の視線が、私たち3人に注がれていた…  一挙手一投足をすべて、見られていた…  まるで、芸能人や、大物政治家になったみたいだった…  いわゆる、注目の的だったからだ…  すると、アムンゼンが、  「…これは、マズい…」  と、突然、口にした…  「…どうして、マズいんだ?…」  「…ボクの正体が、バレたら、マズい…」  「…オマエの正体? …そんなに簡単にバレるわけないだろ?…」  「…いいえ、そんなことは、ありません…今は、誰でも、スマホで、動画をネットにアップできる時代です…ボクやオスマンが、写った動画をネットのアップでもされて、その動画を見たサウジの関係者が、騒ぎ出しでも、したら、困ります…」  「…オマエ、それは、考え過ぎじゃ…」  「…いえ、考え過ぎじゃありません…この日本でも、壁に耳あり障子に目ありということわざがあるでしょ? 誰が、どこで、目を光らせ、耳をそばだてているか、わかりません…」  「…」  「…それに、ボクの正体は、ともかく、このオスマンの顔は、それなりに知られています…」  「…なんだと、知られている?…」  「…オスマンは、王族の中でも、一二を争う、イケメンです…だから、サウジアラビアでも、それなりに知られています…それが、表に出るのは、マズい…」  「…だったら、どうする?…」  「…今すぐ、この店を出ましょう…ラーメンもすでに、食べ終わっています…」  アムンゼンは、言うと、さっさと立ち上がった…  私も、それに倣って、立ち上がった…  たしかに、アムンゼンの言うことも、わかる…  わかるのだ…  スマホで、私たち3人が、仲良くラーメンをすすっている動画を、ネットにアップされたら、たまったものでは、ないからだ…  だから、それに、気付いた私たち3人は、慌てて、店を出ることにした…  そして、私が、会計を済まそうとすると、店の主人が、  「…すでに、外務省の方から、お代は、頂いています…」  と、返された…  「…なんだと?…」  「…まさか、海外のお客様にお金を頂くわけには、いかないからでしょう…」  店主が、説明する…  …そうか?…  …日本の外務省も、なかなか、やるものだ…  私は、感嘆した…  ラーメン代、3杯分、タダになったと、思った…  矢田トモコ、35歳…  今日は、少しばかり、得をした気分だった…  実に、いい気分だった(笑)…                <続く>
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