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潮のかおりに導かれるように階段をくだっていく。
木材と竹ひもで組まれた足元は、ヤナの体重がかかるたびにギシギシと悲鳴をあげ、それでもしっかりとその役割をはたしていた。
下へと足を進めながら「ふわあ」と欠伸をする。
昨夜は寝つきが悪く、すこし寝不足だった。
たまには夜まで布団にくるまっていたいところだが、それでは生活ができない。
それに、朝の鐘の音で起きることが身体に染みついており、自然と目が覚めてしまうのだ。
今日は満月。
海の底をうごめく月は一日ごとに姿を変え、それによって釣れる魚の種類も釣り方も変化する。
満月は、いい魚が、いちばんよく釣れる月だった。
少女がくだっていった先には、ぽっかりとした空間がひらけ、海底からの月の光を浴びて明るかった。
小さな舟着き場を作ってある以外にはなにもなく、ヤナが小さいころから、父親と通いつづけた場所だった。
果てなき海に浮かぶ玉響(たまゆら)城。
広大な構造物すべてが、流れ着いた木材で作られ、人はその中で日々の営みを繰り返す。
ヤナもまた、玉響城の中で生を送るひとりだった。
歳は十をすこし過ぎ、肩まである黒髪を頭の後ろで結んでいる。
麻づくりの衣服を身に着けた体は小柄で、手に持った長い釣竿が不釣り合いだった。
「お」
いつもの釣り場に着くと、珍しく先客がいた。
身なりがよく、腰に大小の刀を差しているところを見ると、どこぞの大名に属する侍のようだ。
いい釣竿を使っているが、まだ一尾もあげていないらしい。
そこまで確認すると、ヤナも腰を下ろして釣りの準備をはじめた。
釣り鉤と糸がしっかりと結ばれていることを確認すると、エサ籠からソウモンムシを取り出す。
水面に近い木材の隙間によくいる蟲で、たまに海に落ちることから、魚の好物になっているようだ。どの月であっても、食いのいいエサだった。
ソウモンムシの頭を指でちぎり捨て、そこから釣り鉤を刺していく。
途中で鉤をクルッと回してやると、鉤先がエサからとび出し、食ってきた魚の口をうまく貫いてくれる。
釣り糸を垂らしてしばらく待つと、アタリがあった。
「よっ」という声とともに、さっそく一尾を釣り上げる。
サクラハナウオ。
小型の魚で塩焼きにするとうまく、どこの市場でも扱っているし、買い取ってくれる。
サクラハナウオをもう何匹か釣り上げたところで、竿が大きくしなった。引き方で、どの魚がかかったかわかる。
「よし、ギンリョウウオ!」
今日の狙いが、この魚だ。
ヤナは海に引きずり込まれないように足を踏ん張ると、やりとりを開始した。
魚が潜ろうとすれば横にそらし、離れようとしたら上に向ける。
そうこうしているうちに魚が上に向かって突進し、その瞬間をのがさず、竿をいっぱいに立ててやると、水面から銀色の魚体がとびだしてきた。
足場に着地した魚の大きさは、ヤナの身体の半分ほど。
びたんびたん、という音とともに、釣りあげられたギンリョウウオは大暴れしている。
これで今日の日銭は十分に稼げた。
ほくほくとしながら小刀でギンリョウウオの脳髄を突いて締めると、手際よく腹を裂いて内臓を引き抜いていく。
抜いた内臓を海に放り投げると、小魚が群がって、たちまち食ってしまった。
本当は血抜きまですれば完璧なのだが、身体の小さなヤナは重たい魚体をうまく扱えず、難しい。
それに、ギンリョウウオは煮てもうまい魚なので、血抜きはそれほど価値に影響しなかった。
ギンリョウウオのエラに紐を通し、運びやすくする。
サクラハナウオの入った魚籠(びく)を手に取り、さて市場へ行くかと目を上げると、ヤナがくる前から釣りをしていた侍の姿が目に入った。
どうやらまだ釣れていないようだ。
ちょうどエサを替えようとしているらしく、もたもたと鉤とエサを手でもてあそんでいる。
苦戦しながらも、なんとか鉤にエサを刺した。
「それじゃ釣れん」
意識せず声をだしてしまった。
相手に悪かったかと思ったが、侍は不機嫌になるでもなく、「釣れぬか」と返した。
歳は三十前後といったところか。
おだやかな表情を浮かべていて、ヤナの知る侍たちとは違った雰囲気を身にまとっていた。
「どうしたら釣れる?」
「エサのつけ方が悪い。まっすぐ刺してから鉤先を抜かねば、水の流れで変な動きをする。魚が怖がる」
「なるほどな」
侍が、言われたとおりにエサをつけなおしてみせる。
ヤナから見れば下手くそだが、さっきよりはマシになった。
釣り糸を垂れながら侍が尋ねる。
「おぬし。魚を釣って生活しているのか?」
ヤナは、ああ、とうなずいた。
「母上が病で死んでから親父どのと暮らしていたんだが、先の謀反騒ぎで親父どのも死んでしまった」
「そうか」
侍はそれだけ言うと、竿先に集中しているのか、言葉が続かなかった。
気を取り直して市場へ行こうと立ち上がると、また侍が口を開いた。
「俺に釣りを教えてくれぬか」
「は?」
変な声を出してしまった。
「それはかまわんが」と答えかけ、「いや、魚を釣らないと生活できん。教えている暇はない」と言い直した。
侍が、ぐっと身を乗り出す。
「もちろん金子(きんす)なら払おう。教える時間は朝の一刻だけでいい。悪くない話だと思うが」
たしかに、魚の釣り方を教えるだけで稼ぎになるのだから、ヤナにとってはいい話だった。
「釣った魚はおぬしにやろう。それを売ればいい」
「よし、教える」
もはや断る理由がない。
「おっと」
侍の竿にアタリがあったが、驚いて竿をあげたので、魚の口に鉤がかかる前に逃げられてしまった。
ふむ、とヤナはあきれるような、感心するような心持ちだった。
「わたしは魚を釣って金子を得ているが、金子を払って魚を釣りたい御仁もおるのだな」
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