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「やった。お兄さん、ここ、生一つ。生一つお願いしますっ」
バイトのお兄さんに気付かれようと手を上げ続ける田口に呆れ、山本は、呼び出しベルを押して定員を呼ぶ。
「すみません。生ビールを一つお願いします」
「はいよっ」
そのやり取りを見て、田口は意気消沈。
「ふんっ。あいつも俺より山本かよ」
「違うって。今は、呼び出しボタンが主流なの」
「ちぇっ」
山本は肘をついたままだ。田口の反応を慈しむように、山本は目を細めた。
「そういうところが、可愛がられる理由なんだよな」
「カワイイ?俺が?」
「そう」
山本は、小さいグラスを傾けて氷の解け具合を楽しむと、ハイボールを口に含んだ。
田口は、思い出に浸る山本に会わせることにした。子供時代を懐かしむ山本の目は悲しそうで、口元は微笑んでいた。
「僕の母さんは、一日中働いている人だっただろ?」
「ああ、そうだったね。俺の家に泊まっていた日数のほうが、多かったぐらいだな」
二人は共通の過去を思い出す。山本は田口の部屋に布団を敷いてもらい、一晩中会話を楽しんだこともあった。そんな日は必ず寝坊して、こっぴどく田口の母さんに怒られた。
「熱を出して腹を下しても、母さんの前では気丈に振る舞ったものさ。元気だから大丈夫って、無理に笑って仕事に送り出したりね。本当は、もっと甘えたかったな」
「そうなのか」
「そうさ」
田口は、届いたばかりの冷えたジョッキを握った。幸せに満ちた表情の田口に、山本は質問をする。
「それって、偉いと思うか?」
「偉い?」
「親のために子どもが我慢をすることさ。もし、田口が釣りに行くために、子どもに元気だよって嘘をつかれたら、嬉しいか?」
田口はしばらく黙った後、ボソリとつぶやく。
「嬉しくは、ない」
田口は、ジョッキを掴んだままビールの泡を見つめた。七対三の黄金比率が八対二に変わる具合を、田口はジッと見つめていた。
「子どもって、大人が考える以上に、家族の一員として物事を捉えるものさ。甘えられる相手が側に居るって当たり前じゃないからな」
「知っているさ」
「そうか」
山本のグラスに氷が当たり、カランと音が鳴る。
「家族って、いいよな」
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