14人が本棚に入れています
本棚に追加
【サンプル】いちばん大事な君のいちばん傍で
「牧瀬、俺来週自分の家に戻るから」
電話を終えた佳史が牧瀬に向かい、そう言うと、キッチンで夕飯の片づけをしていた牧瀬が、え、と驚いた顔をしていた。
「戻る、とは?」
「いや、そのままだ。独身寮のリフォームが終わったから戻るって知聖から連絡が来た」
部屋の契約は佳史のままだし、空くというのなら戻るのが当然だろう。牧瀬との二人暮らしにも慣れてきた頃だったが、いつまでもここに居るわけにはいかない。
「それで、ここを出てくんですか?」
「それは……居候を続けるのも変だろう?」
もうここにいる理由がない。それが普通だと思えば、戻るという選択しかないだろう。
「ホントに戻るつもりですか?」
洗い物を終えた牧瀬がこちらに近づく。キッチンの傍に立っていた佳史は、牧瀬の圧に、数歩後退りをした。それでも、戻るよ、とはっきりと答える。
会社には一時的に牧瀬の家に居候していることを伝えている。独身寮の改装のことも当然知っているから『部下思いの上司』『牧瀬とは一緒に暮らせるくらい仲がいいんだな』という感想は貰ったが、それ以上のことはなかった。それは期間限定の話だからだと、佳史にも分かる。
独身寮の改装が終わってもなお、こうして二人で居たら、きっと違う噂がたってしまうだろう。それは牧瀬の為にも避けたい。
けれど牧瀬はそんな佳史の考えも見通せないのか、不機嫌な表情でこちらを見やった。
「半年間、おれに甘やかされて生活してた佳史さんが元の生活に戻るなんて絶対できませんよ」
「あまっ……やかされたかも、しれないけど、そんなことで一人暮らしに戻れなくなるなんてない。てか、牧瀬、俺のことバカにしすぎじゃないか?」
いつも佳史は牧瀬に対して、ばかばか言ってるが、それは別に本心ではない。牧瀬のことは人として尊敬しているし、信頼している。あえて言うなら佳史が絡むと少しIQが下がるような気がするが、それに対して言っているわけではない。
けれど、今の牧瀬の言葉は完全に佳史をばかにしていたと思う。絶対に元の生活には戻れないだなんて、一人じゃ何もできないだろうと言われているようだ。
「そんなことは。事実を言ったまでです」
こちらを冷めた目で見やる牧瀬に、佳史は眇めた目を向け、分かった、と低く答えた。
「絶対、一人で完璧に生活してみせる。ここには戻らないからな!」
佳史が言い放つと、牧瀬が不機嫌に眉を下げた。それから視線を逸らすと、そのまま佳史の脇を通り抜け、寝室へと入ってドアを閉めた。あからさまに機嫌を悪くした牧瀬に、佳史は大きくため息をついて、それでも自分が悪いわけではないのだから謝る気などない。
「なんだよ、子どもみたいなことしやがって……」
絶対に前言撤回させてやる、と意地になった佳史は、その日はそのままソファに丸くなって眠った。
最初のコメントを投稿しよう!