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 あの小屋は、誰もが見えるというものではなかったのかも……。  言い換えると、わたしは見世物小屋に入る資格を持った、数少ない人間だった。 『どういう人が見えるのかしら~?』  静乃の声が続いた。  わからない……。さっぱり……。  わからないことはもう一点。  なぜ父だったのか……。  ただ当時、さんざん思考をめぐらした末に、一つだけ、不確かながらたどり着けた答えはあった。―――現在の父との関係性。  高校に入ってわずかもすると、父はいってきた。  将来は自分の会社を継いでもらう。だから経営方面が優秀な大学へいけ―――。  経営など興味がなく、進みたい大学もしっかりあったわたしは、猛反発した。  とくに生活態度にうるさいわけでもなく、何事も自由にさせてくれていた父だったけど、この件に関してだけは譲らなかった。 「自分の好きな道へいけないのは人権の無視!」 「日本には職業選択の自由が保障されている!」 「わたしはお父さんの奴隷なの!?」  張りあげた声で幾度となくぶつかった。  まったく口を利かない期間もあった。  だから、あのころ思っていた。―――父がいなくなってくれれば……。  父の死は、両大学の願書提出期限まで一月ほど、というときでもあった。  それだけのことでいなくなってほしいと思うなど……。と、眉をしかめる人はいるかもしれない。でも、わたしには重大問題だった。  結局は、自分の希望通りの大学へ進めた。それにはもちろん、うちの経済的事情の手助けがあったことは承知している。  立派な家。  裕福な暮らし。  それはまず間違いなく、今後一生保障される。  なので、その点に関しては父に感謝している。  しかし、裕福さには一方で、精神的つらさという税もかけられたことがあった。  小学校は地元の区立。  広い部屋と庭、多数の遊び道具。おやつも豪勢だった自宅は、低学年のころ、放課後の遊び場として人気だった。 「お金持ちでいいな」  みな口をそろえた。  でも高学年になるに従い、その言葉に、ねたみ、やっかみの色が乗るようになり、わたしと放課後をともにする子は徐々に減っていった。  そしてしまいには、ひとりもいなくなった。  嫉妬心など持っているとは思えなかった友人も離れていったのは、  須田さんとつき合っていると、自分も仲間外れにされる―――。  に気づいたからに違いない。
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