【良木・1】

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 だいたい、客の音も集客の一助となる。だから、たとえ開演前の少人数時であっても、ざわつきは洩れるようにされているのでは……。  それにここは、木戸番の派手な呼び込みもないし、見世物小屋特有のけばけばしい店構えともなっていない。そもそも通常の見世物小屋からすれば、このテントのサイズは小さい。 《脱走妻の小屋》―――「見物料○○○圓」と記されているからには、なにかを見せることには違いない。  では、一般的な見世物小屋とはスタイルを異にしている、この静けさしか窺えない空間内には、はたしてどんな品があるというのか……。  かえって増大していた興味は、見物願望を大いにあおった。  参道に戻っての目が、すぐさま違和感を連れてきた。  なんだ……。  と思う間もなく、ゆき着いた理由は―――祭り客。  鳥居の外へ向かう足がほとんどの裏参道の、人の流れは絶え間ない。なのに誰ひとり、テント前でとどまるどころか、窺う顔をやる者もいない。  隙間のとば口に立ちどまったまま、しばし眺めた。  立ち並ぶ屋台には、多少にかかわらず客のにぎわいはある。だが、やはりテントに関しては……。  どういうことか……。  まるで、彼らの目には入り込んでいないかのような……。  しかし、くすんだオレンジ色は、自分の目には確固として映っている。  ―――考えていても仕方がない。たまたまそういった状況が続いているだけだろう。  不可思議さを見物願望で押し込め、テント正面へまわり込んだ。  左右にテント幕が重なっている中央のすぐ脇に、「そっと開いて御入り下さい」と書かれた段ボールが貼られているのは、さっき目にしていた。  古びたベニヤ板、段ボール―――みすぼらしさは演出なのだろうか……。  そして、《脱走妻の小屋》とは……。看板に流れた視線が思わせた。  店名にどんな意味があるのか……。なにもないとは考えづらい。  いずこからか脱走してきた女が中にいるということなのだろうか……。もしくは、そんな人間が営んでいる小屋なのか……。  では、それはどこから……。どんな事情で……。  知れるはずもない謎に惹かれながら、指示通りそっと幕をたぐった。  途端、しけった土の匂いが鼻孔を衝いたとともに、目に飛び込んできたのは“真っ黒”だった。  ―――暗幕。
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