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でも、救世主は未だひとりも出現してはいなかった。
舞いあがる中でも、並び歩く教授の香りを鼻孔は堪能していた。いつもと変わらないトワレ。
―――あの匂い、『アラミス』ね。
いつかの明里の台詞をふり返ったとき、衝撃的な言葉を鼓膜は受けとった。
ところで、私の製作を手伝ってはくれないか―――。
「は?」
思わず、訊き返していた。
継がれた内容は、さらに驚かせた。
大学には知られたくない製作―――。
だから誰にも内緒で―――。
「どんな、製作なのでしょうか……」
「言葉では説明しづらい。それとも、聞かないと手伝ってはもらえないかな?」
「いえ、そんなことは……」
大学に知られたくない製作……。それっていったい……。
教授の声は構わず続いた―――。
製作は自宅の工房で行う。
今までの須田君の成績を見て、きみしかいないと決めた。
もちろん無償でではなく、きみの希望する就職先を、できる限り世話する。また、大学に残り、私と同じ指導者の道を望むのであっても、最大限の助力は惜しまない。
―――真剣な横顔と語調だった。
製作に対する謎と不審が払拭されたわけではなかった。しかしそれでも、考える時間をもらわず強く頷いたのは、ひとえに、想いを寄せる人の力になれる喜びが勝ったからだった。当然、提示された引き換え条件など、どうでもよいことだった。
想いを寄せる人―――。良木研究室への入室希望には、この理由も実は隠れていた。いや、こっちのほうが大きかった。
一度の製作には、最低二日間はほしい―――。
そして日を置いて、長いこと続ける―――。
泊り込みは可能か―――。
すべてにイエスと応じた。
泊り込みという言葉にドキドキした。不安ではなく、期待だった。でも、そんな思いをわかせた自分をすぐ恥じ、
「自分は製作のお手伝いにいくのよ」
いい聞かせた。
でも―――はじめての人が、良木教授になれば……。
胸の高鳴りはどうしても抑えられなかった。
だから、今日、明日という、まずのお互いの都合のよい日が決まると、たちまち頭の中で計算した。―――月の日。
解答は―――問題なし。
教授はバイトの心配も加えた。
幸い、しなくてもやっていける家庭環境と答えると、
「それは好都合」
笑んだ表情を、教授はよこした。
冷たい感じは、やっぱりそこにはなかった。
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