【九沓・1】

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 たしかに精魂は込めた。でも、それで命が宿るの……。  とはいえ、兎の意見に頷く道しか、私にはないように思った。  では私以外にも、自身の作品の声を聞く人形作家はいるのだろうか……。  彼ら以外にも、意識、思考、感情―――命を吹き込まれた人形は、この世に存在するのか……。  ―――以来、人形たちとの会話でいろいろなことが判明していった。  彼らには、製作者である私の人生経験がすべて刷り込まれている。また、重ねる日々のうちで私が新たに得た知識、経験も、自ずと摂取される。私の思考、見たもの聞いたもの経験したことは、言葉にせずとも読めるのだから、当然のことではあると思えた。  加えて縞猫の予想通り、人形たちは客の頭にも侵入できた。それは、私のものでない知識、経験も得られるということであり、豊富になりゆく世の中の風景をもとにくり広げる彼らの脳内世界は、瞬く間に、私のそれよりも広大になっていった。  人形とはいえ、当然みんな違うキャラクター。それゆえ、人格もまったく別物になるという話には頷けた。なので、同じ知識を持っていても、思考回路も同一というわけではなかった。だから人間同様、まったく違う想い、考えを戦わせ、末に、一致点を見出したりもした。  ただ、脳内への侵入は店内においてだけ―――いわゆる、同じ空間にいる人のものに限って可能であり、それも、ひとりしかいない場合に限定された。  当初は複数の来店者、それぞれの思考を読もうとした。しかし、いざトライすると、標的以外の人間の思考も流入してきてしまい、頭内で内容を整理することが極めて困難となった。  余計な意識を排除しようと集中力を高めれば、なんとか読みとることはできたが、見返りの疲労は並みのものではなかった。  いつしか〈そこまでして行うこともないのでは〉と意見が合い、今の決まりとなった。  だから、老婦人の思考を今日はじめて読んだのは、今までの彼女の来店時には、ほかの客がいた、ということだろう。まあ、ひとりふたりではあったはずだが。  ただ、彼女の初来店のときは、ほかに客のいなかったことをはっきり覚えている。それでも人形たちが今日のような思考を読まなかったのは、その時点ではまだ“お嬢さま”に対する悩みは、彼女の裡に発生していなかった―――からではないだろうか。  人形たちの話を鑑みると、 “多重人格ではない”
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