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俺の帰る場所は、どっちなんだろう。
居場所
ユウリは、いってらっしゃいと言われたから、いってきますと返した。
今日の外出は、アキノにとってはいつもと変わらないものなのだろう。
実際、月一の通院は一人でこのシェアハウスを出る。
でも、ユウリの心境は違った。
9月になっても日差しは強い。
今年はあまり蚊に刺された記憶が無かった。
実家は、私鉄で一駅の所に建っていた。
その門をくぐるのは何ヶ月ぶりだろう。
その先の庭も、屋敷も、大袈裟なくらい威圧感がある。
それに気付いたのは、此処を離れたからだった。
一歩一歩、昔と同じ歩幅で歩く。
玄関の戸を開けると、お帰りという声に塗れた。
帝国院兄弟の全員が其処に居て、ユウリは面喰らう。
一年と見ないうちに顔つきが変わった兄弟も居た。でも、皆変わらない。
ユウリは、ただいま、と、返すものとして正しい挨拶をした。
平家に近い二階建ての屋敷の廊下は顔面が映るくらい綺麗だ。
観葉植物も元気に葉を張り、襖も穴など開いていない。
実家の内装は何も変わって居なかった。
通された広間は既に飲み物も菓子も有り、もてなす用意がされていた。
弟達は近況を聞いてきて、まあぼちぼちだよ、と考えてきた返しをする。
それより君達は元気してた?と誘導すれば、我先にと話してくれた。
背が伸びたとか、テストで満点を取ったとか、部活で活躍したとか、報告はどれも微笑ましいもので、ユウリはずっと笑って聞く。
弟達の声も久しぶりで、それを聴くだけでも来て良かったと思った。
「来てたのか」
弟達とは違う圧のある低音に、全員が振り向く。
其処には長身の男が居た。
白髪をハーフアップにしている彼は、帝国院家の中でも大人に分類される。
叔父の一人である、帝国院マサヨシだった。
「久しぶり、マサヨシさん」
「ああ、他のも久しぶり」
他のも、と一纏めにされた弟達も会うのは正月以来だろう。お久しぶりです、と礼儀正しく返した。
「スイカ、冷やしといたの持って来たぞ」
その言葉に弟達は嬉しそうに声を上げ、マサヨシに付いていく。
ユウリもよいしょと立ち上がり、兄のミカギと西瓜が待っている和室に向かった。
ちりん、と風鈴が鳴る。
青空に浮かぶ太陽はまだうざったらしいくらいの熱を放っていた。
すいかだあ、おいしそう、と弟達は無邪気に喜ぶ。
ユウリもその輪に入り、美味そうだなあと笑った。
西瓜を齧り、その果実に赤い髪の恋人を思い出す。
少し、ぼぅ、としていたら、ユウリ、と大きな手が縁側へ招いてきた。
西瓜を乗せた皿を持ち、叔父の隣に座る。
エアコンの風が届かない縁側は暑かった。
「居辛いか」
そう一言だけ問われ、ユウリはアメジストの視線を池に向ける。
「その質問には答えらんないよ」
そう言っても、薄紫眼の気配を感じた。
「無理をするなよ」
マサヨシは、真っ直ぐな言葉を吐く。
ユウリは、それに何も言えなかった。
帝国院家の事が好きだ。それは変わらない。
でも、本当は距離を取りたいと思ってしまっていた。
恋人の顔ばかり脳裏に浮かんでいるのを、あまり関係しない叔父が察知出来るとも思えない。
自分の眼が潤むのを、悟られたくなかった。
「帰るか?」
マサヨシは、静かな低音で訊く。
「……帰って、いいのかな」
ユウリは、遂に弱音を吐いてしまった。
聞く相手が、あまり会わない、他人に近い親戚という関係だったから安心して溢れる。
「言っただろう、無理をするなって」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、ユウリは鼻を啜った。
そのまま西瓜に齧り付く。
皮だけになったそれを皿に置いて、勢いよく立ち上がった。
空はまだ青い。
先月ほどは蒸さないが、日差しは熱かった。
あの後すぐにユウリは灰色のアパートに帰ってきた。
真っ先に恋人の部屋の扉を叩く。
「あ、ユウリおかえり」
部屋から出てきたアキノは、いつも通りそう言ってきた。
その瞬間、このシェアハウスに引っ越してきてからの事が脳裏に甦る。
ユウリはゆっくりと、ただいまと言った。
「実家どうだった?」
「うん。皆元気だった」
アキノの声にユウリは微笑む。
愛しい人が目の前に居て、やっと心に有る穴が埋まった気がした。
アキノの部屋は、今朝と変わらない。
会話する為にカーペットの上に座り込む事は、昨日もした。
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