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12 ディアモンテ公爵家◆
他人に期待してはいけない。
それは、二十二年の人生で学んだ教訓。
初めて父の不貞を目にしたのは、おそらくララがアカデミーの中等部に入学してすぐの頃。その歳になれば流石に自分の育った家がやけに父親という人間を中心に回っていることに、ララも気付いていた。
だけれど、公爵家の当主ともなればそんな感じなのかというぼんやりとした認識で片付けた。母が何かに耐えているようには見えなかったし、過保護かつ過干渉であることを除いたら、父マークス・ディアモンテは普通の人間だったから。
確か、まだ寒さの残る四月の夜、就寝の挨拶を済ませた後にララは水が飲みたくて部屋から出たのだ。薄暗い廊下をぺたぺたと歩いて、食堂に向かうために階段を降りようとした時、踊り場に立つ父親とメイド長の姿を見つけた。「お父さま」と呼ぼうとした声が、喉に張り付いて取れなくなったのは、目にした光景が信じられなかったから。
十数年もの間、父として、大人として尊敬してきた男が、自分の屋敷で働く女の尻を鷲掴みにしている様子をララは見た。
ショックだった、という言葉だけでは片付けられない色々な感情が一瞬にして込み上げて、すぐに自分の部屋に逃げ帰って枕に顔を押し付けて泣いた。侮蔑、嫌悪、一言では言い表せられない悲しみが大粒の涙となって流れた。
そして同時に、母のことを思った。
大人になった今となっては、母はすべて知っていたことが分かるけれど、当時のララはまだ幼いなりに精一杯の頭を働かせて「いつも通りで居よう」と心掛けた。自分が見たことを母に伝えたらきっと彼女は悲しむから、ひた隠しにしようと。
「ねぇ、マドレーヌさん…… ちょっと笑っちゃうぐらい変な話なんだけどね、私は子供の頃からつい最近まで自分の服を自分で選ぶことが出来なかったの」
皿洗いをしながら独り言のように溢したら、フライパンを片手に店主のマドレーヌは短く笑う。
「アンタがそんな優柔不断には見えないけどねぇ」
「いいえ、違うわ。私が着る服、靴、化粧に髪の長さまで。すべては父の意見が反映されていたのよ」
「………なんだいそりゃ」
「笑っちゃうわよね。ほんとに、変な話……」
同い年の友人たちが流行りの服を着る中、ララはいつも一昔前みたいな服を着て学校へ通っていた。幼い頃から自慢だった母と揃いの金色の髪は「華美である」という理由で茶色く染められた。家柄や父の存在もあって、ララに直接バカにしたようなことを言う無礼者は居なかったけれど、陰で自分がどう言われているかはなんとなく分かっていた。
もちろん、何度か抵抗したこともある。
みんなと同じものが着たいと。
だけど、その度に父はララに言った。「公爵家の娘が低俗な文化に染まってはいけない」「娼婦の真似事のような化粧をすることを恥じろ」と、まるで着飾ることは罪だとでも言うように。
婚約者であるフィルガルドは、他の令嬢に比べるとやや見劣りするララの服装について何も意見を述べなかった。彼を取り囲む他の女たちよりは明らかに悪い意味で異なるのに、鈍感なのか、興味がないのか、一度も批判することはなかった。
ララは自由になった左手の薬指を見つめる。
「似合ってるって言ったのよ」
「なんの話だい?」
怪訝そうに聞き返すマドレーヌにララはただ微笑む。思い出がまた一つ、胸の内でパチンと弾けた。
フィルガルドは婚約の証として、ダイヤが三つ並んだ指輪をララにプレゼントした。衣服や顔から浮いてしまうであろうその華やかな指輪を付けたララを見て、彼が言ったこと。
とても似合ってる、そう言って笑った。
あれも得意の上辺の会話だったのだろうか?
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