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08 壊れた目覚まし時計◆
ピッポロロロ ピッポロロロ
下手な雛鳥の鳴き声みたいな音で、ララはパチリと目を開けた。枕元に置いた目覚まし時計からするその音は、時計の故障を教えている。カーテンから差し込む光は眩しく、今日という日は晴天のようで。
「おはよう、ブリジット。また最高の一日が始まりそうだわ。そろそろ私も仕事を探そうかしら」
ブリジットというのはララが育てているサボテンの名前だ。トゲのある姿が怒った時の乳母にそっくりだったので、そう命名した。父が雇っていた乳母はそれはそれは厳しい人で、ララが何か間違いをすると目くじらを立てて叱責した。
怒られないよう、良い子で居続けるため。
幼い頃から周りの大人たちの機嫌を読んで、自分の立ち居振る舞いを考えて来たララにとって、人生は「終わりのない演劇」のようなものだった。
観客たちは時にヤジを飛ばし、つまらなかったら叱り付ける。そのくせ、ララが上手く出来たときは「やはり私の目に狂いはなかった」と自画自賛に走るのだ。
「また目玉焼きを焼いてみましょうか。昨日は黄身が破れちゃったけれど、今日はあまり手を加えずに見守ってみるわ。その方が良いでしょうから」
ララは顔を洗って簡単な化粧を済ませると、キッチンへと向かう。
眺めの良い小さな部屋は、最近顔を見せるようになった飲み屋の常連から借りている。箱庭の中で生きてきたララにとって、すべては新鮮で新しい経験だった。
卵を割ったら中の白身はまだ透明であること、牛乳瓶は意外と重たいこと、大通りを一本入れば物乞いが寝泊まりしていること、など。知っているようで知らなかったそれらをララは一つ一つ大切に身をもって学んでいる。
「フィルガルドは、元気かしらね?」
返事を返さないサボテンに問い掛ける。
手に持ったフライパンの上ではジュージューと音を立てて卵が色を変えていく。歪な形でも、食べればきっと同じ味がするはずだ。
フィルガルド・デ・アルトンから婚約を申し込まれた時、ララは真っ先に母の反応を盗み見た。ララの実母であるサラは「自称家族思いの厳粛な夫」を支える良き妻を演じている。母もまた、ララと同じ一流の役者なのだと気付いた日から、サラはララにとっての指標だった。
母のように上手く演じれば、周囲に馴染むことが出来る。そんな思いで生きてきた。だから、ララが一ミリも興味がない王太子との婚約を母が涙を流して喜んでいるのを見た時には「これで良かったんだ」と思ったし、安堵した。その分かりやすいレールに乗って進めば、間違いはないのだと。
「………あの指輪は結構気に入っていたのよ」
ダイヤが三つ並んで輝く婚約指輪に思いを馳せる。左手薬指の契りは「君の好きにして良い」という元婚約者の言葉通りに、王宮を去ってすぐに売り飛ばした。
ララの選んだ分かりやすいレールは、見た目ほど容易いものではなかったのだ。
フィルガルド・デ・アルトンと婚約することで巻き込まれた彼の交友関係はララの首をじわじわと締めていくようだった。とりわけ、友人を名乗るウェリントン公爵家の息子や、頻繁に茶会を開催して根も歯もない噂話に花を咲かせるガルーア公爵家の令嬢は厄介で仕方がなかった。
婚約者であるフィルガルドは事勿れ主義のようで、何があっても微笑んで流している。もちろん彼に直接的な嫌がらせをするような無礼者は居ない。何故なら、彼は王太子なのだから。
小さな棘は、いつもララに向かって投げられた。
時にそれは男たちからの下品な言葉で。もしくは、女たちからの手の込んだ陰湿な対応で。
「よくある婚約破棄だもの、時間が経てば忘れるわ」
ララが婚約時にフィルガルドに求めた条件は二つだけ。誠実であること、選択の自由を与えること。二つ目の約束はよく覚えていたようで、確かに王子はララからの婚約破棄を素直に受け入れた。結婚する前で良かったと思う。王国では婚約の解消は出来ても、婚姻関係の解消は難しい話だから。
去り際に彼が言った言葉が頭に残っている。
すべてもう手遅れなのか、と王子は問い掛けた。
ララは質問を無視して部屋を去ったから、フィルガルド・デ・アルトンがどんな顔でその質問を溢したのかは分からない。
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