ひとりぼっちの裏店暮らし

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材木と和紙で造られた家屋敷が立ち並ぶ江戸の町では、ひとたび火が出ればたちまちのうちに次から次へと燃え広がってしまう。 江戸でつつがなく暮らしたいのであらば、なにを置いても「火の用心」が幟旗(のぼりばた)だ。 いくつもの蔵を並べる大店(おおだな)はもちろんのこと、宵越しの金など持たぬ裏店住まいの独り者ですら火においてはそれはそれは心配りをしている。 さような江戸は(おのこ)の町だった。男の数がおなごの五、六倍はいる。 「年ごとの大名行列」——三代の公方(くぼう)様(徳川家光)による諸藩のお殿様(大名)たちへの一年ごとに領地と江戸を往復する御触(おふ)れ(参勤交代)に伴い国許からお殿様に付き従ってきた男たちが呼び水となり、その後諸国から職を求めていろんな身分の男たちがやってくるようになった。 さらに「入り鉄砲と出女」の御触れによって江戸へのおなごの出入りを厳しくしたものだから、ますます男ばかりになり江戸の男たちには一生涯独り身である者が少なくない。 すると、煮炊きのできぬ男たちに向けて屋台や行商人たちがさまざまなお菜を売るようになっていった。 丑丸も茂三から、およねのおまんまが来ない折には表通りへ出て天秤棒を担いで売り歩く棒手振(ぼてふ)りを見つけ、渡してある銭を出してお(さい)を買うようにととくと云い含められていた。 されど、火を使わずともやり(おお)せる洗い物はおのれ自身の手でやらねばならない。 いくら着たきり雀で着替える着物すらないとは云え——否や、着替える着物がないからこそ、お天道様がさんさんと照りつける晴れ間に洗って日が傾くまでに乾かせる算段をせねばならないのだ。
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