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俺は、どこにでもいるサラリーマンだが、クレームの達人でもある。 電車が遅れれば駅員に詰め寄り、レストランでの注文ミスは即座に店長を呼びつける。何かあれば黙っていられない性分だ。
しかし、そんな俺に転機が訪れた。 ある日、政府機関から突然の通知が届いたのだ。「クレーマー更生プログラムに選定されました。詳細は後日」
―クレーマー更生プログラム? 俺が更生するって? 笑わせるな。俺は正しいことをしているだけだ。 数日後、スーツ姿の男たちが俺の家にやってきて、半ば強制的に連れて行かれた。
移動に数時間。目の前に見えるのは、鬱蒼とした館
―その名も「クレーマー館」。 政府が設立した更生施設だという。彼らは俺に言った。「ここで修行し、クレームを封じ込める術を学んでいただきます。道のりは険しいですが、それがあなたの試練です。」
「ふざけるな!」俺は叫んだ。「俺には仕事がある。家族もいる。こんな館に籠もってる暇なんてないんだ!」
スーツの男たちは冷ややかな目で俺を見つめた。「あなたの会社と家族には既に連絡済みです。むしろ彼らは喜んでいましたよ」
くそっ。裏切り者どもめ。
仕方なく館内を彷徨っていると、所々で他のクレーマーたちと出会った。コンビニの肉まんが冷めていると激怒した中年男性、ホテルのバスタオルが柔らかすぎると訴えた中年女性、スマホゲームのガチャ確率に文句を言い続けた青年...みんな俺と同じように不本意ながらこの館に連れてこられたのだ。
最初の課題は「クレームを我慢する修行」だった。狭い和室に閉じ込められ、次々と理不尽な目に遭わされる。冷めたお茶、硬いおせんべい、雑音の入る映画...。文句を言おうものなら、和室での滞在時間が延長される仕組みだ。
俺は必死に耐えた。が、我慢の限界を超えた瞬間、「この部屋冷房が効きすぎているぞ!」と叫んでしまった。
すると、どこからともなく現れた館長らしき老人が、「まだまだじゃな」とニヤリと笑う。俺の修行時間は倍になった。
次の課題は「相手の立場で考える修行」。クレームを受ける側の立場を体験するのだ。
俺はコンビニの店員に扮し、客役の修行生たちに対応することになった。
「おい! このおにぎり、具が少なすぎる!」 「レジ袋が破れた! 賠償しろ!」 「ATMの画面の切り替えが遅い! 何とかしろ!」
次々と飛んでくる理不尽な要求に、俺は頭を下げ続けた。「申し訳ございません」その言葉を何度繰り返したことか。
そして最後の課題。「感謝の心を育てる修行」だ。毎日、朝から晩まで館の外に広がる森を歩き回り、自然の恵みに感謝する。澄んだ空気、清らかな水、美しい景色...。当たり前だと思っていたものに、ありがとうの気持ちを伝える。
最初は馬鹿らしく感じたが、日を重ねるごとに心が軽くなっていくのを感じた。
そして一ヶ月後。俺たちは無事に「卒業式」を迎えた。
館長が俺たちに言った。「諸君、よくぞここまで来た。もう君たちは以前の自分ではない。些細な事柄にいちいち怒る必要はないのだ」
俺は心からその言葉に頷いた。そう、世界は決して完璧ではない。でも、不完全だからこそ面白い。
クレーマー館を後にする時、俺たちは口々に「ありがとうございました」と言っていた。
家に帰ると、妻が温かく出迎えてくれた。「お帰りなさい」
「ただいま」俺は笑顔で答えた。
妻は「何だか、別人みたい」と驚いた顔をした。
俺たちは久しぶりに心から笑い合った。
翌日から、俺の人生は大きく変わった。電車が遅れても「運転手さんも頑張ってるんだろうな」と思えるようになった。レストランで料理が遅れても「厨房も忙しいんだろう」と待てるようになった。
そう、俺はもはやクレーマーではない。俺は...「感謝マー」なのだ。
そんな俺に、再び政府から手紙が届いた。
「この度は『クレーマー更生プログラム』を無事修了されましたこと、誠におめでとうございます。つきましては、あなたの経験を活かし、次回プログラムのアドバイザーとしてご協力いただきたく...」
なんて皮肉な展開だろう。でも、それもまた人生の面白さかもしれない。
「よし、受けてやろう」
俺は微笑んだ。
(了)
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