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02 命の恩犬
広めの足洗い場みたいなところで、茶々丸をバスタオルを数枚使って拭いていた彼に、窓をそっと開けて聞く。
「 あの、お風呂…ありがとうございました 」
「 ん?嗚呼、終わった?ちょっとソファでも座って、待っててくれるかな 」
「 はい…… 」
指示を出された事に小さく頷いて、蚊が入らない内にと思って窓を閉めて、リビングに戻る。
下手に高級感のあるソファに座って、血で汚したくない為に滑り辛い素材で出来てるフローリングへと座り込んだ。
部屋を見渡すと、誰かの写真があるわけではなく、置かれてるのは茶々丸と彼の写真ばかり。
そして謎の風景画ぐらいで、気になるとするなら…
今は使われてない暖炉があるってこと。
まるで西洋建築みたいな建物だと改めて見ていれば、窓は開き重い足音を立て茶々丸がやって来た。
「 ふぁっ、わっ! 」
「 まだちょっと湿ってるけどね、後…毛がつくよ 」
大きな犬が顔の方へと寄ってきた事に驚いて、両手で触ると彼の言ったように、両手に湿り気の帯びた抜け毛が付いたことに何気無く掌で丸めて、近くのゴミ箱へと捨てた。
「 さて、次は君だね。手当てしよう 」
その間に、彼はバスタオルやら犬用品を脱衣場に持っていけば、茶々丸はカーペットの一部で身体を擦りつけていた。
良いのだろうか…と思うけど、
彼が何も言わないのだから、いつもの光景なのだろう。
何をすればいいか分からずぽけーとしていると、白い救急箱を持ってきた彼は、ソファの方へと行く。
「 ここに座って 」
「 あ、はい…… 」
軽く座る場所を指定されたところを叩いた彼に、小さく頷いて床に手を付き、そっと立ち上がってからふらつきながら、辿り着いて腰を掛ける。
「 すごっ…… 」
少し大きめの救急箱の中は、完璧と言えるぐらいの数に感心して無意識に呟くと、
彼は右脚を何気なく見てから、必要なものを抜き取っていく。
「 此れでも近くの総合医療センターで、小児科医をしてるからな。これはいつも何かあった際に使える様に車に入れてるんだよ 」
「 先生……なんですね…。何か、あったことありますか…? 」
「 うん、そう。事故現場に遭遇とか…後は、今日みたいな時とか 」
「 うっ…… 」
使う事になったのは私の責任だと思うけど、ちょっと態とらしい言い方に言葉を閉じていると、彼は医療用手袋を着けてから、銀の容器をソファに置き、コットンに消毒液を付ける。
「 染みるよ。まだ血が滲んでるし…傷的にガラスか 」
「 ッ…… 」
染みるといった言葉と共に、傷口に当てられて地味な痛さに顔を背け、ソファの背凭れを握って絶える。
「 台風後で色んな物が流れてる川に飛び込むなんて、無謀だと言いたいけど…今は、余り言わないでいるよ。話したくなったら言えばいい 」
「 ………… 」
他の科の医者ではなく、小児科医と言った彼になんとなく合うような気がした。
爽やかな印象だし、子供ウケが良さそうな若々しい見た目をしてる。
きっと笑顔で話し掛けてるのだろうなって、想像ついたし…
なんとなく、彼には話してもいいのかと思い、ポツリポツリと言葉を繋げた。
「 ……母に、死んでくれ…って言われたんです… 」
その言葉を聞いて、彼は一瞬手を止めてしまったけれど、直ぐに傷口に残るゴミをピンセットで取り除き、薬などを付けていく。
「 私は四人姉妹の三女なんですが…。実の子じゃなくて……祖父が何処からともなく拾ってきた里子なんです。でも、祖父は私が中三の頃に亡くなって…そこから母が育ててくれるようになったけど…。小さい頃から身体が弱くて、休みがちになった私は… 」
祖父が拾って来た時には、小さな赤子だったらしくて、
私は山で産み捨てられた子供であるのは、物心つく頃に聞いていた。
だから姉妹と血の繋がりがないことや母の実の子供ではないのは知ってるけど、それでも家族の一員になりたくて必死だったんだ。
見ず知らずの人に身の上話をするのは如何かと思うけど、誰かに聞いて欲しかったから話をした。
「 頑張って、働いたけど……辞めることも多くて、この三ヶ月…仕事が見つからなくて家に居たら、母は…それが嫌だったらしくて… 」
次第に泣きながら話していたけれど、彼は黙って聞いたまま腕をそっと掴み、他の場所の傷を手当していく。
「 昔より、頻繁に叩くようになって…。今日は、料理が嫌だったみたいで…それ含めて怒られて…。もう…家に居てほしくない、出て行け…死んでくれて構わないって言われたから…。私、死のうとして… 」
涙で頬を濡らしていれば、彼は片手の手袋を外しそっと頬に触れて、私の顔を持ち上げた。
「 うっ、く、っ… 」
「 そう…。だが、この世にいらない命など無いんだ。君が母親に言われたからと死ぬことはない…。頑張れないなら頑張らなくていい。仕事が探せないなら、いい仕事先が見つかるまでお菓子を食べながら、求人サイトを見てていいんだよ。寧ろよく、三ヶ月前迄ちゃんと働いてた事に、俺は褒めたいけどな…よく頑張ってたね 」
「 っ…………うぁあっ…! 」
頑張ったね…なんて、最後に祖父から聞いた程度だったから、誰かにそう言って貰えるのが嬉しくて、その言葉に子供みたいに泣けば、彼はそっと頭を抱えるように抱き締めてきた。
縋りつく様にその胸元に顔を埋めて涙を流せば、何度も優しく後頭部を撫でられて、反対の手で子供をあやすように背中を叩かれる。
その優しさに、苦しかったものを全部吐き出すように、大泣きをしてしまったんだ。
「 ひっ、くっ…… 」
「 深呼吸して、ゆっくりでいい 」
どれだけ泣いたかは分からないけど、落ち着き始めたら彼の胸元から顔を上げると、
何気無くティッシュを差し出された為に涙を拭いてから、鼻水を拭く。
「 ふぅ、んっ…… 」
「 よしよし…。ココアでも作って……っ…! 」
「 え……!?だ、大丈夫ですか!? 」
立ち上がろうとした彼は、急にローテーブルに片手を付いて立ち止まった為に驚いて心配になって問えば、彼の手は腰に添えられていた。
「 だい、じょうぶ…… 」
「 絶対に大丈夫じゃないですよね!? 」
青褪めてる事に戸惑って、私は何かしでかしてしまったのかとあたふたしていれば、彼は深く息を吐いて姿勢を整え、軽く服を捲る。
「 え…… 」
そこには厚みのあるコルセットみたいなのがあって、やけに彼の背中側が硬かった理由が分かる。
「 ふぅ、実は…少し前に腰椎分離症をしてしまってね。簡単に言えば疲労骨折。腰を捻って横を向いてたから、痛みが走っただけさ 」
「 わたしの、せいで……はっ!!おんぶさせてしまった!! 」
「 大丈夫だよ。大丈夫 」
疲労骨折をして、尚且つコルセットをしてる彼を、それなりの距離をおんぶさせてしまった事に気付いて焦ると、彼はコルセットをキツく締め直して、笑顔を向けてから片膝に手を付き立ち上がった。
「 やらかしたのは二ヶ月前だし、殆ど治ってるから問題ないよ。ココア作ってくるな。甘めでいい? 」
「 ありがとうございます…。でも、本当に…大丈夫ですか? 」
「 大丈夫。普通に仕事してるから 」
「 そう、なんですね…… 」
骨折してても仕事してる……。
その言葉に、少し胸が痛くなった。
私は、どこも悪くないのに…
仕事が出来てない。
其の事に少し落ち込んでいると、茶々丸は目の前にやって来た為に、そっと両手で顔周りの毛を触る。
「 ちゃちゃまるくん?優しいね…… 」
「 茶々丸は利口で、人の心が分かるからね。ボクが側にいるから悲しまないでって言ってると思うよ 」
「 そうなんだ……。ありがとう 」
例え、私を慰める為に彼がフッと思い付いた言葉だとしても、今は嬉しいしなんとなく茶々丸を見てると、
本当にそう思ってくれてるんじゃないかと思えたんだ。
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