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01 生きたいと叫んで
一日中騒ぎ立てる蝉の声が減り、
鈴虫が音を奏で始めた8月の下旬。
甲高い音が一つ、太陽が沈んだ20時に鳴り響く。
「 ッ…… 」
「 いい加減にして! 」
左頬に感じる鈍い痛みに、鼻先がツンっと痛み目元に涙が浮かび、床へと落ちた黒縁眼鏡へと視線を落とす。
「 いつも帰って来たらゴロゴロダラダラ寝てて、こっちがどれだけ仕事を一生懸命にしてるか分かってる!? 」
「 ………分かってる 」
「 分かってないじゃない! 」
叩いて怒鳴って来たのは、私の母。
今年で58歳になった女性で、尼僧さんの様に薄く髪を切ってるのは、自分に対するケジメと言っていた。
ストイックな女性で有るのは知ってる。
若い頃に二度の離婚を経験し、四人の姉妹を一人で育てて来たから、如何しても完璧な母親を演じなければならないのだろう。
そんな母を理解してるから、出来るだけ手を貸そうと思ったけれど、落ちてる眼鏡からずらした先にある床には、晩御飯として作っておいた料理が引っくり返されている。
「 …分かってる、から…晩御飯…作ってた… 」
泣きそうになる気持ちと、震える声を必死に堪えて、何とか言葉を告げようとすれば母の怒鳴り声は響く。
「 こんな不味い料理食えたものじゃない! 」
「 ッ…!! 」
「 糸瓜か瓜か、知らないけど…食べ物じゃないもので遊ばないで!! 」
「 ……冬瓜 」
「 どっちも似たようなものでしょ!? 」
使った材料は、昼間に草抜きをしていたら近所のおじさんから冬瓜が出来始めたから食べるといいって貰ったものだった。
私の家庭は裕福ではないし、寧ろ貧乏だから貰ったものは素直に嬉しかったんだ。
作り方を調べて、冬瓜のトマト煮込みのスープ、カレー煮、漬物を作ってみた。
其れを仕事から疲れて帰ってきてる母と妹に食べて欲しかったから、準備していたけど…。
その準備を終えてから、疲れて寝てたら怒られたんだ。
そして、使った材料が母が口にしたことが無い材料だったらしく、其れを含めて機嫌を損ねてしまった。
「 私が買ってあげてる材料で、至らない物を作らないで!大体アンタは仕事をしてないんだから、ご飯以外食べるなって言ってるでしょ!? 」
「 ………はい 」
仕事終わりに母が買って帰ったのは菓子パンやらおやつ。
それは母と妹が食べるもので、私はいつも冷えた白ご飯しか口にしてはいけないと言われていた。
この料理も、二人に作っただけで…
私が口にすることは無い。
空腹感をいつの間にか忘れて、水とご飯だけで生きていけるぐらいにはなってる。
偶に妹が、栄養補助食品をくれるけど…
多分それで生きてるんだと思う。
「 何をその態度、ちゃんと反省しなさい!! 」
「 ッ……!! 」
髪を引っ張られ、其の儘床へと押し付けられて無理矢理土下座させられるようなやり方に、反する気も無くてその場で身を丸めて、額を床へと擦り付ける。
「 仕事も満足に出来ず、働きもしない。努力もしないアンタが、生きてる事すら気に入らないのに!雪香が努力してるの知ってるでしょう!? 」
「 ッ、ぃ、っ…… 」
何度も何度も頭部を叩いて来る母に、痛みより言葉が酷く胸を突き刺す。
私は、幼い頃から病弱で小学校の頃は殆ど休みがちになって、入院をしてる時期の方が多かった。
勉強も遅れたまま学校に行けば、英語やPCの授業で大幅に遅れたことをクラスメートから笑い者にされ、教師も一人の為に授業を止める事はなく、其れを見過ごしていたんだ。
校長推薦で高校に入ったものの単位が足りず、
必要な資格に対する試験も合格出来なかった。
いつしか勉強が出来ない事に悩んで苦しんだけれど、結局高校三年生の時に辞めざるを得なかった。
留年できる程の予算が、
当時生活保護を受けていた我が家には、それが出来なかったからだ。
中卒であり、極端に勉強が苦手な私が面接に受かることは稀で、受かっても一年や二年で辞めてしまう。
理由は殆ど、男性とのトラブルで…
前の職場は…店長からの好意を受け入れられなかったという理由から、いらないと言われてクビになったんだ。
それ以降…
次の仕事を見付けれず、引き篭もりニートの様な生活をしていれば、母の機嫌はいつも悪い。
「 ッ……! 」
硬い床に鼻を打ち付け、垂れ始めた血が点々と床を落ちていく。
「 父が、アンタを大事にしてたから…私も大事にしてただけで、アンタなんか育てなければよかった!!もう、死んでくれ!死んでくれて構わないから!! 」
「 ………!! 」
「 アンタみたいな何も出来ない子なんて、いらないから!!!邪魔でしかない!この家にいることする不快なのよ!!私達と同じ苗字すら、名乗らないで!さっさと家を出ていって!! 」
吐き散らす言葉が、必死に耐えていた心を砕いていく。
亡き祖父が大切にしてくれていたのは知ってたけど…。
母がその為だけに、育ていたとは知らなかった。
「 ……おじいちゃんに、言われたから…、育てただけで…。お母さんは、私なんて…いらなかったんだね… 」
「 そうよ!アナタみたいに金が掛かって、努力もしないやつなんていらないに決まってるでしょ!?さっさと死んで、私の負担を増やさないで!! 」
母が帰って来てから、三時間ぐらい永遠とその言葉を繰り返すように言われ、叩かれ続けられた。
「 っ……!!! 」
母が疲れたタイミングで、片手で鼻先を押さえて逃げるように立ち上がっては、その場を飛び出していた。
「 ひっく、ぅう…… 」
サンダルを履いたまま行く宛など何処にも無いけど、只走って無我夢中で家から離れようとした。
息苦しくて、辛くて……。
母の近くでスマホを弄って見てみぬふりをしていた、妹の行動すら…
私にとってあの家に必要ないんだと教え込まれたように思う。
「 いっ、っ………うぅ…… 」
足が縺れ、アスファルトの上に倒れるように転がれば掌に残る擦れた鼻血を見て、ぎゅっと握り締めてからもう一度立ち上がって、歩き続けた。
横を通り過ぎる車も自転車も、笑いながら歩く歩行者も…。
きっと皆ちゃんと仕事をして、
何かの目標の為に生きようとしているんだろう…。
でも、私は…何の為に生きてるのだろうか…。
夢も希望も無く…。
就職先が見つからなくて、働く事すら出来ないで…。
「 本当、死んだ方がまし…… 」
学生の頃から何度も死のうと思った…。
でも、母が祖父と約束をしたからと言って、生きて欲しいと言ってたから、生きてきたけど…。
その本人から、" 死んでくれ "と言われたなら…。
もう、生きる理由など何処にも無い…。
日付が変わったこの時間に、
誰も他人を気にすることなんて無い…。
「 ……上手く、死ねるかな 」
二日前にやって来た台風の影響で、水量が増えた川を眺めて河川敷を歩いていると、顔を上げた先に丁度良さそうな橋を見かけた。
吸い込まれるようにそこまでフラつきながら歩き、気付いたら橋の中央に立っていたんだ。
水量以外にも、流れも早い川に…
私は、後先も考えず身を投げ出した。
「 ヴォンッ!!!ヴォンッ! 」
「 なっ!!! 」
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