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人生は、私が書いた台本通りじゃないと困る。
だって、そうでしょう? なんで、神だかなんだか知らないけれど、なにかの言いなりにならなきゃならないの?
私は、私が思うとおりに生きていく。
私が神になりたいと思うなら、私は神になる。
と、思うのは簡単だけれど、実際のところはそう簡単に神にはなれない。
クズみたいな大人にぐちぐちとわけの分からない文句を言われて、心の中で「クーズ」と吐き捨てる日々を過ごしている。
私はいったい、何のために生まれてきたんだろう。クズみたいな大人のお世話ごっこの対象として? いじめっ子の憂さ晴らしの対象として? いじめられっ子の慰め役として?
ああ、嫌になる。こんなに思い通りにならない人生なら、いっそ生まれてこない方がよかった。
なんて、文句を言うのは簡単だった。けれど私は、文句を言っているだけでは何も変わらないと気づけるタイプの人間だ。
よってして、不本意ながら、自己改革を試みた。
すべてが思い通りになるのを待つことを諦め、自らが人生の手綱を握り、自ら思い通りを掴みに行くことにしたのだ。
他人の心に入り込むには、まず身なりを整える。そうして、害を与えない人間であるオーラを身にまとい、相手の心のガードを少しでも低くする。
そのあとは、偽りの笑顔ですり寄り、相手の心の中を覗いて、痛いところに絆創膏を貼るふりをして、こちらを向かせる。
そうして、利用しているだけだというのにころっと騙された哀れな民たちを従えて、私は思い通りに手を伸ばす。
思い通りのためならば、時に、人の心を踏みにじるようなこともした。
ゆで卵に塩を振るくらいのちょこっとした罪悪感はあったけれど、相手が私の思い通りを汚すものだから、致し方なくしたまでだ。
他人を従え、人を蹴散らし、思い通りに生きていく。
なんて快感なのだろう!
思い通りになればなるほど、私は生まれてきたことを喜んだ。クソジジイ、クソババア、よくやった。褒美をやろう。
私は思い通りの道を拓き続け、その道をひたすらに進み続け、ある日、思い通りの頂点といえよう理想の交際相手を手に入れた。
あとは、この日々が永遠に続けばいい。この場所を頂点として、これからはふわりと浮かび上がり、ゆっくりと天を目指して昇っていくだけだ。
と、考えていた。
しかし、私は、思い通りに油断したようだ。
ある日突然、交際相手は私の手からするりと逃げ出し、姿を消した。
その理由を、私は探し回った。私の思い通りを壊された理由を見つけようとした。私の思い通りを取り戻そうとした。
私の目は行く先々で、はぐらかしばかりを見た。
私の鼓膜を揺らすのもまた、はぐらかしばかりだった。
私は気づいた。
私の思い通りの添え物であったやつらが、突如手のひらを返したのだと気づいた。
やつらは、私が〝ジンセイ〟というお話の山場にたどり着くのを今か今かと待っていたのだ。
最高地点に達し、滑落する様を最も面白く見られるだろうタイミングで、手のひらを返しやがったのだ!
けれど、ピンチがあってこそ、物語は映えるというものだ。
ピンチのない物語なんて、塩をかけないゆで卵のようなものだ。
不味くはないが、味気ない。
少しの変更くらいは、受け入れてやる余裕を持ってこそ、神だ、と、私は考えた。
私は、態度を変えた者たちにも、いつものように接してあげた。
役は変わっていない。演者が変わっただけだ。と、思い込み、私は神であり続けた。
大きな心で、あの人を待ち続けた。
けれど、物語は私が描いた台本から逸脱したまま、いつになっても思い通りに戻ってくることはなかった。
これまでは、身なりを整え、害を与えない人間であるオーラを纏えば、相手の心のガードを低くできた。
偽りの笑顔ですり寄り、相手の心の中を覗いて、痛いところに絆創膏を貼るふりをすれば、こちらを向かせることができた。
しかし、あの日を境に、何かが崩れた。
私は誰からも避けられるようになった。
街中で、たまたますれ違う人にすら、すっと離れていかれてしまうようになった。
おかしい。何かがおかしい。
ふと、鏡の向こうにいる自分を見る。
その顔は、神というより死神だった。
世界に問題なく溶けることができるだろうペルソナの奥に、どす黒いものが渦巻いて、不気味な笑みが浮かんで見える。
違う。違う、違う、違う!
私は、こんな姿になりたかったわけじゃない!
神になれ。死神ではない、純粋な神になれ! と、自分の顔を叩き、つねり、引っかきながら念じる。
しかし、思い通りになることはなく、いっそうに濃い闇が私にまとわりつき、私を締め上げるばかりだった。
了
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