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部屋を出てそのままキッチンに向かうと、中からコーヒーのいい匂いがした。
今日は私の方が起きるのが遅かったんだなと思いながら、一度気持ちを落ち着かせるように息を吐いて扉を開ける。
その瞬間、こちらを向いた東条と目が合い、何故か変に身構えてしまって、一瞬うまく動けなくなった。
行為中に自分が口走ったことを東条が気にしていたらどうしよう。そんなことを考え出すと、どういう顔をすればいいのか分からない。
「ああ、おはよう」
「お、おはようございます……」
「ヒート終わったんだ。匂い薄くなってる」
まあ座れば? と言いながらコーヒーに手を伸ばした東条に、変に気まずさを感じて逃げ出したくなった。
このまま近付くのがなんだかあまり良くない気がして、ソファの後ろを通り過ぎてキッチンへと足を動かす。
「どうしたの? お腹空いてる?」
「いえ、あの、はい」
「どっち」
そんな会話をしながら、由莉に着いてくる形で東条も立ち上がるのだから、もう本当に勘弁してくださいと叫びたくなった。そのまま座っていてくれて全然構わないのに、わざわざ距離を詰めてこようとするなんてやめて欲しい。
心配しているような表情が本当に心臓に悪くて、これ以上近付かれると、一度冷静になったはずなのにまた戻ってしまう。
ヒート中に感じた「欲しい」って気持ちが、また何かの拍子に口から飛び出てしまいそうで怖い。
「ちょ、朝食! ……何か、用意しますか?」
「んー……無理しなくていいよ。必要なら俺が用意するし」
「いや、そんな……あ、私も少し動いていた方が回復はやいから……だから……」
だから自分で全部用意したいですと押し切って、東条を再度ソファに座らせてから足早にキッチンに戻った。
「じゃあ任せるけど何かあったら呼んでよ」と、後ろから飛ばされた声に返事をしてからエプロンを着ける。
一人で冷静になりたいし、色々迷惑をかけているのは分かっているから、これくらいの事は私に全部やらせて欲しい。
そんな事を考えながら開いた冷蔵庫の中。真っ先に目に入ったのは、見覚えのない濃紺の紙箱だった。
「……ああ、これ」
誕生日に用意してくれたケーキだ、と。
ちょうどホールケーキ一つが入る大きさの箱に、いろんな事を思い出して胸の辺りが苦しくなる。
いっぱい考えて用意してくれたのに私が無駄にしてしまった、東条さんの優しさのうちの一つだ。こうやって可視化できる形で目の前に出されると、改めて申し訳なくて泣きそうになる。
「……食べるの、流石に無理かなぁ」
ケーキなんて当日中にお召し上がりくださいって渡されるし、三日経った生菓子なんて食べたらお腹壊しちゃうかも。
用意してくれた物を食べて体調崩したりしたら、それはそれで東条さんに申し訳ない気がする。
それでも、せめてどんなケーキだったか見て記憶に残そうと箱を取り出し、開けようとしたところでハタと気付く。
思わず箱を手にしたまま走って、東条の目の前まで来てしまった。
「あれ、どうし……」
「東条さんあの、ケーキ食べれる。賞味期限今日までって……」
「ああ、ホールのガトーショコラだから、それ。ヒート期間に被って腐らせたら由莉は気にするかと思って、あんまり誕生日らしくないけど一応日持ちするケーキ選んだ」
「え……」
「今食べる? 俺は朝からケーキでもいいよ、コーヒーあるし」
開けようか? と訊ねられ、よく分からない感情で胸がいっぱいになる。
辛うじて喉から出せたのは「うん……」という情けない一言だけで、気の利いたお礼さえ言えない自分がまた少し嫌になった。
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