違う匂い

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「いつから俺と番うの嫌だった? 最初から?」  番うのが嫌なんて、そんなの思った事もない。  東条の問いかけに小さく首を振って否定するが、由莉の二の腕を掴む手に、更に力が加わっただけだった。 「じゃあどのタイミングでダメになった? そもそも何か思う事あったら言えって言っただろ。なんで出来ない?」  責められているはずなのに、そう問う声が微かに震えている。まるで今にも泣き出しそうで、話をしているだけで苦しい気持ちが伝染しそうになった。  東条さんにこんな顔をさせたかったわけじゃない。  本音を伝えて重荷になるのが嫌だとか、そんな事を思って言葉を選んでいたら一生気持ちは伝わらないだろうと、由莉も必死で声を絞り出す。 「……と、東条さんを嫌とか、そんな風に思ったことない」 「嫌じゃないけど番になりたいって思うくらい好きにはなれなかった? だから他の奴と番ってまで俺から逃げようとしたの? そういう事もちゃんと言ってくれたら、俺だってもう少し考えて他のやり方で君に触れた……!」 「ちがう、聞いて……そんな、好きになれないなんて、私は一度も」 「好きなんて結局一度も言ってもらえなかった。俺ばっかり好きで、なんでこんな、君は……」  吐き出すようにそう言って、由莉の首元に東条が顔を埋める。  表情なんて見えないのに、触れたところから全部伝わってしまった。  どうしよう。どうしたらいいんだろう。  だって、まさか泣かせてしまうなんて、そんなこと想像もしていなかった。  好きだと思ってくれている事にも全然気が付かなくて、自分のしてしまった事を考えると心臓が止まりそうになる。  東条さんがここまで言ってくれているのに、誤解されたままなのは嫌だ。  言うべきことじゃないって思っていたはずなのに、一度口から零れてしまうともう止められない。 「……わ、私は、ずっと東条さんが好きで……」 「は……」 「好きだけど、困らせると思って何も言えなくて……。番にしてもらえないのも、好かれてないからだって思ってて、いつもヒートに付き合わせるの嫌そうなのに、それが申し訳なくて……」  何を言ってもただの言い訳にしか聞こえない。  それでも、由莉が伝えたかったことは、曲がることなく東条に届いたのだろう。  少しだけ二人の間に距離が空き、東条がじっと由莉を見下ろす。  ただ、その瞳には光がない。 「……大事にしてたつもりだった」  ぽつりと落とされた言葉には覇気がない。  ただ本当に口から零れ落ちたと、そんな調子で東条が言葉を落としていく。 「俺は君より五つも歳が上で拒絶されてもおかしくないのに、一人で焦って勝手に婚約まで決めた。立場的に君から拒むのは難しいだろうから、せめて君の気持ちが俺に向くまで、俺の都合で番にするのはやめておこうって決めてた」 「とう……」 「ヒートで熱に浮かされた状態でも、好きとも番になりたいとも言ってくれないから嫌なんだと思ってた。だからこれ以上嫌われないようにずっと我慢して、君が俺を好きだって言うまでは手を出さないようにしてた」  由莉が言葉を挟む隙がない。  そもそも何を言っていいのか分からず、ただ静かに息を飲んだ。  ゆっくりと伸ばされた東条の指先が由莉の首筋に触れる。  逃げることも拒むことも、動くことさえ出来なかった。 「抱いたりしたら理性なんて無くなって、君が嫌がってても無理やり自分の番にするだろうって思ってた。だからヒート中も君が善くなることだけしようとして、抑制剤飲んでフェロモンに反応しないように理性保って必死で耐えただけ。俺がしたいって言ったら君は拒めないから言わなかっただけで、本気でずっと抱きたかったし、さっさと噛みたかったよ」 「……っ、抑制剤、私には使うなって言ってたのに……」 「ヒートに充てられたら抗えないし、俺の身体に負担かかるくらいなら別にどうでもいいだろ。そんなもの使わないで、さっさと噛んでおけばよかったけど」  私はオメガで、アルファじゃない。  だけど、強い抑制剤を使えばそれだけ体に負担が掛かることくらいは、身をもって知っている。  ヒート中のオメガの匂いに抗う為にどれだけ強い薬を服用していたのか、想像するだけで恐ろしい。  それを由莉のために耐えてくれていたのに、何も知らずに勝手に被害者ぶって裏切ってしまったのかと思うと、罪悪感で押し潰されそうになる。 「はー……もう、この場を誤魔化すだけの嘘でもなんでもいいか。君は俺を好きだって言った」 「……ほ、ホントです。嘘なんかじゃ、」 「俺も君以外いらない。同じ気持ちでいてくれたならもういいだろ。早く、全部返してくれ」  返せと言われても、由莉の意思で返せるものなんて何もない。  そんな事は東条も分かっているから、返事を待つつもりなんてなかったのだろう。  膝裏に腕が回されたかと思うと急に横抱きにされ、由莉の身体が地面から離れる。  そのまま歩き出した東条に、由莉は慌てて声を掛けた。 「ま、待って。なに……どこに……」 「誰の番になっても妊娠は出来る。俺との子供が出来たら流石に相手も諦めるんじゃないか」 「は……」 「君も、そうなったら他の男のところになんて行けないだろ」  言われた意味を理解すると同時にひゅっと喉が鳴った。  カタカタと身体が震えだすが、それに構わず東条は由莉を抱いたままリビングを後にする。  ヒート期間中にいつも寝泊りしている部屋なのに、初めてここに入った日より今の方がずっと怖い。  この部屋に二人で入ってする事なんて、一つしか思いつかなかった。  扉が閉まり、灯りもついていない室内は真っ暗で周りがよく見えない。  背中がマットレスに沈む感覚だけが鮮明に感じられて、二人分の重みでベッドが軋んだ音だけがやけに大きく聞こえた気がした。
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