違う匂い

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 自分が今どんな顔をしているのか分からない。だけど誰から見ても、決して良い表情はしていないのだろう。 「……嫌いな男に抱かれるの、そんな顔するくらい辛かった?」  酷く、苦しそうな顔で。嘲るようにそう言われ、心臓が止まりそうになった。  まるで自傷行為でもしているみたいだ。言った本人が、なぜか一番傷ついた顔をしている。  身体が、本能が、他のアルファを拒む。  だけど私は、東条さんにそんな顔をさせたくて彼の家に来たわけじゃない。  傷つけたいなんて、思っていないの。  ちゃんと話して安心させて終わりにしたいって、それだけを願って会いに来たのだ。  この誤解が東条さんを傷付けているなら、そうじゃないってちゃんと否定したい。 「……き、嫌いなんかじゃない」 「嘘吐き」 「っほんとに、東条さんが好きで、これは絶対に嘘じゃない……!」  今だって、こんなに酷い行為の後なのに、嫌いになんてなれなかった。  こんなことを言って、自分でも何がしたいのか分からない。だけどちゃんと伝えないと絶対に後悔する。 「信じて……」  弱々しく伸ばした左手で、縋るように東条の小指を握った。  瞬間、ひゅっと小さく息を吸う音が耳に届く。  東条に触れていた左腕をそのまま強く引かれ、顔が近付いたと思うと同時に唇が触れていた。 「……愛してる」 「とう、」 「愛してる、愛してる、愛してる。絶対に俺の方が君のことを愛してる……!」  苦しそうに何度も同じ言葉を吐き出し、東条がボロボロと涙を落とす。  加減することも出来ないのか、由莉の腕を掴む手に更に力が籠った。   「戻ってきてくれるなら優しくする。今までみたいにする。頼むから、さっさと番、解消してくれ」  泣きながら落とされる言葉が何よりも痛い。  縋るように掻き抱かれ、由莉の項に東条の指が触れた。 「なぁ、愛してるんだ……」  私もだよって伝えて、抱きしめ返すことが出来たら良かった。  ずっと言って欲しかったセリフなのに、どうしてこんな、泣くことしか出来ないんだろう。
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