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完全に一分以上経過してから東条はリビングに入ったが、ソファで脚を組んでいる女が時間について言及することはなかった。
顔を合わせて早々に本題といった感じで、「あの子が運命の番の子?」と東条に向かって話を切り出す。
「向こうから告白されるまで手は出さないって言ってなかった? 完全に襲ってるように見えたけど、アンタ何してたの?」
「……他の奴に食われた」
「は?」
「二年耐えて大事にしてきたつもりだったけど何も伝わってなかった。俺のために他に番作ったとか意味分からないこと言って、その口で好きな人と幸せになってほしいとか言ってくるから……多分、どっかでキレた」
「は、我慢してたも何も、全部アンタの独り善がりじゃない。で、その結果があの惨状なワケ? 相手が嫌がったら即刻やめなさいよクズ」
「頭に血が昇ってたとはいえ自分でも引いてる。……一度触ったら止まらなかった」
深く溜息を吐きながら東条もソファに腰を掛ける。その正面に座る女は、腕を組んで背凭れに寄り掛かった。
「で、今後どうするつもり?」
「このまま結婚する」
「はぁ?」
「紙一枚出せば終わりだろ。もういい、待たない」
「うっわ……」
心底理解できないとでも言いたげに顔を歪める女を前にして、東条は一切表情を変えない。
無表情に淡々と喋るだけ。誰の意見も耳に入れるつもりはないのだと、その顔が物語っている。
「姉さんが来てくれたおかげで頭が冷えたし、あれ以上由莉を傷付けずに済んで感謝してる。無理に抱いて泣かせた事は誠心誠意謝るけど、そのまま手放せるかっていうのは別問題」
「全然冷えてないわよ。一回落ち着け」
「俺は冷静だしもう落ち着いてる。婚約してるんだから何も問題ないし、これが一番良い方法だろ」
こうと決めたら絶対に譲らないことを、東条の姉である一華はよく知っていた。
しかしこの件に関わっているのは立場の弱いオメガの女の子だ。人の意思や尊厳を無視して、お前の一方的な歪んだ恋情に巻き込むなと頭を殴ってやりたい。
まあ、殴っただけで意見を変えないことは明白なので、一華はとりあえず拳を収めて説得を試みる。
「気持ちが欲しいから待つって言ってたのアンタでしょ。ブレてんじゃないわよ」
「そのつもりだったし、由莉の気持ちを尊重して何か言われたら身を引こうと思ってたよ。昨日までは」
「だったら……」
「でも実際に別れたいって言われたら無理だった。他の奴に触られて幸せそうにしてる由莉見るくらいなら俺の横でずっと泣かせた方がマシ。そうしないために努力はするけど」
「うわ、最っ悪……」
「別に何言われてもいい。好きとか嫌いなんていくらでも変わっていくし、一緒にいてくれたらそこからどうにでも出来るだろ。大体、カラー着けられてるオメガに近付いて襲う奴がまともなわけがないんだ」
アンタも十分まともじゃないと一華が言い返すより先に、「もういいか?」と東条が話を切り上げる。
「あとは二人で話し合うから一旦帰ってくれ。結婚決めたら正式に顔合わせの場作って紹介するから」
「はぁ?」
「姉の前で好きな子を口説けるわけないだろ。横から口を挟まれたくもない」
「こんな話を聞いた後で帰れるワケないでしょ。嫌よ、弟が性犯罪者になるの」
「じゃあせめて別室にいてくれ。この場で手を出すつもりはないし、悲鳴とか聞こえたらすぐ入ってくれていいから。今は二人にして」
しばらく言い合いを続けた後、結局折れたのは一華の方だった。
隣の部屋で待機するから話し合い以上のことはするなと釘を刺し、一旦リビングから退室する。
偶然にも、それと同じタイミング。
脱衣所から出たばかりの由莉が、ピタリと廊下で足を止める。
リビングで二人が何を話していたのかなんて全く知らず、色々と誤解したままの由莉が、東条よりも先に一華と廊下で鉢合わせてしまった。
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