第八章 ①⓪②

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第八章 ①⓪②

夕方になると河川敷の道路は交通量が多くなる。 中型トラックがやっと通れるくらいの一方通行の道路だけど、道幅は狭くおまけに歩道もガードレールもないから、交通量が多い時の時間帯の歩行はかなり危険だった。 そんな時間帯の時、歩行者は車を避ける為に土手に片足を踏み入れ身体を斜めにしながら歩いたりしている。 自転車の場合はそうはいかないから、車道を走るが背後から来る車にいきなりクラクションを鳴らされたり煽られたりして土手に転がり落ちたりする事故も多発しているようだった。 土手の反対側は民家や小さな田畑があるけど何故かそちら側へ転がり落ちた話は聞いた事がなかった。 その道路に差し掛かると永剛はすぐさま土手を降りて行った。そしてウシガエルを捕まえた時と同じように川縁へ向かって進んだ。 しばらく探したがウシガエルを見つける事が出来なかった。仕方なく帰ろうと思った矢先、空がゴロゴロと鳴り出した。いつしか生暖かい風も吹き出している。永剛は足を止め伸びた草むらの中から空を見上げた。 白い雲が風に流されそれを捕まえようと真っ黒な雲が追いかけている。あっという間に空は黒く厚い雲に覆われていった。 額にポツリと滴が落ちたかと思うと直ぐに大粒の雨が降り出した。永剛は草を掻き分けながら遠くに見える陸橋へ向けて走り出した。陸橋下に着いた頃には既に全身雨に打たれてびしょ濡れだった。 坊主頭についた水滴を払い、制服のシャツを脱ぎ横に広げ大きく振った。辺りを見渡すと廃棄された物だろうか。工事用の資材置き場として使っていたと思われる木材の板が積み重なっていた。永剛はそちらに足を向け、シャツを陸橋の脚から飛び出した錆びた鉄筋にかけて板の上に腰を下ろした。 しばらくの間、激しく降り荒ぶ雨を永剛は眺めていた。河川をみるとかなり水嵩が増して来ている。まだ氾濫するほどではないと思うが、勢いを増した河川はまるで大きく口を開けた巨大なアンコウのようだ。それらが群れをなして泳いでいく。永剛は鞄を腿の上に置き中を確かめた。教科書やノートは濡れていないようだ。 こんな時、本でもあれば良い時間潰しになるのだけれど、生憎、今日は図書室へは行かなかった。特別、読みたい本などはなかったが、それはいつもの事だった。 本を選ぶ基準というものは永剛にはなかった。目についた物を手に取る、いつもそうだった。本の方から私を読んでと話しかけてくる、そんな事を言っていたクラスメイトの女子が小学生の頃にいたが、名前は忘れてしまった。 確か6年の時に転校したのではなかったか。そんな事を思い出しながら永剛は雨が止むのを待っていた。既に辺りは暗くなり、道路を走る車のライトが目につく頃になってようやく雨が上がった。永剛はまだ濡れているシャツを着て、陸橋の下から出て行った。 滑って転ばないようぬかるんだ足下に気をつけながら土手を登って行く。この時間帯ならそろそろ母が帰宅してくる頃だ。家にいない永剛の事を母はどう思うだろう。母が帰宅するまで家にいなかったという事は今まで一度もなかった。 だから永剛にはその事が、母がどう思うか気にはなった。だが土手を登り切る手前で、その考えは頭から消え去って行った。 何故なら、目の前を走り去る車のライトに照らされた数匹のウシガエルの姿を見つけたからだ。ウシガエルは土手と道路の間に止まっていた。鳴くわけでもなく、ただ道路の向こう側を見ているように永剛には感じられた。 永剛は身を低くしウシガエルへ手を伸ばそうとしたその時、ウシガエルは永剛の手から逃れようと、道路へ向かってジャンプした。感の鋭い奴だなぁ。永剛は呟きながらそのウシガエルの察知能力に関心しながら土手を登り切った。 その永剛の気配で又、ウシガエルは道路の進行方向へ向けてジャンプした。右手から黄色いライトが近づいてくる。警告を告げるクラクションが鳴らされ、永剛は身をすくめながらライトに目を伏せた。 車がライトの角度を下げ目の前を通り過ぎようとした瞬間、視界の隅にウシガエルの姿が目に入った。 と、同時に車の左前輪がウシガエルの後方に迫った。永剛は身を屈め、睨むように左前輪を見つめた。あっという間の出来事だった。車はウシガエルの存在にすら気付かず、ウシガエルの上を通過して行った。後に残ったのは、轢かれた時に上げたウシガエルの奇妙な鳴き声だけだった。 永剛はすぐさまそちらに駆け寄った。車に轢き殺されたウシガエルの姿は完璧と言って良かった。鼓動が高鳴り、吐く息も荒くなった。下半身がむず痒くなり、勃起するぞとペニスが永剛に訴えて来る。永剛はそんなペニスに構わなかった。勃起するに任せた。 ズボンの前が膨らんで行く。その間も永剛はウシガエルの死骸から目が離せなかった。 全く無駄のない「潰し」だった。永剛はまだ暖かいペシャンコに潰されたウシガエルの死骸の足を掴み顔の辺りまで持ち上げた。その姿を永剛は顔の前で回転させたり下から覗いたりした。ウシガエルの横腹が裂けているのはそこから内臓が飛び出したのかも知れない。 永剛はしばらく観察した後、その死骸を土手の方へ放り捨てた。そして車に気をつけながら、家のある方へ向け道路を歩いて行った。1匹いたらなら、別なウシガエルも道路に出てきているかも知れないと思ったからだ。 永剛はもう一度、いや、何度でもウシガエルが車に轢かれる所を見てみたいと思った。完璧な「潰し」の瞬間を何度も何度も、目に焼き付くまで見ていたかった。 ただ、「潰し」は完璧でもその前の「叩く」が車にはなかった。永剛はその辺りに転がっている石を拾った。車が来ない事を確認した後、道路に向かってその石を放り投げた。この時、永剛の中にはしっかりとしたヴィジョンが見えていた。 その映像は頭の中で繰り返し再生されていく。その都度、投げた石はウシガエルや昆虫、小動物に至り、最後は産まれたばかりの赤ん坊へと変化していった。イメージとしてはこうだった。投げ捨てた生物が車に跳ねられる。宙を舞って地面に落ちる。同時に踏み潰される、というイメージだ。 だがそこで永剛はある事に気づいた。跳ねられて、その身体が飛ぶまではいい。だが車のタイヤに潰されるには、別の後続車が必要となる。つまり「叩く、潰す」には一台の車では無理だという事だった。 それは美しくなかった。「叩く」と「潰す」は同時かはたまた、続か無ければならなかった。それが望ましかった。一台の車でその2つの工程を行わなければならないとなると、やはり跳ねて引き返し轢き殺すしか無さそうだ。 だが下手すれば跳ねられるだけで終わるかも知れない。バックで轢き殺す時、綺麗に潰せないとそれはとても格好が悪い。永剛は家にたどり着くまで、何が正解なのか?と必死に考えていた。 結局、カエルが轢き殺される所を見れたのはその1回限りだった。気落ちしたわけではなかったが、肩透かしを食らったみたいでやり切れない思いが永剛の胸の中でシコリのような塊となっていた。もやもやした気持ちで家の前まで来ると窓から明かりが漏れていた。既に母は帰宅しているようだった。 「ただいま」 永剛が言うが返事はなかった。いつもなら玄関が開き母が帰って来た事に気付くと、永剛の方から「お帰りなさい」と言うが、その時の母も今日と同じく返事はしなかった。絶対に「ただいま」とは言わなかった。機嫌が良かろうが悪かろうがそれはほぼ変わらなかった。 立場が変わった今日も母は相変わらず返事をしなかった。それはそれでいつもの事と思い永剛は気にしなかった。 靴を脱ぎ部屋に向かって廊下を進むとそこに集まっていたゴキブリ達が一斉に永剛の為に道を開けて行った。永剛が過ぎ去るとゴキブリ達はまるでそこに美味しい餌でもあるかのように、再び廊下の中央へと集まり出して行く。 台所では既に母が何かを摘みながらビールを飲んでいた。流し台に背を預け広げた両足を伸ばしていた。 入って来た永剛を認めると、母は下から舐めるように凄い形相で睨みつけていた。 自分より先に永剛が帰宅していなかった事が不満なのかも知れない。永剛はそんな母の視線を気づかぬフリで誤魔化した。敷きっぱなしの母の布団を踏みながら、押し入れの前に来ると、鞄をその中に置き制服を脱いだ。ハンガーにかけて下着を脱ぐ。干してある新しい下着を身につけて風呂場へと向かった。 「こんな時間までどこほっつき歩いてたんだい?」 新たなビールを寄越せと永剛に向かって冷蔵庫を指差した。瓶ビールを取り出し、栓を開けコップに注ぐ。ちゃぶ台には既に3本の空き瓶があった。だが永剛は飲み過ぎだとは注意しなかった。母が稼いだお金で買うのだから子供の僕が文句を言える立場にはなかった。 「雨が凄かったから、雨宿りしてたんだ」 永剛はいい掛け時計に目をやった。 もう直ぐ7時半になろうとしている。 普通の中学1年であれば、この時間帯に家に帰宅していなくても文句を言われたりはしないのに、と永剛は思った。 部活や塾、はたまた習い事などでこれ以上遅い時間に帰ってくる事だってある筈だ。だが母は明らかに自分より遅く帰宅した永剛に対して不満があるように思えた。 「雨宿り?」 「うん」 言いながら風呂場へ向かおうとすると、いきなり母が殻のビール瓶を永剛に向けて投げつけた。瓶は永剛の背中を掠め壁に穴を開け床に落ちた。 「夕飯を作って待ってるのがお前の役目だろう!」 中学に入って、夕飯は自分で好きなようにしろと言ったのは母だった。だから自分も母もそれぞれ勝手に夕飯を取っていた。なのに母のこの無茶苦茶な言い草は何だ。イラッとしたが、永剛は堪えてビール瓶を拾うとそれを流し台の上に置いて風呂場へと向かった。 下着を着け置きにして身体を洗った。 高校を卒業するまでは、母に逆らってはいけない。どれだけ痛い目に遭わされても、そこは我慢しなければならなかった。 母は様々な社会のストレスと対峙しながら永剛の為に学費を稼いでくれているのだ。頭を洗いながらそう思うが、反面、車に跳ねられ轢き殺される母の姿が頭の中に浮かび上がる。跳ねては戻り、そして轢く。母が綺麗に潰れるまでそれが繰り返し行われる。 その車を運転しているのは永剛自身だった。それが永剛を驚かせた。自分は母を殺したい程、憎んでいるのだろうか?いやそうではない。さっきはイラッとしたが、今までも母を殺したいと思った事は1度もなかった。恐らくそのような映像が自分の頭に浮かんで来たのは、きっとこれは母本人が望んでいる事なのだからだろう。 心の深い場所で母は永剛に美しく潰される事を望んでいるのだ。でなければ、今まで叩き潰すという行為そのものを永剛に見せるわけがなかった。そして母は永剛自身の身体を使い、人は叩いても簡単に潰せない事を身をもって示して来たのだ。おまけに自分には母のように綺麗で細くて長い手を持っていない。だからそのような方法でしか母を美しく潰す事が出来ないのだ。そうか。今までの母の行為は永剛にその事を伝える為にあったのだ。 だから母はその日が来る時を思い、わざと永剛に辛く当たる事があるのかも知れない。怒りや憎しみが増せば増すほど、迷いが無くなるからだ。 永剛は身体にお湯をかけ石鹸を洗い流した。 ペニスに触れると直ぐに勃起した。 永剛は濡れた身体もそのままにして、風呂場から出て行った。勃起したまま母の前に立つ。 母は不適な笑みを浮かべながら永剛のペニスをその美しい手で叩いた。そしてビール瓶を手に持ち、起き上がると永剛に流し台を指差した。 流し台の縁に両手を付き、お尻を母の方へと突き出した。母は永剛のお尻の割れ目に沿ってビール瓶の口を這わして行く。2往復した後で母は言った。 「みぃ〜つけた」 母はいい、迷わず永剛の肛門の中へとビール瓶を押し込んだ。そして母が力を込めて突くと、永剛の背骨から首筋にかけ、電流のような痺れが走った。思わず漏れた声に車に潰されたウシガエルが出したその声とそっくりだと永剛は思った。
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