第八章 ①⓪③

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第八章 ①⓪③

梅雨に入ると永剛は帰宅時間を少し遅らせる為に、必ず帰る前に図書室に寄った。 そこで宿題を済ませたり、適当に選んだ本を読む事で時間を潰した。そして下校時刻ギリギリに図書室を出て河川へと向かった。そこへ向かう理由は1つしかなかった。 カエルが車に轢き殺されるのを見る為だ。薄暗い中、傘を差して土手に腰を下ろす。カエルがいなければ捕まえて来て、走る車へ向けて放り投げた。タイミングが悪いとカエルはボンネットやフロントガラスに当たり、変な方へとカエルが飛ばされたりした。そのようなカエルは決まって上手く潰れる事はなかったし、ガラスに当たったくらいでは死ななかった。死に損ないのカエルに対し永剛は容赦しなかった。車が走り抜けるのを待ってからカエルを探しに行き、見つけ次第、踏み潰した。 そして又、元の位置に戻り、車が通るのを待った。梅雨時期の約3週間、永剛は土日以外、毎日そこへ通ってはカエルが潰されて行く様を眺めた。思い描いた通りにいかない事ばかりだったが、全く苦にはならなかった。 成功した時の喜びが既に永剛の内にあり、いつか上手く行く事がわかっていたからだ。1番最初に上手くいったのは7月も半ばを過ぎたころだった。その時は理科の実験で使ったウシガエルより2倍はある大きさのものだった。 まるで河川の主を思わせる重さと風格がそのウシガエルにはあった。捕まえ握っても他のカエルのように足をダラリと垂らすような、惨めな姿にはならなかった。 まさにウシガエルの王だった。その王ガエルを持ち永剛は車が来るのを待った。最初に来たのは中型のトラックだった。この頃になると投げるタイミングもわかり出していて、ミスも少なくなっていた。永剛はトラックが近づくと下手投げでその王ガエルを道路へ向けて放り投げた。 王ガエルはトラックの左前のバンパーにぶつかり地面に落ちた。それを後ろのタイヤが見事に踏み潰していったのだ。直ぐに死骸を確認しに行くと、流石としか言いようのない姿で王ガエルは永剛を迎えた。 綺麗にぺちゃんこに潰されたにも関わらず、そのウシガエルはまだ、生きていた。前足を微かに動かしながら、飛び出した自分の目玉に触れようと足掻いていたのだ。 勿論、それは気のせいかも知れないが永剛の目にはそのように映った。永剛はそのようなウシガエルの王を拾い上げ死骸を持った手を背後に回し、円盤投げのようにしてそのウシガエルを河川へ向けて投げ捨てた。 その成功から幾日かは繰り返しカエルを潰しに河川へと向かった。ほとんど成功はしなかったが、既に王ガエルの成功があった為に永剛は失敗を残念がる事はなかった。 梅雨明けと同時に永剛はカエルを捕まえる事を止めた。飽きたというのが1番の理由だった。 その間、遠藤冴子を筆頭に、クラスメイトは全員、永剛から一定の距離を取るようになっていた。まるでこのクラスには英永剛という人間は存在していないという風に誰一人として目も合わさなかった。生徒全員がそんな風だからいつしか担任もそれにならうようになっていった。 その原因は永剛の母の存在も関係していた。 クラスで問題となった理科の実験以降、担任は母と連絡を取ろうとしていたようだった。だが母はそれらを一切無視した。自宅にも来たらしいが、その事を永剛は知らなかった。 永剛の知らない所で、担任と母の間で、そのような事が繰り返し行われていたようだった。その結果、担任までも永剛を空気のような存在と見做すようになったようだった。 永剛にとってそれは願ったり叶ったりだった。誰にも邪魔されず勉強に集中出来た。図書室で読みたい本も読めた。嫌がらせや言葉のイジメ、直接的な暴力なども行われなかった。画鋲椅子の件が周りの生徒達の抑止力になったのかも知れない。 終業式を終え明日から夏休みに入るという午後、永剛は久しぶりに河川の方を通って帰宅する事にした。 土手を降り草むらを掻き分け川へと向かう。梅雨が明けたせいか、ぬかるんだ箇所はほとんどなかった。腰を屈め川面に手を伸ばす。冷んやりとした水が指先に伝わり、真夏の暑さを少しだけ和らげてくれた。 しばらく川に手を入れ戯れていると、突然、背後でクラクションが鳴らされた。けたたましい音が幾つか重なり、それが繰り返し鳴らされている。永剛は川から手を引き上げ立ち上がった。ズボンで濡れた手を拭きながら音がした方を振り返った。通常、通ってはいけない筈の大型トラックが細い道路をかなりの速度で走っていく。 よく見るとその大型トラックは蛇行運転をしながらその道を進んでいた。ここからでは運転席はよく見えないが恐らく居眠り運転だと永剛は思った。 土手付近を歩く人達が、一斉に土手を駆け降りてくる。悲鳴とトラックの後ろを走っていた車のクラクションが重なる。後続車は巻き込まれるのを恐れその場に止まった。大型トラックは尚も蛇行し進んで行く。その向かってくる大型トラックを避けようとして自転車に乗ったお爺さんがバランスを崩した。前輪が土手の方へと向き自転車が角度をつけて降りだす。慌てたお爺さんは必死にハンドルを握り左右に揺れながらバランスを戻そうとした。声を上げると同時に自転車もろとも横倒しになった。 転んだ拍子に頭を土手にぶつけその拍子にハンドルから手が離れ、自転車から放り出された。転がり落ちるお爺さんの身体の上に自転車が重なり身体の上に載せたままお爺さんは土手を滑り落ちていった。 大型トラックは勢いをそのままに蛇行を繰り返していた。永剛は川縁から離れる為に伸びた雑草を掻き分けた。その時、トラックのキャビンが土手側へ向かって急激に曲がって来た。いきなりハンドルが切られたのかも知れない。キャビンが土手へと突っ込んでいく。 荷台が斜めに傾く。キャビンが土手を滑る中、荷台が道路上で横倒しになった。その荷台に数人が跳ねられた。悲鳴が上がる中、荷台が地面を横滑りする。そのまま土手へと向かって行き、土手を滑り落ちて行った。 その先には自転車に乗っていたお爺さんが倒れていた。お爺さんは身体に乗った自転車を退かそうと必死に足掻いている。そこへ大型トラックの荷台が突っ込んで来た。荷台の天井部分がお爺さんに当たりドンっという鈍い音を上げた。と共にお爺さんと自転車が跳ねられた。 お爺さんの首が変な方向へ曲がり自転車と共に土手を転がっていく。それを追いかけるように大型トラックの荷台が土手を滑り落ちていった。土手下に着く手前でキャビンが突起物にぶつかり跳ねた。その衝撃で運転席のキャビンは浮き、地面に当たると同時にフロントガラスが割れた。そこから運転手が放り出され背中から地面にぶつかった。身体が飛び上がり空中で反り返った。 再び地面に叩きつけられ運転手はそのまま動かなくなった。滑り落ちる大型トラックが永剛の直ぐ目の前まで来ていた。永剛は変な声を上げながら慌ててその場から駆け出した。キャビンが跳ねたせいで滑り落ちる荷台もバウンドし、地面との接着面である荷台の横側が浮き上がった。その先には自転車と倒れたお爺さんがいた。 その上へ目掛け荷台が覆いかぶさった。意識を失ったお爺さんは差し迫る鉄の塊に気づく間も無く、自転車もろとも荷台に押しつぶされた。尚も止まらない巨大な鉄の塊は空気を切り裂きながら逃げる永剛の足を掠め、川へと突っ込んだ。激しい音と共に川面から水飛沫が上がる。すんでのところで難を逃れた永剛は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。舞い上がった水飛沫は太陽の光に照らされ噴水のようにキラキラと光り、見上げる永剛の身体へ降り注いだ。 警察と救急車が到着したのは、事故から30分も経った頃だった。それまでの間、永剛はトラックの荷台に近づいて押し潰されたお爺さんを探した。土の色より濃い血が横倒しになった荷台の中央から流れ出ていた。だが、肝心のお爺さんの死体を見ることは出来なかった。絶対にこのお爺さんはあのウシガエルの綺麗に潰されている筈だ。見てみたい。その欲求が永剛の中で膨れ破裂した。気づくと永剛は地面を掘っていた。それは警察や救急隊が来るまで行われた。 「危ないから離れなさい!」 警察官に身体を掴まれ持ち上げられた。永剛は警察官の腕の中で、暴れながら叫んだ。 「この下にお爺さんがいるんだ!早く助けなきゃ死んじゃうよ!」 永剛は自分が何を言っているか充分わかっていた。この一言をいう事で警察官は下敷きにされた老人がこの子供の身内なのか、と思う筈だと理解していたのだ。そうする事でトラックの荷台がクレーンで吊り上げられる間も、側を離れずに済む事も計算ずくだった。上手くいけば、身元確認もさせてくれるかも知れない。 永剛の思惑はまんまと上手くいった。 「酷いから見ない方がいい」 と、救急隊と警察官に止められたが、ここでも永剛は引き下がらなかった。 「お爺ちゃん!お爺ちゃん!」 泣き喚いて見せた。警察官の腕を払い退け潰れた死体へ近づこうと走り出した。 「その子を止めろ!」 声を聞き荷台の側にいた救急隊員が向かってける永剛のベルトを掴んだ。永剛は身じろぎしながら潰れたお爺さんの死体を見た。すかさず口に手を当てた。笑っている事に気づかれない為だった。凄い。凄い。凄いぞ。お爺さんは完璧に潰れていた。 頭蓋は割れ裂けた頭皮に脳みそが付着している。最後に何かを伝えたかったのか、お爺さんの大きく開いた口の側には複数の折れた歯が散らばっていた。カエルの卵のような眼球は飛び出し、そこへ蟻が集まっていた。背中から皮膚を破り骨が突き出ていた。救急隊員が永剛を現場から引き摺り出す。永剛は下を向き両手で顔を覆った。 完全に浮かんだ笑顔を抑える事が出来なかった。今にも笑い出しそうだった。永剛は手の裏で必死に声を出さないよう堪えた。もう一度、お爺ちゃん!と叫びたかった。それで警察官も救急隊員も、一生忘れられない事故としてその記憶を胸に刻むだろう。 だが、出来なかった。叫べなかった。全身が震えて止まらない。勿論、楽しすぎるからだ。面白すぎるからだった。腹を抱えて笑いたかった。尊敬だ。今日、この場に自転車で通りかかったお爺さんに感謝だ。くだらない人生の筈なのに、よく今日まで生きてくれた。お爺さん、あんたはこれを僕に見せる為だけに長生きしたんだ。出来たんだ。良かったじゃないか。 感謝しても仕切れない喜びと興奮が永剛の全ての細胞へ訴えてくる。このような崇高な死を迎えられ感謝しろ。とっくの昔からあんたが生きている価値などなかったんだ。それが最後に1発逆転だ。きっと完璧な最後を選べたあんたの事は僕を含めた誰かに永遠に語り継がれるだろう。 永剛は笑いが落ち着いて来ると、ゆっくり後退った。警察や救急隊の目を盗み永剛は河川から姿を消した。
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