第八章 ①⓪④

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第八章 ①⓪④

夏休みに入って直ぐ母が帰って来なくなった。 既に4日経っているが、その事自体、永剛は何とも思わなかった。 ただ冷蔵庫の中の物は殆ど食べてしまい今は水と麦茶しか入っていない。インスタント食品も幾ら残っているが、それも母が来週中に帰って来なければ確実に底をつくのが目に見えて明らかだった。 永剛には手持ちのお金などなかった。お小遣いも貰っていない為、足りない分を補う事は出来なかった。 お金がないとこの先、自分がどうなるかという事くらい容易に想像がついた。永剛は今、やるべき事が何なのかと真剣に考えた。町内会の人に母が帰って来ないと助けを求めるべきか。いやそれはダメだ。 そもそも母も自分も町内会の行事には参加していない。勿論、家はさほど近くはないが、近所付き合いもしていない。むしろこちらから無視をし嫌われているくらいだ。永剛が近所や町内会の人達と顔を合わせたのは、多分、小学生時代の夏休みのラジオ体操くらいだ。 それ以来誰とも会話もしていないし、見かけても挨拶もしなかった。それに家の床下には父が眠っている。 少なからずこの家から父が居なくなった事はとっくの昔に気づかれている筈だ。わざわざこの家に呼んで痛い腹を探られたくもなかった。 つまり町内会に助けを求めるのは却下という事だった。 警察に捜索願い?あり得ない。 家に警察が来たりすればあっという間に町内会に噂が広まるに決まっている。そうなるとおしゃべりな奴らが父の事も口走る筈だ。例え警察に父の事がバレなくても、面倒なのは間違いない。 町役場や市役所に行く手もある。ただやはりそこで問題になるのはまだ自分は未成年だという事だった。養護施設に入るにしても恐らく簡単に話は進まないだろう。そこまで考えて永剛は「まだ、4日じゃないか」と思うようにした。 だからといって何もしないわけではなかった。 ガムテープとバール、そして懐中電灯を持ち、父が仕事用に使っていた腰袋の中に入れた。今日の深夜、決行だ。それまでに母が、戻って来れば延期するつもりだった。永剛は腰袋一式を押し入れの中に入れ、その準備を整えた。 いつもの帰宅時間になっても、母が帰って来る事はなかった。壁時計を見上げもう30分だけ待ってみよう、を3度繰り返してようやく諦めがついた。 母が帰って来ない理由が新しい男が出来たからなのか、それとも別な理由があるのかはわからないが、とにかくもう待っている事は出来なかった。 永剛は父の衣服の中で1番、暗い色の服を選んだ。自分自身を夜の闇に紛れ込ます為だ。一旦、試着した後で再びブリーフとランニングシャツといったいつもの姿に戻った。 母が使っている目覚まし時計を夜中の2時にセットして家の明かりを消した。押し入れに入り懐中電灯をつける。永剛は身体をくの字に折り曲げ目を閉じた。真夏の押し入れの中は確かに暑いが、付近に山があるお陰か、夜は窓を開けていれば涼しい風が入って来て、扇風機やクーラーもいらなかった。その風にあたりながら永剛は少しばかり眠る事にした。 時刻通りに時計は鳴り、永剛は眠たい目を擦りながら押し入れから出た。服を着て用意していた腰袋を身につける。家を出ると夜空はやけに近い位置まで降りて来ているようで、手を伸ばせば星が掴めそうな気がした。 冷んやりとした風が頬を撫で、虫の鳴き声があちこちから聞こえまるで、劇場の中にいる感覚に陥りそうだった。サラウンドのように聞こえるその虫の声に、永剛はまだ見た事も行った事もない劇場やコンサート会場を思い馳せた。クラスの女子の中には、東京の原宿までアイドルのコンサートを観に行ったと話していた。それを耳にした時、永剛はアイドル?って何だ?と思った。普段全くTVを見ない永剛にとってその言葉は、授業でならう英語より聞きなれない言葉だった。 だから、女子の会話に耳を傾けて内容を知ろうとした。今ではアイドルの意味も理解はしたが、その会話で永剛自身の生活から程遠い世界がある事も思い知らされた。 それは歌というものであり、音楽であり、そのジャンルの世界だった。勿論、音楽の授業もあるから音楽自体はわかっている。だが、それは習うものとしか思っていなかったのだ。クラシック、ポップス、アイドル、ロック、ヘビィメタルといったジャンルがある事もクラスメイトの会話から知り得た情報だった。 興味はそそられたが、永剛の中で歌と言えるものは1つしかなかった為、それ以上調べるような事はしなかった。それに永剛にとって歌はラジオ体操だった。それが永剛が1番好きな歌だった。だから知りたいと思ったのはラジオ体操の歌がどのジャンルに当てはまるのかという事くらいなもので、それも熱中するほどではなかった。だからその事も直ぐに忘れてしまった。 永剛は星空の下、目的の場所へと足を向けた。田舎なせいで、街灯も殆どないが、慣れた道だから灯りが必要という程でもなかった。数分歩くと、目的の物が見えた。その長方形の物の前だけ白い灯りが広がっている。その灯り集まった蛾やカナブン達が辺りを飛んでいた。永剛はその長方形の自動販売機の前に立つと四方を見渡した。人影も人の気配も感じなかった。 永剛は腰袋からバールとガムテープを取り出した。肩幅大にガムテープを千切り粘着面が表側になるよう、バールに巻きつけた。自家製トリモチみたいな物だ。巻きつけ終わるとガムテープを腰袋にしまい、バールを片手にしゃがみが込んだ。そして懐中電灯を取り出し自動販売機の下を照らした。砂利やゴミが散乱する中、そこに数枚の小銭を見つけた。そして自動販売機の下へバールを押し込み左右に動かしバールを回したりしながら手前へと引いていった。 収穫は83円だった。それをガムテープから外しズボンのポケットに押し込む。ついでにお釣りが出てくる口に指を入れて撮り忘れがないか確かめた。なかったが気落ちはしなかった。 ガムテープをバールから剥がし丸めて上着の胸ポケットにしまう。ゴミとなったガムテープを直ぐに捨てたかったが、そこに捨てるとガムテープから自動販売機の持ち主に不審感を持たれたくなかった。これは自動販売機の下を漁った証拠品となるからだ。 永剛は次の自動販売機へ向かった。そして朝方近くまで漁り、2000円近く拾う事が出来た。永剛は尚も自動販売機を漁ろうと考えたが、辺りも明るくなり始めて来たので、帰宅する事にした。 幼い少年が作業着を着て工具など持って歩いているのを目撃でもされたら不審がられてしまう。網と虫籠なら誤魔化せるが、そのような格好ではない。それにこれは母が帰宅するまでの話だ。だから出来る限り人目にはつきたくなかった。永剛は家に着くと小銭を段ボールの本棚の下に置いた。そしてそのまま又、眠りに落ちて行った。
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