第九章 ①⓪⑦

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第九章 ①⓪⑦

2学期が始まって1週間が過ぎた夕方、自宅玄関の前に宅配物が置かれていた。永剛は宅配物の前にしゃがみ込み送り主を確認した。 宛名の所には男性の名前が書かれてあったが、知らない名前だった。住所は未記入だった。だが、永剛は宛先が自分の名前になっていた為その宅配物を持ち家へと入って行った。 人から荷物が送られて来ると言うのは幼少期から殆どなかった為、宅配物と言うシステムはいまいち良くわかっていなかったが、届け先が留守だった場合は持ち帰るのではなかったか。 それが置きっぱなしと言う事は、送り主がそのようにするよう依頼したのかも知れない。 何となく予想はついていたが、やはり送り主は母からだった。現金3万円と缶詰や即席麺、カレー等のインスタント食品が詰められている。一応、自分の事を気にかけてくれている事に永剛は少しだけ嬉しく思った。 荷物を取り出し、流し台の籠に入れる。 1万円だけ抜いて残りのお金は押し入れの中の本の間に挟んだ。その後でお米だけ買いにスーパーへ行った。毎月、母から3万円が送られてくるのであれば逆算して1か月使える金額もわかるのだが、それをあてには出来なかった。食費だけでなく、そこから公共料金の支払いに充てなければならないからだった。 永剛は9月分の公共料金の事を踏まえ家にある全ての電化製品のコンセントを抜いた。明かりは懐中電灯で充分だ。TVだって殆ど見る事はない。飲み物は水とお茶がある。確かに9月はまだ暑くはあったが、特別冷えた飲み物を飲まなくても永剛は平気だった。お風呂は今まで通りシャワーで充分だ。母がいつ戻ってくるかわからないが、それまではこの方法でやりくりするしかない。 学校がある日は給食があるから良いが、その分残ったお金から給食費分を差し引いておかねばならなかった。10キロのお米代と給食費、そして公共料金を差し引くと大体2万円近く残る。永剛はその半分の1万円を貯金に回し、残りで食費を賄う事にした。 9月中旬、大型の台風が関東甲信越を直撃し、永剛の住む町も甚大な被害に見舞われた。幸い永剛の暮らす付近に河川はなく洪水に見舞われる事はなかった。夜中になると地鳴りが聞こえ目を覚ました。押し入れの中から出て窓を開けると少しはなれた場所の山が木々を薙ぎ倒し土砂崩れを起こしていた。 それらは次々と民家を押し潰し飲み込み山から崩れ落ちていった。だが運良く永剛の家は土砂崩れから免れる事が出来た。 前日、台風が直撃すると思われる時間帯から1時間遡った頃、この町へ緊急避難勧告が発動された。市役所の人間が車で町中を走り拡声器を使いアナウンスしたのを永剛も耳にした。避難場所として神社や寺、公民館などが指定の場所として伝えられたが、アナウンスを聞きながら神社や寺って近くに山があるのに大丈夫?と永剛は思った。 そのような心配はするくせに永剛はどこにも行かなかった。人はいつか死ぬ。それが早いか遅いかはその人の運命だろうし、豪雨災害で死ぬとしたら、誰もが同じ死に方をするんだろうなぁと漠然と永剛は考えていた。 例え、避難したとしても、その場所が被害に遭えば同じ事だった。それに生き延びたとしても、この家が潰されたら永剛は行く場所がない。なら、いっその事、この家と一緒に自分も潰された方が楽だと思った。だから避難勧告には従わなかった。 台風が通過してから4日目の昼に永剛は外出してみる事にした。2日前にはすっかり天気も良くなり、家の外から人の声も聞こえたりしていた。生存確認の為か、何度か家に尋ねて来た人もいたようだが、永剛は返事だけして玄関は開けなかった。無視しても良かったが、災害時は人助けの精神が高まり、おせっかいな人間が増える。 そういう人達を遠ざけるには生きている事を知らせなければなかった。だから永剛は風邪をひいて動けないと返事を返した。何故そのような嘘をついたのかと言えば、健康であれば被害に遭った人の手助けをさせられるのが嫌だったからだ。そんな事はしたくない。 自分が被害に遭ったなら自分で何とかすれば良いだけだ。他人の手を借りようなんてふざけた話だ。そう思い、永剛は仮病を使い更に2日間、家の中に引き篭もった。 だがさすがに引き篭って4日目となると家の周りがどのようにな状態になっているか知りたくなった。天災の力をこの目で見たかった。そして何人の人間が死んだのか知りたかった。その数によっては、未だ土砂に埋もれ発見されていない人間もいるかも知れない。その死体も見たくなり永剛は家を出た。 4日前の夕方から朝にかけての豪雨は嘘のようにあがり、空は青く澄み渡っていた。緩やかな風に雲が流されている。そんな空とは異なり所々、小高い丘くらいの高さの土砂が、崩された家の付近に集められていた。 人の行き来が出来るよう道を作る為に総出で作業したのだろう。それでもまだ所々は道が塞がれていた。土砂によって押し潰された民家の残骸が至る所に散乱している。瓦や、電化製品なども土砂塗れで、1箇所に集められていた。衣類などはまだ放置されている状況だった。 町の中心部から反対側へ、つまり山へと向かう方へ進めば、進むほど、豪雨の凄まじさを感じさせられた。土砂に押し流された木々や、それにより行き場を失った犬やキツネなどの死骸に蝿が集っている。その中に子牛も混ざっていた。このような情景を目の当たりにして永剛は自然の脅威に圧倒された。怖いというより単純に凄いと思った。 永剛は土砂を避け更に山の方へと向かって歩いた。進めば進むほど、土や木々の根っこの匂いが強くなって行く。腐敗臭は感じなかった。 そのような中を永剛は木々や土砂を避けながら更に先へと進んでいった。するとひしゃげた金網によって土砂が塞がれている場所にぶつかった。そこには木の電信柱が折れX状で倒れかかっていた。その金網から白いものが突き出ていた。永剛は近くに寄ってそれを眺めた。 人間の手だった。土で汚れてはいるが、5本の指にはマニキュアが塗られてある。手についた乾いた土を払いながら永剛はこの手の持ち主を不憫に思った。永剛はどうにかしてこの人を土砂から取り出してあげたいと思い、突き出た手の周りの土砂を掘り返した。二の腕が見えた頃、重さを確かめる為に、手を握り引っ張ってみた。 すると、驚くほど簡単にその手は土砂から抜けた。力を入れ過ぎていたのか勢い余って思わず転びそうになった程だ。少し力を入れた程度で簡単に抜けたのは理由があった。その手は肘下辺りから切断されていたのだ。傷口がギザギザになっている事から、あの折れた電信柱に潰されたか、突き刺さり切り裂かれたかのどっちかかなと永剛は思った。 手が抜けると、永剛は付近を見渡した。人影はない。傷口は土で汚れてはいるが、空気に触れていなかった為、傷みはそれほどでもなかった。永剛はその手をシャツの下に隠し、急いで家へと向かった。風呂場に向かい裸になり拾った手についた泥を洗い流した後、包丁を使い手首から下の腕を切り落とした。それをビニールの中にしまい、固く口を結んだ。その後でその手の指を勃起したペニスを握れるよう一本ずつ指を折り曲げて行った。  永剛は手首の下を掴みながらその手を激しく動かした。だが、全く気持ちよくなかった。やはり死んだ手ではペニスにあたる皮膚の接着面や温もりがない為、直ぐに萎えてしまった。だが中指を肛門に入れてみると、そこそこ気持ちが良かった。だからその手を使い、2回程、抜いた。 そして夜になると父の工具箱から金槌を取り出した。居間に戻り畳の上にゴミ袋を敷いた。そして拾って来た手を床に置いた。手の甲を押さえながら指に向け金槌を振り下ろす。が、金槌を握る手に反動を感じた。既に死んでいる人間の手でもまだ僅かに弾力があった。やはりというか人間の身体というのはゴキブリのようには簡単には潰れないようだ。永剛はペンチで爪を剥がし、指先を金槌で叩いてみた。皮膚は裂けたがやはり潰れるとまではいかなかった。当たり前の話だが1発で人間を潰すにはやっぱりトラックの下敷きになるくらいでなければダメなようだ。 そんな風な事を呟きながらも、永剛はしばらくの間、金槌を振り上げてはその手を叩き続けた。だが、思うように行かず、永剛は「ん〜何かが違う気がするんだよなぁ」と呟きその手を一旦、袋の中へしまった。 そして切断した腕が入っているビニール袋を掴み床に寝転がった。月明かりに照らしながらその腕を眺めた。持ち上げ、回しあらゆる角度から眺めた。しばらくして永剛は2つのビニール袋を持ち流し台に向かった。冷蔵庫のコンセントを入れ、その中へビニール袋に入った手をしまった。 翌日の朝、担任の先生の声で起こされた。 どうやら既に学校は始まっているらしい。 永剛は玄関を開けず、具合が悪いので病院に行ってから学校へ行きますと告げた。 「風邪か?」 「熱っぽくはありますけど、……ここ数日、近所の潰された家の廃材や土砂を退けたりし続けてたから、疲れが出たのかなぁ」 「そうか。それなら今日は無理しなくても良いぞ?」 「はい。わかりました。けど勉強に遅れたくないし……」 「何言ってる。こんな災害時だ。授業をやってるわけがないだろ」 「そうなんですか?」 「あぁ。一昨日から先生を含め全生徒で被害に遭われた人達のお手伝いをしてるんだ。英が近所の手助けをしていたのと同じだよ。ただ、英、お前の家には電話はないのか?」 「ありません」 そうか。結局、学校へ行けば無理矢理にボランティアをさせられるわけか。 面倒だと永剛は思った。 「そうだよな。連絡網を調べてみても電話番号が載っていなかったからな」 だからこうしてやって来たのか。それもこんな朝早くにだ。迷惑にも程がある。 「先生、ボランティアは1日中、やるんですか」 「いや、午前中だけで、終わったら学校に戻り解散してるよ。中には家を無くした生徒たちもいるからな。そんな生徒を1日、学校に拘束するわけにもいかないだろう?早く自宅へ帰らせてそちらを手伝わなきゃいけないからな」 「そうですか。そうですよね」 「あぁ」 先生はそこで一呼吸おいた。 「とにかく英、お前は病院行ってちゃんと診て貰うんだぞ?」 「わかりました」 「で、もし明日、具合が良くなったらいつものように登校して貰うと先生も助かるよ」 担任のその言葉で、永剛は学校に来ている生徒は少ないのだと思った。だからこうして一軒一軒、生徒の現状を確認する為にこんな朝早くから家庭訪問をしているのだろう。もしかしたら学校全体で地域に貢献する先生と生徒達みたいな美談を作りたいのかも知れない。 「わかりました。先生、忙しいのにわざわざありがとうございました」 永剛の返事に担任は、 「そんなのは当然だ。お前達は俺の可愛い生徒だからな」 担任はそういうと再び病院に行くんだぞ?と言った。永剛は返事をせず玄関に耳を当てた。 足音が遠ざかって行くのが聞こえる。 可愛い生徒ね。永剛は自分で言ったその言葉に鼻で笑った。 そもそもこのような災害が起こった後で病院になんて行けるわけがない。おまけに風邪と言う理由で診察してもらえるか?今頃病院では災害によって怪我をした人や重症者達で一杯な筈だ。手が回るわけがない。それに病院だって災害の被害に見舞われているかも知れないのだ。 先生は生徒を思いやる自分を演じたかったのかな。永剛はそのように思い、適当な事を言うよなぁと呟いた。
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