第九章 ①⓪⑨

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第九章 ①⓪⑨

給食の食缶から女の手が見つかった事件は翌朝のニュースで取り上げられた。大々的とは言えないが、新聞にも掲載されていたようだ。 そのような話をするクラスの生徒達の会話を永剛は笑いを堪えながら聞いていた。 誰があんな酷いことをしたのか。職員室の先生達は相次いでそのような言葉を吐き、それを食した3年4組の生徒達はかなりの精神的ショックを受け、今日は全員休みになったらしい。ざまぁみろだった。 その生徒達の代わりと言ってはなんだが、保護者達が鬼の形相で学校に乗り込んで来たようだ。そのせいで職員室はてんやわんやらしい。 警察が給食センターへの捜査に乗り出し保健所の調査も入る事が決まり、給食センターはしばらくの間、業務停止になったようだった。それに伴い学校で給食が出せない為、今日からしばらくの間、学校は午前中のみの授業となるようだった。先生の中には弁当持参してもらえばいいと言う話も出たようだが、保護者の反発を食らうのが目に見えている為、却下されたようだった。 ホームルームでの担任の話を聞きながら、流石に給食を食べられなくなるとは考えもしなかったと永剛は苦笑いを浮かべた。そこは盲点だった。ミスったなと思った。 今更思った所で仕方ないので、永剛は午前中の授業を淡々とこなし、来週からの中間テストに備え帰って勉強をしようと思った。 帰り支度をし学校を出る。家につくと、お腹が鳴った。鍋に水を入れガスをつけた。着火と共に周りにいたゴキブリ達が一斉に逃げ出して行く。さすがにこいつらでも火は熱いようだ。 袋を開け、お湯が沸くまで待った。インスタントラーメンを鍋に入れ、しばらく待った。箸でほぐしながら学校側は食べられない分の給食費は返してくれるのだろうかと思った。多分、無理だろう。 相変わらず母からの連絡はなかった。月一の宅配物が唯一、母が生存していると言う証でもあったがよく考えてみたら、それだって怪しいものだ。母と一緒にいる人間が母が生きている事を装い、荷物を送って来ているだけという可能性だってある。まぁ、もしそうだとしてもそれも直ぐに破綻するだろう。義務教育とは言え学校だってボランティアでやっているわけではないからだ。年間幾らのお金がかかるか知らないが、月3万を僕に送った所で払えるのは給食費くらいのものだ。 もし母が死んでいるとしたら、その内学校側から金を払えと連絡があるだろう。 それで学校を首にされたならされたで構わないと永剛は思った。確かに勉強は好きだし図書室で過ごす時間も好きだけど、そのような状況になったらなったで、別な生き方を選択するしかないからだ。 そもそも将来的に奨学金制度を使ってまで大学まで行くつもりもなかったし、せめて高校くらいは行きたいが、母の現状がわからない今、3年後を予測するのは無理過ぎた。永剛は唸りながら今のこの現状はとりあえずは1人で生きろと言う母のメッセージとして受け取る事にした。 その日の内に警察は給食センターの捜査を開始した。その間、手の持ち主の指紋を照合すると直ぐに身元が判明したようだった。つまり手の持ち主は過去に警察にやっかいになった人物だと言う事だ。 野添美智子。38歳 それが永剛が土砂の中から拾って来た手の持ち主の名前だった。 過去にどんな犯罪を犯し警察に捕まったのかは知らないし興味もなかったけど、その情報が夕方のニュースで流れると永剛は奥歯を噛み締めた。 こんなに簡単に身元が判明する事に驚いたのと同時に、指紋を消し忘れていた自分の愚かさに腹が立った。身元がわかってしまうとそこから住所が割り出される。 そうなると自ずと土砂の中を捜索され手首以外のもの、つまり遺体が発見される。そこまではいい。だがあの場所から手が自ら歩いて中学校へ行き、給食室の食缶の中へ入るわけがない。 つまり何の目的かはわからないが、確実に何者かが給食の食缶に手を入れた事は直ぐにわかってしまうという訳だ。。 永剛はあの手を見つけた時の事を何度も思い返してみた。記憶にある限り誰とも会ってはいなかった。 それに今はきっと土砂を退ける為の作業員達もいる。だから自分がやったと特定される事はないだろうが、あの手には自分の指紋がベッタリとついている筈だ。 熱い豚汁の中に入れた事で自分の指紋が消えるのかは永剛にはわからなかったが、もし指紋が残っていたとしても警察が永剛へ辿り着くとも思えなかった。何故なら永剛を目撃した者が出ない限り不明の指紋からでは永剛までは辿り着けないと考えたからだ。 多少の不安はあったが、例えバレたとしてもそれがどうしたというのだ。ただ自分は手を拾ったに過ぎない。そして仕返しの為に食缶の中に入れただけだ。人のウシガエルを爆竹で殺した事は罪に問われず、拾った手を給食の豚汁の中に入れるくらいの事で裁かれてたまるものか。 永剛はTVを消しコンセントを抜くとブリーフとランニングシャツを脱いで裸になった。下着をバケツに入れ、石鹸水につけ置きする。頭からぬるま湯をかけ再び石鹸で全身を擦った。今後は指紋には充分注意しなければいけない。永剛は全身についた石鹸を洗い流す為に、再び頭からぬるま湯をかぶった。 2週間の捜査にも関わらず、食缶に手を入れた犯人は見つけられなかった。警察も犯人は在校生か卒業したOBとの見解を示していたが、目撃情報もない事から捜査も難航し、給食室の警備を強化するという事で、捜査自体を打ち切ると発表した。警察の発表に学校側は渋々納得したが、保護者は折れなかった。 PTAの役員の中から自警団を結成し、犯人を見つけるまで全生徒との面談を学校側へと求めた。警察はそれを不服としていたが、学校側と保護者との問題と捉え民事不介入としてあっさりと手を引いた。 学校側も全生徒の個人面談は無理として、頑なに聞く耳を持たない保護者の溜飲を下げる為に代替案を提出した。それは教師達で犯人を追求していくという内容の物だった。 代替案に渋々納得した保護者会の、PTAのメンバーは強い口調で、校長や教頭につめより、再度約束をさせた。 そのメンバー達が全クラスの教室を見回ったのは10月の初旬の事だった。授業中、何か話し声が聞こえると思った永剛は廊下に目をやるとそこには校長と並び先頭を歩く、銀縁眼鏡をかけた中年太りのオバさんの姿があった。 未だにしつこく犯人を見つけようと足掻いているのはこいつらか、と永剛は思った。永剛はその顔を目に焼き付けた。恐らくは手入り豚汁を食べた3年の誰かの保護者だろう。 永剛は校長達がいなくなるのを見計らってから隣の席の女子に小声で話しかけた。 永剛から話しかけられた事に女子はかなりびっくりしたようで、目を丸くしてしばらく永剛を見返していた。 「さっきの人達は誰?」 「あぁ、先頭を歩いてたあいつ?」 「うん」 「PTA会長の枝島だよ。あの人、家の近所なんだけど、凄く嫌な奴なの」 「そうなんだ。見るからに嫌な奴丸出しだったね」 「でしょ?他人のゴミとか平気で漁るんだよ?それで、お宅の今月の電気代幾らだったのね? 一軒家でもないくせに、そんなに電気使う必要があるのかしら?とかほざくんだよ?頭に来ちゃう」 なるほど。あのババァにそう言われたのか。 永剛はチラッと隣の席の女子の胸を見た。名札には戸宮と記入されている。家に帰ったら連絡網を見て住所を調べてみよう。 戸宮の家が分かれば枝島の自宅も特定出来る筈だ。 戸宮の話からすれば、枝島は一軒家だ。永剛はいつまでも犯人探しをやめないあの太った枝島のババァに何かしらの仕返し、もしくは嫌がらせをしてやりたいと考えた。 何様か知らないが我が物顔をするのは家の中だけでするものだ。一歩、外に出たらそこはもう自分の所有権は失われる。 それをさも学校を、教師を、そして生徒達を自分の所有物のような扱おうとしる厚顔無恥なババァなんて、今すぐ居なくなればいい。 永剛は戸宮に向かってこう言った。 「あんな奴が近所に住んでるだなんて、ついてないね」 戸宮は教壇に立つ先生をチラ見しながら、頷いた。黒板に書き始めたのを見て永剛の方へ顔を向ける。 「本当、最悪。死ねばいいのに」 戸宮は苦虫を噛み潰したように表情を浮かべそう言った。
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