第九章 ①①⓪

1/1
前へ
/190ページ
次へ

第九章 ①①⓪

午前中の授業が終わると図書室へ行ってしばらく本棚を眺めて周り、文庫本を3冊借りる事にした。それを持ってカウンターへ行くと、最悪な事にそこに遠藤冴子が座っていた。 「一冊の本も期限内に返せないのに、3冊も借りたりしたら、又、お小遣いを使って新しく買い直さなきゃいけなくなるわよ?それでもいいの?」 返却する本の為に使ったのはお小遣いではなく、時間と体力、そして一瞬の隙を見逃さない洞察力だ。 そう言い返したかったが、そんな事をいうと遠藤の事だ、あれこれ詮索してくるに違いない。それが面倒で永剛は苦笑いを浮かべて見せた。 「借りるのは英の勝手だけど、今度はちゃんと返却してよね」 「わかってる」 「でも1週間で3冊も読めるの?」 無駄話ばかりしてないで黙って図書カードに記入しろよと永剛は思った。図書委員ってのは人が借りた本についてあれこれ詮索するのが仕事なのか?例え読めなかったとしたら、また借りれば良いだけの事じゃないか。 「学校もしばらくは午前中だけだから」 「まぁ、そうね。部活にも入っていない英は、午後から有り余るくらい時間あるし。3冊くらい読めそうね」 会話の中に嫌味を入れるのは遠藤の癖なのか。 呆れて物も言えなかった。 「はい。どうぞ」 そんな事を考えている内に遠藤は文庫本のタイトルと貸し出し日時、そしてクラス名と名前をノートに記入し終えていた。 「遠藤はさ」 「何?」 「この本の中で一冊でも読んだ事ある?」 「大江健三郎と、三島由紀夫に横溝正史?この3冊は読んだ事ないけど、横溝正史の他の本なら何冊か読んだ事あるけど……どうして?」 「いや、何となく。遠藤なら読んだ事あるかなって思って」 「私、純文学とか苦手だから」 「というと?」 「大江健三郎と三島由紀夫は純文学に分類されてて、横溝正史はミステリーに分類されてるから。だから横溝正史は読んだ事があるのよ」 「へぇ。そうなんだ。なら横溝正史から読んでみるよ」 永剛がそういうと、遠藤は心なしか笑顔を浮かべた気がした。勿論、3人の作家が純文学とミステリーにカテゴライズされている事くらい永剛はわかっていた。 「英が借りたんだからどれでも好きに読めばいいんじゃない?」 ミステリー好きで横溝正史も読んだ事があるくせに、それを薦めない遠藤の押し付けがましくない所に少しばかり好感が持てた。 「そうだね。けど横溝正史から読んでみるよ」 「そっ」 そっけない返事ではあったが、永剛の返事にまんざらでも無さそうだった。 「じゃあ」 「じゃあね。また明日」 遠藤はいい貸し出しノートへと視線をおとした。 永剛は借りた文庫本を鞄にしまい、図書室を出た。帰り道、図書室で本を借りた事で思い出した事があった。 それは自分が万引きをした本屋の事だった。踵を返し、永剛は本屋がある方へと足を向ける。 自分が万引きした浦尾三代子著の「川へ沈む」が入荷しているか気になったのだ。 永剛はPTA会長の枝島の住所を調べるのをそっちのけで本屋へと急いだ。 本屋のカウンターには万引きした日と同じく若い男が座っていた。永剛は店内をゆっくりと進みながら雑誌を手に取ってみたり、参考書の背表紙を眺めたりした。 ゆったりとした足取りで文庫コーナーへと向かいながらも、どことなくその店内に違和感を感じていた。前に来た時と雰囲気というか、店が持つ空気感というか、そういった肌に感じるものが、あの時と違って感じたのだ。 当然といえば当然の事でもあった。前回来た時は万引きをする為に来たのであって今回とは明らかに目的が違っていた。前に来た時とは何かが違っているのは何も不思議な事でもなかった。 だが、永剛はそれ以上の何かを感じていた。それは何だろうと思いながら文庫コーナーに着くとその違和感の原因が何なのか気がついた。本棚の下の部分に薄茶色の波打った一筋の線がついておりその上の段は全て本が置いてなく空っぽだったのだ。 永剛は周囲を見渡しながら全ての棚の1番下の部分が空になっているのを確認した。恐らくこの薄茶色の線はここまで浸水したという証に違いない。 1番下の棚が空なのは豪雨災害により水に浸かった本が処分されたからだろう。正直、河川から離れているこの場所まで洪水が押し寄せて来ていたとは思いもしなかった。それを思うとあの日、わざわざ担任が家に呼びに来た理由も頷けた。 この本屋もうちの生徒の手を借りたのだろうか。泥水で汚れた大量の本を店外へ出し泥を掬い、水を掃き出す生徒の姿が目に浮かぶ。 自分は手伝ってはいないが、同じ学校の生徒が手伝ったのであればそれは本屋に貸しが出来たのと同じ事だと永剛は思った。つまり万引きはそのボランティアでチャラになったという事だ。 探していた「川へ沈む」の文庫本は残念ながら本棚には置いていなかった。永剛が万引きした後に発注はされなかったのかも知れない。もしくは河川の氾濫で床上浸水した際に濡れてしまい、捨てた可能性もある。が、どちらかといえば売れている本とは思えなかったから、恐らくは発注しなかったのだろう。それも仕方がないなと永剛は思った。 家に帰ると、永剛は着替えもせずにクラスの連絡網を確認した。戸宮の名前を探し確認するがそこには住所が記載されていなかった。 永剛は別紙の名簿を取り出して改めて戸宮の住所を確認した。鞄からノートを取り出し、半分に千切るとそこに戸宮の住所を書き込んだ。 永剛は連絡網と名簿をしまい住所を書いた紙をポケットに入れて家を出た。 永剛の家から戸宮の家までは、歩いて30分くらいかかった。これじゃ又、学校に戻ってるのとほとんど変わらないじゃないか。不満を垂れながら永剛は紙に書き写した住所を頼りに付近を歩いて回った。 住所通りの場所につくとそこには灰色の外壁をしたマンションがありその周りにはアパートや民家が点在していた。町の中心部から近いという事もあってか、一軒家の隣同士の距離もかなり近かく金網フェンスのみで区切られていた。 戸宮が暮らす家は8階建てのマンションで集合ポストを見ると戸宮の住居は1階にあった。改めて紙に書いたマンション名と現物のマンション名を見比べてみた。ここで間違いなかった。 「メゾーネ ハツシバ」と書かれたマンションのプレートは燻んだ色味を持ち、あちこちが錆びていた。 永剛は後ろ歩きでそのマンションから遠ざかった。キョロキョロと辺りを見渡しながら、確認出来る一軒家の位置を頭の中に入れる。となればこの付近に例のPTA会長の枝島の家があるという事か。戸宮の話によればゴミ袋を漁られたと言っていた。であるなら一軒家をしらみつぶしに当たるより先ずそのゴミ置き場を特定した方が枝島の家を見つけるのも早そうだった。何故ならわざわざゴミを漁りに離れた場所へは来ないと思うからだ。 ゴミ置き場はマンションの前の道路を横切り、左手に数十メートル歩いた場所にあった。どうやらこの付近で暮らす人達はみなこの場所にゴミを出すように決められているようだ。 となれば枝島の家はこの辺りか。永剛は今から盗みに入ろうとしている泥棒のように一件一件、表札を確認しては次の家へと向かった。数件確認した後で、永剛の数メートル先からフワフワな毛を纏った猫を抱いた太ったオバさんが姿を現した。そのフォルムには見覚えがあった。直ぐに枝島だと気がついた。ゆっくりとこちらの方へと歩いてくる。永剛は素知らぬ振りで枝島とすれ違った。思わず顔顰める程のキツい匂いの香水が鼻をついた。たったそれだけの事で永剛はこのババアは生きている資格は無いと思った。他人を不快にさせる奴には嫌でも殺意が湧く。永剛は枝島の後をつける事にした。
/190ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加