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第九章 ①①③
翌日の深夜、吉田萌から電話がかかって来た。
圭介は眠たい目を擦りながらスマホの時計で時間を確かめた。深夜2時半。圭介は時間帯をみて瞬時に今夜、吉田萌は英永剛の殺害を実行するのだと思った。
わざと寝ぼけた口調で電話に出た。
「電話をするのはよそうと思ってだけど」
「うん」
圭介はベッドから降りた。マリヤを起こさぬよう静かに部屋を出て階下へ降りる。
「前回、あんな終わり方しちゃったし、それも謝りたくて」
「気にしなくていいよ」
「あれから良く考えたんだけど、やっぱり圭介君のいう通りだなって思ってさ」
「うん」
「今から私がしようとしている事は、会社に対して反旗を翻すような事だし、そこに圭介君を巻き込もうとしてたのは心から謝るわ。ごめんなさい」
「いいって」
やはり思った通りだった。萌は、今夜、英永剛の命を狙うのだ。
「だから私の身に何かあっても、一切、知らぬ存ぜぬを通して欲しいの。勿論、私の事も探そうとはしないで」
悲壮感漂う口調は何処かしら怯えているように聞こえた。萌は、英を恐れているのだと圭介は思った。
そしてその覚悟を決める為、こんな時間に圭介に電話をかけて来たのだろう。
萌は明らかに死ぬつもりだ。彼女の口から最初に英永剛の名前が出た時点で、既に英には勝ち目がないと察していたのかも知れない。
「何もそこまで死に急ぐ必要はないんじゃないのか?」
「そうかもね。けど今、やらないと私はあいつを許してしまいそうで怖いの」
憎しみや恨みの連鎖を断ち切る事は難しい。
諦めるか、最初からなかった、萌の場合は最初から両親がいなかったと思い込むしか、自分を抑える事は出来ないかも知れない。
だか悲しいかな人間の脳や心というものは記憶と思い出というものに対しては、何故か当人が決して失わないようしっかりと鍵をかけ厳重に保管してくる。
良い事も悪い事も。
例えその時は忘れていたとしても、頃合いを測ってわざわざ鍵を渡して来る。本当に厄介なのは英永剛ではなく、自分を含めた人間の脳であり、心のような気がすると圭介は思った。
「何も許せとは言わない。ただ復讐に手を染めるのは、プロとして恥ずべき事じゃないのか?と思うだけだ」
圭介がいうと吉田萌はしばらく黙って何も言わなかった。耳の中へと沈黙が流れ込んで来る。微かな息遣いが聞こえるが、萌のものか自身のものか圭介にはわからなかった。
「むしろプロになったからこそ、両親の仇を、英永剛を殺してやりたいの」
「萌の両親殺害が、ラピッドから英永剛への依頼だとしてもか?」
「それはあり得ない」
「何故そう言える?証拠でもあるのか?」
「ないわ。けど、私の両親に限って、他人から疎まれ妬まれ、恨まれるような事は……」
萌はそこで言葉を切った。
切らなければ圭介は続けてこう言い返そうと思っていた。
「誰もが自分の肉親に対しては清廉潔白であると思いたいものだ。ましてや思春期前後までの両親との思い出がより美しいもので有ればあるほど、そう信じたいんだ。だけど人間なんてものはその中身を曝け出したら、美しさよりも、ドロドロと滑る吐瀉物のように異臭を放つ汚いものに過ぎない。けれど人は自分の汚さや醜さをわかっているからこそ、そこに立ち向かって生きようとするんだ。より美しくなるものを手に入れてその汚れを埋めようと必死にになっているのさ。それが両親にとっての萌、お前の存在だったんじゃないのか?」
そう言うつもりだった。だが萌は、
「そうね。圭介君のいう通りよ」
と素直に返した。だが……
「わかってる。わかってるけど、どうしようもないのよ。五月女マリヤの時も、英永剛に対してもその可能性を示唆したし、両親の事は内密に調べもした。結果、真相は分からなかったけど、それでも私はその気持ちを抑える事が出来なかった。だから何度も何度も考えては思い直し、また怒りに駆られて、それでも又、考え直して又、考えて……その繰り返しの果てに、私は私の中の深い所には揺るぎなく復讐心を滾らせている自分がいる事に気づいたの。もう私は自分自身に嘘はつけない、つきたくない。勿論、ラピッドの規則の事もわかった上で、絶対に許せないという答えを導き出したの」
「ならどうして俺なんかに話した?気持ちが止められないなら、行動に移せば良いだけじゃないか?」
「どうしてかな」
吉田萌はいい、
「圭介君に止めて貰いたかった、ううん、違う。背中を押して欲しかったのかも知れない」
その言葉を聞き圭介は胸の中で、そうかと呟いた。
「ぶっ殺して来い。英永剛を今まで以上の最大の力で、英永剛を殺して来い。後の処理は引き受けてやるから」
圭介がいうと吉田萌はクスッと笑った。
「圭介君って優しいのか冷たいのか、よくわからないね」
吉田萌はいい、
「ありがとう。スッキリしたよ」
そう言って電話を切った。
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