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第九章 ①①⑥
給食の食缶手首混入事件も時の流れと共に忘れ去られて行った。秋が来て冬の到来を告げる寒さが訪れても、あの給食を食べた3年生だけは、その事を忘れる事はない筈だ。
進路も決まり受験の日が近づき緊張感で胸が張り裂けそうになったとしても、ふとした時にあの日の事を思い出し胃がキリキリと痛み口の中が乾き吐き気を催すに違いない。
中学3年間の思い出全て吹き飛ばす程、奴らの中にはしっかりと切断された人間の手が刻まれている筈だ。中にはもう2度と豚汁を食べられない奴もいるかも知れない。そう思うと永剛の心は晴れやかになり楽しくて仕方がなかった。
春になり卒業式と入学式が終わって学年が上がるとクラス替えも行われ、顔見知りは唯一、遠藤冴子と戸宮の2人だけとなった。
2年も同クラスとなった遠藤は永剛を見つけると
「また一緒になったね」
と言った。
永剛に対し憎まれ口しか叩かなかった遠藤にしては珍しく、ごく普通の女子の言葉だった。こんな自分でも顔見知りがいる事に遠藤はホッとしたのかも知れない。それは戸宮も同じようだった。1年の時に、遠藤と戸宮が仲良く話している所は見たことがなかったし、そんな印象すらないが学年が上がり顔ぶれが変わった事で、お互い自然とその距離を縮めて行ったようだ。
まぁ、そうだとしても自分には関係がなかった。永剛は1年の時と同じく1人勉強をし、たまに図書室で本を借りる、そのような1年を送るつもりでいた。
が、2年になって初めての給食の時、豚汁が出た事でクラスの雰囲気がガラリと変わった。新しいクラスメイトの中に、例の豚汁を食べた3年のクラスの生徒の弟がいたのだ。
その弟は豚汁を前にしてこう言った。
「豚汁事件は知ってると思うけど、俺の兄ちゃんあの事件のせいで、何を食べても吐き出して、卒業する時にはガリガリに痩せて拒食症になっちまったんだ。高校も行けず今は入院してるんだよ。まだ犯人は捕まってないけど、もし捕まったら俺はそいつを絶対に許さねぇ」
こいつは1人で何を言ってるんだ?と永剛は思った。
「だからお前らも豚汁を食う時、被害に遭った人が苦しんでるって事を思いながら食べてくれよな」
馬鹿らしい。どう思って食べようが勝手だ。
永剛はそいつの言葉や態度に苛ついた。
気づくと言葉が勝手に口をついて出ていた。
「そんな兄さん思いならその豚汁を持って見舞いに行けばいいんじゃないか」
永剛がいうとそいつは教壇近くから顔を真っ赤にして永剛の方へと詰め寄って来た。
永剛は机の中に手を入れ50センチの物差しを掴んだ。素早く引き出し後ろ手に隠した。
椅子から立ち上がりそいつを迎え撃つ姿勢を示した。怒りに駆られたそいつは
「何だよテメー!」
と怒鳴りながら永剛の胸ぐらを掴もうと腕を伸ばそうとした。
永剛はその手より早く後ろ手を戻し下から突き上げるようにそいつの喉にむけて物差しで突いた。視界の外からの一撃にそいつは喉を押さえてもんどり倒れた。
両手で喉を押さえ悶えながら床を転げ回っている。側の机や椅子を押し退けながら苦しんでいた。涙を流し咳き込んでいる。側にいた生徒達は自分の給食がこぼれないよう机ごと横に移動させた。喧嘩だ、喧嘩だと数名の男子が囃し立てる。永剛はその声がした方を一瞥し睨みつけた。そちらを見ながら床の上で身体を丸めひざまづいてるそいつの横腹を爪先で軽く蹴った。
「他人に強要しないでくれる?」
まだ息苦しいのかそいつからの返事はなかった。
永剛は冷たい視線でそいつを見下ろしながら、再び横腹を蹴った。横倒しになったそいつの首を踏み付け
「僕の分の豚汁、あげるよ。何なら僕がお兄さんに届けてあげようか?」
永剛はニヤニヤと笑いながら踏みつけた足に力を入れて行く。その時、教室の前の方の戸が開いた。
「お前ら何やってる!」
2人の喧嘩を見て誰かが担任を呼びに行ったようだった。
永剛はそういう事をするの奴の想像がついた。
遠藤冴子に決まっている。
担任が駆け寄り未だ足で踏み付け続けている永剛を突き飛ばした。永剛はバランスを崩しながら後退し、側にあった机に手を付き体勢を整えた。その後、直ぐに遠藤冴子の姿を探した。だが予想に反して遠藤冴子は自分の席に座ってこの状況を眺めていた。
目が合うと呆れたと言わんばかりに溜め息をついた。
「何だ。違ったんだ」
と呟いた。
「何が違っただ?英、おい、何が違うんだ?」
倒れているそいつを介抱しながら担任が言った。きっとこいつは自分が手を出したのではないと永剛が言ったと思っているのだろう。
「給食後に職員室に来るんだ。いいな?英」
永剛はその言葉を無視して自分の席につくと給食を食べ始めた。
担任は怒りを露わにしながらも、教師という自分の立場を弁えながら、その場は堪えていた。そして倒れているそいつを抱え上げ教室から出て行った。
職員室で担任に何を言われたか永剛は全く覚えていなかった。元々行く気はなかったのを遠藤に即され渋々、向かう事にしたのだ。
「用事があるなら向こうから来るのが当たり前じゃないか」
「それは屁理屈だから」
「警察だって犯人逮捕の為に呼び出したりはしないだろう?」
「そうだけど、それは呼び出しても犯罪者は出頭しないからじゃない」
「それと同じだよ。僕が行かなければあいつが来る。それで良いじゃん」
「英って面倒くさい」
「教師という立場を利用してその権力で命令するのはおかしいって言いたいだけさ」
「そうなったのは自分の責任じゃない、英があんな事しなければ呼び出される事もなかったんだから」
まぁ。それは確かにそうだ。だが気づいたら余計な事を口走っていたのだから仕方ない。不可抗力だ。
遠藤冴子に付き合ってもらい職員室に入った永剛だったが、教室に戻っても、担任に何を言われたか思い出せなかった。
永剛のやらかした騒動によって遠藤と戸宮以外の生徒は永剛に近寄ろうとしなかった。
まぁ結果的には良かったなと永剛は思った。
これでこの1年、誰にも余計な邪魔をされず授業に集中出来る。一種、クラス全員から仲間外れのような形となった事に遠藤と戸宮は心配したが、永剛は平気平気と微かに笑みを浮かべてみせた。
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