第一章 ②

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第一章 ②

32歳にもなると流石に20代のようには行かない。言葉使いに始まり体力は勿論の事、食べる量も心なしか減って来ていた。経験値も上りいつまでも自分の事を「俺」なんて言ってはいられなかった。 普段から鍛えてもいなかった為に聞き込みなどの地味な捜査にはやはり息があがる事もしばしばだった。 そのくせ腹だけは一丁前に減るくせに、夜に脂っこい物でも食べようものなら翌日の朝は決まって胃もたれが酷かった。 だが元バディのチッチは肉食系で寝起きから牛丼を平気で食べるような女だった。 だから当然のように捜査で聞き込みをしている時など夜飯に付き合わされたりしたわけだ。致し方なく。 今のところ、この千葉県警に移動になって唯一喜べる事と言えばそのチッチと飯を食わずに済むって事だけだ。 明日からは普通に現場に駆り出されるだろうが、願わくば肉食系のガッツリした物が大好きな奴とは組みたくはない。 毎朝寝起きに1本だけ吸っていたタバコはいつしか常備するようになっていた。コーヒーだってホットだけじゃなくアイスも飲むように、いやむしろアイスしか飲まなくなった。 そうなったのは桜井真緒子に逃げられた事と、木下先輩が殺された事で何かを変えなければいけないと強く感じ、何故かそれらをやり始めたのだ。 まぁ所謂、願掛けみたいなものだ。だがそれも効果はなく桜井真緒子は未だ捕まらず、建てた丁場もとっくに畳まれ、今では誰も捜査する人間は居なくなっていた。 たまに自分がコピーした捜査資料を見返す程度だ。 桜井真緒子もとっくに関東圏から姿を消しただろうし、警察だって1つの事件だけを追うわけにはいかないのだ。 ほぼ毎日のようにあちこちで事件は起き、他の所轄や他の区の事件へ駆り出される事もしばしばあった。つまり警察は暇じゃないってわけだ。 国家公務員だろうが人手不足は深刻で解消せねばならない切実な問題だった。 そんな時に辞令が出た。断る事も出来ると考えていた。だがそれはどうやら私の甘い考えだったようだ。 勃起刑事という噂は前々から知られていたようだし、 千葉県警の署長から直直にという話で私の移動は揺るがないものになっていたらしい。 私の手の届かない場所で物事が進めらるのは気分が悪かったが警察は縦社会で成り立っている為、上の命令は絶対だった。 そんな訳で、今は千葉県警に配属となったわけだが、こちらに来て早々、事件が起きているというのは幸先が悪い。 おまけに朝一でシコっておかなければならない。現場についた時、何も感じなくなってしまうからだ。 私はタバコに火をつけ燻らせた。温い缶ビールを開け、未開封の段ボールの上に置く。乾燥帆立の貝柱をつまみながら一口ビールを飲んだ。 どうせ独り身だ。引っ越しの片付けなんて今やる必要もない。おいおいやって行こうとビールを一気に飲み干した。 赴任初日から遅刻スレスレで署についた。 途中から走って来た為に全身から汗が噴き出し、息が切れていた。こんな体力じゃホシを追いかける事も出来やしない。10代の犯人なら速攻で逃げられてしまうだろう。 「お、おはよう、ございます」 肩で息をしながら先ず小川さんに挨拶をした。 小川さんはニヤニヤしながら、おうとだけ返事を返した。 その後、直ぐに巡査が現れ、全員第一会議室に集まるよう指示された。 捜査会議が始まるのだ。昨日小川さんから耳にした最近起きた事件の概要と各班からの報告など一通り行われるのだろう。 恐らくはそこで私の相棒も決められる、いや既に決まっているだろうから、誰と組ませるかの発表があるだけだ。 会議室に集まった刑事達の目が一斉に私に集まる。その目がどういうものなのか、私にはよくわかっていた。 杉並署でも散々、感じていた事だからだ。ホシを逃した奴、ドジを踏む奴。何が勃起刑事だ、そんな感じの視線だ。 ただ違うのはまだその視線の中にも少なからず私に期待している目がある事だった。でなければここへ呼ばれる訳がない。 私は言われた場所に座った。 「今回の鰐男による連続バラバラ殺人事件は、今月だけで既に2件も起きている。害者は指定暴力団の幹部と、振り込め詐欺の主犯の男で、社会にとっては居なくなって良い人間ではあるが、バラバラにされ殺された以上、その犯人を捕まえる義務が警察にはある。目撃者の情報によればその犯人は身長180センチ以上、体格はかなり大柄で鰐の仮面を被っていたとあるが、間違いはないか?」 巡査部長がそう語った。 全員がドスの効いた声ではいと返事を返す。 「わかっていると思うがこの日本にガタイがよく180センチ以上もある人間なんて、そうはいない。おまけにホシはその場で人体をバラバラに出来るほど屈強な奴だ。そんな奴がいたら目立たないわけがない。聞き込み中に身体のデカい奴を見つけたら構わず声かけをするように」 会議室内に再びはいと声が響いた。 私は巡査部長の話を聞いて少なからず驚きを隠せなかった。鰐男だって?何だそれは。 そんな事件が起きていたのか。キャラが立っている犯人であればその噂は直ぐにでも全国に広がっても良さそうなものだが…… 私が怪訝な表情をしていたのを小川さんは見逃さなかった。 「鰐男だよ。鰐男」 「はぁ」 各班が地取りの報告を上げている最中に小川さんが、小声でそう言った。 「目撃者は、現場付近を根城にしているホームレスの老婆でな。こいつが又、鰐が来た鰐に襲われたってと馬鹿みたいにいうものだから、よくよく話を聞いたら仮面をつけていたらしいのよ。だから鰐男ってつけられたのさ」 「情報はどうやって抑えているのですか?」 「一応はかんこう令が敷かれてある。だがそもそも鰐男の情報は一昨日にわかった事だ。ホヤホヤってやつよ。だからまだ情報も外には漏れていないってわけさ」 「なるほど そうでしたか…で、ホシに繋がるような手掛かりはあるのですか?」 私がそう言った瞬間、巡査部長の怒声が飛んできた。 「そこの2人!静かにしろ!」 小川さんは頭を掻きながら謝った。私もそれに続いた。 やはりというか、思った通りというか、捜査会議が終わり部署に戻ると私の相棒は小川さんでという話で簡単に決まった。 「相棒って事はよ。お前がシコるのを手伝ってやらなきゃいけねーって事だよな?」 下卑た笑みを浮かべながら小川さんがそう言った。 「大丈夫です。1人で出来ますから」 「1人に飽きたらいつでも言ってきな。激しいのを見舞ってやるからよ」 そう話し、小川さんは高笑いをあげた。 全く誰が男に、それもいい歳のオヤジに誰がやって貰いたいと思う?微塵も思わない。ゲイでも小川さんはお断りだろう。 私は辟易しながら肩をすくめた。 最初に第1被害者の遺留品を見せてもらい、その後で、自宅に赴いた。だが遺留品や自宅の物を見たり、触れても何故か、私の股間はピクリとも反応しなかった。 「おいおい、噂の勃起刑事さんよ。頼むぜ」 「こんな事は久しぶりですね」 「そうなのか?」 「ええ。大体は害者の遺留品から手掛かりは得られるものですが、今回はさっぱりです」 「どういう意味だ?」 「恐らく…ですが、ホシは害者との関わりは全くないのではないかと」 「そうはいうが、殺された時に関わってはいるだろ?」 「確かにそうなんですが、それが全く反応しないのですよ。普通何かしら害者との関わり合いのブツが残っているものですが、それがないんです」 「つまり?」 「ホシは一度も害者と接触した事がないと思われます。まぁ、行き当たりばったりの犯行なような気もしますが……ですが仮にホシに繋がるブツが見つかってもそこからホシを辿るのは厳しいかと思いますね」 「つまり勃起刑事は萎んで役立たずってわけか」 「すいません」 「じゃあ地道に聞き込みするしかねーな」 小川さんはいい、害者とホシの関係性を洗い出す為に、午後過ぎまで聞き込み捜査を続けた。 害者の自宅に出入りしていた若い衆に屈強な体躯な人間はいなさそうだった。 2人目の被害者である振り込め詐欺集団の人間も、結果は同じだった。 「ただの通り魔か、計画的にこの2人を狙ったのか。どっちなんだ」 それがわかった所でどうしようもないのは小川さんもわかっているだろうが、何もわからない現状に苛つき、せめてそれくらいは知りたいという気持ちが言葉に出たのだろう。 「これじゃあ、捜査のしようがねぇよ」 全くその通りだった。唯一わかっているのはホームレスが見たという鰐の仮面だけだ。それだけでは何処から手をつけていいかわからない。やはり地道に聞き込み捜査をしていくしか無さそうだった。
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