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第三章 ②①
スナック天使のママの住居は10階建のマンションで部屋は612号室だった。間取りは2LDKほどあるだろうか。そこには既に鑑識が入って仕事をしていたが、その殆どが見慣れない顔ぶれだった。恐らく小川さんが所轄に連絡を取ったのだろう。
ママは化粧台の前に横たわっていた。背中に複数の刺し傷がある事から、出勤前のメイク中に背後から襲われたようだ。
鑑識の話によれば背中の刺し傷は致命傷ではないらしく、死に至った直接の死因は刃物で頚動脈を切られたのが原因らしかった。
「ホシはかなり手慣れているみてえだ」
小川さんが自分の首に指をあて、下から顎に向けてゆっくりとその指を上げていった。
刃物で一閃、ってやつか。
「背中の刺し傷は大して深くないから恐らくママを痛ぶる為だけにわざと軽く刺すようにしたんだろう」
小川さんは言い、泡沢に顔を見ろと言った。
ママの顔には3本のアイスピックが突き刺さっていた。両目と舌だ。両目の方はアイスピックの柄の部分しか見えなかった。つまり2本とも脳まで達しているという事だ。舌は無理矢理引きずり出された感じがあり、舌の中央を貫き口腔内に突き刺さっていた。
「怨恨ですかね」
「馬鹿。ちげぇーよ」
怨恨による犯罪は意外と残虐性は薄いものだ。
それも背中を刺している事を踏まえると、その線は薄い。怨恨であれば大概は正面から襲うからだ。
わかってはいたが、小川さんの刑事脳が正常に働いているか確かめておきたく泡沢はあえてそのように聞いたのだった。
「試すような真似するんじゃねーよ。若造が」
「すいません」
見抜かれていたか。泡沢は直ぐさま謝罪した。
「ボサッとしてねーで、いい加減、勃起刑事の実力を見せてくんねーか」
泡沢は言われるまでもなく洗いざらいママの私物に触れて行った。
しかし、泡沢のペニスは全く無反応だった。
それについての不安はなかったが、普通有るものがこの部屋にない事に泡沢は違和感を持った。
「小川さん」
「何だ?」
「ママって写真嫌いでした?」
「いや、何でだ?」
「写真が一つもないんですよ。普通、数枚くらいはあるものじゃないですか?」
「まぁ、言われてみたらそうだな。幾らなんでも、1枚もないのは不自然だ」
「ママのスマホは見つかりました?」
「スマホ?あ、いや俺はわからねぇ。鑑識に聞いてみるか」
小川さんはいい、直ぐそばで作業していた若い鑑識に声をかけた。
今の今まで小川さんがその事に気づいていないというのは、やはり知人が殺害された事で少なからず動揺はしているようだ。
それは当たり前というか、人間であれば普通の反応だ。泡沢は小川さんも人間だと思って、少しばかり安堵した。
「スマホは見つかってねぇようだ」
「という事はホシが持っていったのでしょうね」
「確証はないが、ママがスマホを無くしたとは考え難い。その可能性がないわけではないが、恐らくは、犯人が持ち去ったんだろう」
「でしょうね」
と泡沢はママの私物を漁っていた手を止め、そう言った。言った矢先、ある疑問が脳裏を過ぎる。
「小川さん」
「何だ」
「ミミさんがママに何度も電話したのに出なかったと言ってたじゃないですか?」
「あぁ。確かに言ってたな」
「犯人がスマホを持ち去ったとしたなら、普通犯行がバレるのを恐れますよね?」
「当然だな」
「そうですよね。なら犯人はどうして、ミミさんからの連絡を無視し続けたのでしょうか?」
「そりゃ、ホシが殺した知人からの連絡なんて出るわけにはいかないだろ」
「勿論そうなんですが、発見を遅らせたいのであれば、メールやLINEで偽装出来るじゃないですか?今日は具合悪いから休むとか…」
「あぁ、確かにそうだな」
「痛ぶるように殺したのだからホシはママの職業くらいは把握していた筈です。おまけに背後から刺されているのだから、ママ自身、ホシを信用仕切っていた人間だとも言えませんか?」
「まぁ、それは俺も考えたが、鍵がこじ開けられた形跡もあるんだよ。一見、このマンションは高級そうに見えるが、防犯カメラはないし、オートロックもない。つまり外観だけ綺麗にされた古びたマンションなんだよ。見ればわかるが鍵も今時にしたら、安っぽいもんだ。バールでもあれば簡単にこじ開けられる」
「なるほど。物取りの線も捨て切れない?って事ですか」
「あんな殺し方をしてるわけだ。間違いなく物取りの犯行じゃねーよ。だが、その線がある以上、ほっぽっとく訳にも行かねーだろ」
「そうですね」
物取りの犯行じゃないと決めつけると、所轄の刑事の顔を潰す事にもなりかねない。何故なら確実にその線もあるからだ。
だから小川さんは、自分の考えは封じ込めて所轄の刑事が面目を保てるようその線からも捜査させようと考えているのだろう。だが当の小川さんは、少しも物取りの犯行だとは思っていない。泡沢は少なからずその事に安心した。
「反応は?」
「残念ながらないですね」
「なら後は所轄に任せて俺らは出るとしよう」
「捜査、しなくていいのですか?」
「したいのは山々だが、この事件は所轄のもんだ。俺達には俺達のやる事があるだろ?」
言った後に小川さん唇を噛み締めた。
その表情をみて、悔しいのだと泡沢は思った。
マンションを出る時、小川さんが1人の所轄の刑事に声をかけられた。
「先に行ってタクシー捕まえておけ」
泡沢は言われるままそうしたが、2人が何かしら耳打ちしていたのを見逃さなかった。
泡沢はマンション近くでタクシーを捕まえ、車をマンション側まで回させた。
しばらくして小川さんが出て来て2人は
タクシーに乗り署に戻った。
未だに署に泊まり込んでいる班も僅かだがいた。だがそんな事をしても息詰まっている事には変わりない。
寧ろ気分転換する必要があるのだ。だが、それに気づけていないようだ。呆れはしたが口には出さなかった。
「お前が反応しなかったという事は、ホシはママの部屋に初めて入ったと考えられるよな?」
「おまけに何一つ物に触れてすらいないようです」
「トイレやバスルームはみたか?」
「見ました」
「けど反応無しか」
「はい」
「クソっ!ホシはトイレすら使ってないって事か」
「返り血も浴びてる筈ですが、それすら洗い流しては無さそうですね」
「バスルームから血液反応が出るかは鑑識待ちだが…」
「だが、何です?」
「いや、このヤマは俺らの事件じゃねぇ。だから話はこれで終わりだ」
「そうですか。そうですよね。わかりました」
泡沢はそうは言ったが、小川さんは時間が空いた時に、この事件を1人で捜査するのだろうなと思った。
現場を去る時に見た小川さんと所轄の刑事との耳打ちが何よりの証拠だと泡沢は思った。
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