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第三章 ②⑦
スナック天使のママのスマホが見つかったと所轄から連絡が来たのは、小川刑事が死体を見つけてから4日後の事だった。
どうやらタクシーの後部座席の隙間に挟まっていたらしく、その為、運転手も発見が遅れたようだった。そのスマホが派出所へ届けられ所轄へ連絡が来たのが昨日の午前中だったそうだ。そして夕方近くになり小川さんに一報が届いたそうだ。
「犯人が持ち去ったわけでなかったですね」
報告書を読み返していた手を止め泡沢がそう言った。
「あぁ」
さっきから呆然と天井を眺めている小川さんはいつも以上に険しい表情を浮かべている。
やはり知り合いが殺されたという事に対し、自ら捜査出来ない現状に憤りを感じているのだろう。
「で、どうなんだ?」
「何が、ですか?」
「何が、じゃねーだろ。ホシに繋がる新たなネタはねーのか?」
「残念ながら」
「ったく!お前は使えねー野朗だな」
そう言い放つと小川さんは席を立った。
「何か見つかったら連絡してくれ」
「あ、はい」
「じゃあ、頼んだわ」
「え?小川さん、ひょっとして帰るのですか?」
「わりーかよ」
「もう少しで朝の捜査会議がありますよ」
「出たって何にも変わりはしねーよ」
「他の班が見つけているかも知れませんよ?」
「ないない、ありゃあしねーよ。ま、仮にあったとしても、さして進展するようなもんでもねーだろ」
「まぁ、その確率が高いのは否めないですが」
「て事で俺は帰るぜ」
「わかりました。新たな何かがありましたら、連絡します」
小川さんは泡沢の言葉は無視して部署を出て行った。
想像でしかないが、小川さんは恐らくママ殺害事件に首を突っ込もうとしている。
今現在、連続殺人事件を捜査している身でありながら所轄の事件に心を奪われている。
気持ちは十二分にわかる。だからこそ泡沢は悔しかった。無意識に自ら股間を握りしめた。
しっかりしろ!と心の中で自分を怒鳴りつけた。東京にいた頃はこんな事はなかった。
なのにここへ転属されてからほとんど活躍の場がない。唯一反応したのはスナック天使の従業員のミミに接した時だけだ。
そう思った時、泡沢はハッとした。まさかあのミミという女がママを殺害したのか?
検視の結果からして、ミミにもママを殺害出来る時間は充分あった筈だ。勿論、そんな事は所轄の刑事も考えているだろう。ったく情けないといったらないな。何を今更、ミミを疑うなんて……近親者を疑うのは捜査の基本じゃないか。
失敗続きでストレスが溜まっているのかも知れない。
泡沢は時計を見た。そろそろ捜査会議が始まる。席を立ちそちらへ向かう為に部署を出た。
小川さんの言う通り、連続殺人事件の新たな情報は皆無だった。全ての班の捜査員も疲労と苛立ちで、険しい表情を浮かべていた。
管理官に小川さんがいない事をツッコまれたが、体調不良で帰ったと答えた。当然、泡沢は怒鳴りつけられた。
「甘えてんじゃねぇ!全捜査員、不眠不休で捜査してんだよ。小川だけが何処かしら不調を来してるわけじゃねーんだよ」
泡沢はごもっともと思い、ひたすら頭を下げ続けた。
やってらんないと言う気持ちが心を占めて行くが、だが殺された奴等は皆、ろくでもない人間ばかりだ。
正義という名の下にかはわからないが、世の中からクズか減るのは良い事でもある。捜査に進展がない為か、最近、泡沢は刑事として失格だと、そんな考えばかりが脳裏を過ぎる。
このままではダメだと思い、泡沢はトイレに行って顔を洗った。濡れた頬を両手で引っ叩く。今夜、天使に行ってミミに接触するか。
それまでは再度、5つの殺害死体が見つかった現場へ向かい、再度、検証し直す事にした。
県警を出る時、新たな情報はありませんでしたと、小川さんにメールをした。
当然、小川さんもそうだと踏んでいただろうから、当然、返信はないし、だからこそ捜査会議をすっぽかしたのだ。
まぁ、今日は好きなようにさせるのが良いだろう。鳴り物入りで県警に迎え入れられた人間が、全くの役立たずとくれば、自分だって一緒に捜査なんてしたくなくなる。ストレスだって半端ないだろう。
勿論、当の本人はそれ以上にストレスと悔しい感情に苛まれているのだが。
それをわかってくれというような、新人みたいな甘い考えは泡沢はもう持ち合わせてはいない。
けれど、やはり何とかしないと、という焦りは常にあった。焦れば焦る程、上手く行かないのは世の常なのだが、こんな事は初めてだったせいで、気づかなぬ内に、そうなってしまっていた。
1人になれた事により、泡沢は頭を冷やすには丁度いいと思った。
手帳を取り出し、第1の殺害現場へ向かった。既に事件から月日が経ってしまっている為、辺りは日常を取り戻している。行き交う人々はここで事件があった事も忘れてしまっているようだ。忘れられないのは被害者の家族だけだ。
夕方、比較的新しい5人目の被害者が見つかった現場に向かった時、そこには数本の花が添えられていた。肉親なのか、近所の人なのか、それとも凄惨な事件に胸を傷めた思い遣りのある人の行いだろうか。
泡沢は添えられた花の前に腰を下ろし、目を閉じて手を合わせた。被害者はろくでもない奴ではあったが、少なくともあんな風に殺される謂れはない。
僅かでも、そのような気持ちが無ければ刑事などやってられない。憎むべきは犯人なのだ。
だが、少なからず被害者が殺された事で、心底安堵した人間や、喜んだ人間もいる事を泡沢は忘れてはいけないと思った。
人としてのモラルを持ち、他人に迷惑をかけないよう真面目に生きていたとしても、良い人生が送れるとは限らない。
身勝手で自己中の人間の方が意外とストレスフリーで、他人の目からは良き人生を送っているように映ったりもする。
それを見ても自分を見失わずに生きれる人こそが、本来あるべき人の姿なのかも知れない。
やはり人間ってものはどこまで行っても自分本意な部分は決して無くなる事はないのかも知れないな、と泡沢は考えながら時計を見た。
朝から5つの殺害現場を周り一息ついた今は既に夕方4時を過ぎていた。集中していた為か、それともぼぅーとしていたせいかわからないが、昼食すら取る事も忘れてしまっていた。おかけで今更空腹感に襲われ始め、遅めの昼食を取り署には帰らずそのままスナック天使へ向かう事にした。
ママが殺害された事で、店自体営業してるかは微妙ではあったが、やはり出来る限り早くミミと会いその素性を探りたいと泡沢は思ったのだった。
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