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第三章 ②⑧
開店後、しばらく経ってから泡沢がスナック天使に入ると、既に客が1人カウンターに座り、ミミと親しげに話していた。
狭い店内に笑い声が響き渡り、泡沢はバツが悪そうな表情で、店の中へと足を踏み入れた。
楽しそうに話している所に常連でもない自分が来るのは少しばかり気が引けたが、まぁそれでも客には違いないので、泡沢はカウンターの1番端、トイレがある方へ向かう事にした。
先客がいるとは思いもしなかったので、泡沢は無意識に髪の毛を掻いていた。これではじっくりとミミと話が出来やしない。舌打ちをしたくなったが、そこはグッと我慢した。
「いらっしゃい」
先客の背後を通りすぎようとした時、ようやくミミが泡沢に向かって声をかけた。
「ども」
泡沢はミミに向かって軽く会釈を返した。と同時に、やはり股間が疼き始め、徐々に勃起していった。
その時、先客が顔だけを後ろに向けて泡沢を見た。
「せんぱ、い?」
その言葉で席に向かって出していた足が、宙に浮いたまま止まった。泡沢がそちらを振り向くと、先客は身体を反転させ、見上げるように泡沢の顔を覗き見た。
「やっぱり先輩じゃないですか!」
その声には聞き覚えがあった。いや、忘れる事は出来ない声だ。声だけじゃない。顔も身体も全て知っている。そして数年の間、数々の事件を一緒に担当して、同僚の死という辛い思いも共に経験して来た。そして何より、泡沢の中では唯一、忘れる事は出来ない女性でもあった。
「チッチ?」
泡沢の言葉にその先客は席を立ちいきなり抱きついて来た。
「やっぱ先輩だ!」
いうなり椅子から飛び降りて泡沢に抱きついて来た。
「おいおい」
泡沢は言いチッチの背中をポンポンと叩く。肩に手を添え密着した身体を少し離そうとした。するとチッチは泡沢の身体を抱きしめていた片方の手を背中から泡沢の股間に移動させた。泡沢の性器を軽く握りしめながら、泡沢を見つめる。
「先輩、移動になってから全然、連絡くれないんだもんなぁ」
「悪い。初日から事件に追われ続けでさ。というかチッチ、お前もだけどな」
泡沢の言葉にチッチは舌先を出して惚けて見せた。
「ま、私の事より、先輩、やけに暗い顔してますね」
「まぁ。ほどほどにだな」
「って事は…上手く解決出来てないみたいですね」
「ああ、お陰で参ってるよ」
「だからかー」
「何が?」
「杉並にいた頃より、随分老けたもん」
「そうか?そんな事はないと思うけど…」
泡沢が言うとチッチは股間から手を離した。
「そんな風だと、100パー彼女も出来てないでしょ?」
悪戯っぽい表情を浮かべながらチッチは微笑んだ。
「そんな時間もないからな」
チッチは泡沢から離れ自分の席に座るとその横の椅子を叩いた。隣に座れと言う事だろう。泡沢は頷きチッチの横の席に腰掛けた。
「ていうか、チッチ、お前何でここにいるんだ?」
「知りたい?」
「あぁ」
「秘密」
チッチはいい大きい声で笑った。
「何だよ。秘密って」
「嘘、嘘、冗談ですよ」
チッチが言うには大学時代、バイトしていたキャバクラで、ミミと出会い意気投合したらしい。それから仲良くなり、大学卒業後から警察に入ってからも、LINEのやりとりや一緒にショッピングに出かけたりする仲だったらしい。
ミミが都内からこちらへ引っ越して来たのは10年前くらいだそうだ。その頃から2人は滅多に会う事が出来なかったようだが、連絡だけは取り合っていた。
そのやりとりの中で、チッチはミミからスナック天使のママが殺された件を聞き、近くに県警もあると言う事で、昨日から溜まっている有給を取りこちらまで出て来たようだった。
それに伴い、チッチはミミと会った後で、明日にでも泡沢に会いに行くつもりだったそうだ。
「元相棒も、冷たいな」
泡沢がニヤけ顔でそう言った。
「そりゃそうですよ。先輩は元、バディですから」
「まぁ、そうだけどさ」
「だってさ。今彼と元彼に会う事になったら、どちらを優先するかなんて、言わなくてもわかりますよね?」
当然だ。チッチには現相棒がいるだろうし、それに付き合いだけで言えばミミとの方が自分よりも長いのだ。
自然、ミミが優先されるの至極、真っ当な事だった。
ご都合主義だと思われるが、泡沢は自分に1番に会いに来て欲しかったと思った。
そうならなかったのはこちらから連絡しなかったせいでもあるが、やはり寂しい気持ちはあった。
拗ねているわけではないが、チッチ達から見ればそのように映るらしい。
「よっぽど珠世ちゃんに会いたかったみたいね」
横からミミが割り込んで来た。
「何にします?」
泡沢に問いかけて来た。
「ビールで」
「はい」
グラスで2杯分のビールを飲んだ後、楽しげに会話する2人を横から眺めながら泡沢はこんな風に思った。
偏見でしかないがこのミミという女性とチッチが友達というのは、泡沢からしたら何処か違和感が感じられた。
随分と仲が良いから友達というのは嘘ではないだろうが、少しばかり歳が離れ過ぎている気がする。
友達になるにあたり年齢など関係ないのは重々承知しているが、会話を交わしている2人をみていると、年齢差以上に、仲の深さを感じてしまう。
女性同士の友情がどんなものか泡沢には分かりかねるが、得手してこのような雰囲気なのかも知れない。
ミミはチッチと会話しながらも、空になった泡沢のグラスにビールを注いだ。
泡沢は律儀に頭を下げてグラスに口をつける。
「私達ばかり話してごめんなさいね」
確かに開店してからしばらく経つが今日はまだ自分とチッチの2人だけだ。
ミミはその内の1人と高笑いに興じながらも、泡沢の事も気にかける事を忘れなかった。
「私達ばかり話してたら、悪いじゃない」
「良いの良いの。先輩とは数年ぶりだけど、それまでが濃密なバディだったから」
チッチが意地悪げな表情を浮かべ泡沢の頬を突いた。
「でも、ミミさんとはLINEはしてたけど、会うのは数年ぶりだもん。重要度で言えば断然、ミミさんの方だよ」
「悪かったな。軽くて」
僻みに聞こえる言い方にチッチは笑い、カウンターの下から手を伸ばし泡沢の内腿に触れた。
股間に当たるか当たらないかの位置で手を上下左右に動かし続ける。泡沢は勃起した自分の性器を今すぐでもチッチに舐めて貰いたいと思った。
ひょっとすると今夜、そのチャンスが訪れるかも知れない。欲望もさることながら、チッチを抱く事で、今のこのスランプを抜け出せるかも知れないと、少しばかりアルコールが回った頭の隅でそんな風に考えていた。
チッチは相変わらず焦らすように泡沢の内腿を撫で続けている。疲れ切っていたのか、徐々にミミやチッチの話す声が遠のいていき、聞き取れ難くなって行った。
瞼が重くなり、霞がかかったかのように視界がボヤけて見える。ミミが顔を近づけ何か言っているが、その声は泡沢には全く聞こえなかった。
頭がフラフラして前後に揺れ始める。背中から後ろへ落ちそうになるのをチッチが腕を伸ばして倒れる寸前で支えた。誰かが顔を近づけているが、チッチなのかミミなのか泡沢にはわからなかった。
瞼をこじ開けられているような感覚はあったが、泡沢はその瞬間に意識を失った。
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