第四章 ③③

1/1
前へ
/192ページ
次へ

第四章 ③③

梅雨が明け、本格的な夏に入った。その間、倉庫での事件を報道していたのは1週間足らずだった。今ではその他の自分が起こした事件を含め、ニュースでは全く目にする事はなくなった。 倉庫で捕えられていたあの男があの後どうなったのかも全くわからなかった。微かに意識はあり、病院に担ぎ込まれた事まではニュースで確認出来ていたが、実際の所、助かったのかは今でもわからない。だがそんな事は圭介には関係のない事だ。 今、圭介には一体の処理の仕事が入って来ている。 夏というのは夜が更けるのも遅く朝も明けるのが早いので、死体を運ぶ時には充分に気をつけなければならなかった。 そういう意味で、圭介は夏が嫌いだった。だが蝉の声も滲む汗も薄着で歩く街中の人々も、日傘や風鈴も太陽に向かって伸びる向日葵も、堂々とした感じがして圭介は好きだった。 飲み会の後、日に数回、長谷からLINEが来る。 長谷のお勧めの小説や圭介の好きな映画の話などをした。他愛もないが、圭介はこの距離感を好ましく感じていた。そんなある日の事、長谷とLINEをしている時に気づいた事があった。 「今更なんだけど長谷って下の名前なんていうの?」 圭介の問いに長谷は恐ろし程の、ビックリ顔のスタンプを連発して来た。 「いや、ごめん。知らなかったんだよ」 こんな圭介に対し長谷は軽蔑したかもしれない。だが声の聞こえない文字だけの世界の中で、長谷は当ててみて?みたいなくだらないこは言わず、「癒月(ゆづき)」と教えてくれた。 いい名前だと思った。素直な気持ちを伝えると長谷は嬉しいと返して来た。 「落ち着きがあって、おしゃべりでもなく、人に安心感を与える雰囲気を持ってるよ」 「ただ根暗なだけよ」長谷はいった。 それから少しだけLINEのやりとりをして、圭介は送られて来たメッセージを既読のままにした。 続けるのは簡単だし楽しいとも思ったし長谷とのやりとりが嫌いなわけではない。 ほどほどの距離感が良いからこれくらいが丁度良いのだ。だから圭介の方から送るのをやめたのだった。 長谷は異性としても素敵だと思う。恋愛感情は芽生えていないが、このような仕事をしていなければ、性的欲求も含め長谷に告白していたかもしれない。 この数ヶ月、圭介は個人的な行動を取っていた。 中には衝動的に近い行為も見受けられた。客観的にみて、しばらくはじっくり腰を据えラピッドの仕事に専念しようと、そのような結論を出したのだ。 殺人鬼アリゲーターマンと一時期、話題にはなったが、それはそれで一休みする事で、見えてくる何かがあるかもしれないと考えたのだ。 死体をオブジェのように晒してはみて、快楽殺人としては多少の面白みはあったが、飾るのには限界があった。 シリアルキラーという者は徹底的に殺人に統一性を持っている。だが圭介にはそれがなかった。あくまでも圭介なりの正義のもとに、世の中に害をなす人間を殺す。 ただアリゲーターマンとして殺人を犯した後は何の計画性もなくただ思いつきで死体を解体し飾っただけに過ぎない。面白かったのは最初の2回だけだ。あとは惰性で行っていたような気がする。やはり死体は持ち帰り小屋の中で時間をかけて解体していく方が性に合っている。 そっちのほうが鰐達にとっても食事にありつけるという恩恵があるというものだ。 そういう結論に至ったので圭介はラピッドの仕事に集中する事に決めたのだった。 午前中、小屋を掃除中にラピッドからメールが届いた。2日以内に死体を受け取り処理して欲しいとの事だった。依頼場所は三重県からで、圭介は今日の午後に出発する旨をラピッドに伝えた。 全国を旅行中の両親からは2週間に1度のペースで連絡が来る。電話の時もあればメールの場合もある。とりあえず2人とも元気で旅行を満喫してるようで、良かった。 圭介は一旦、シャワーを浴びてから身支度を整えた。 スマホで大体の時間を確認する。平均、5時間から6時間の間で到着出来るようだ。昼過ぎに出たらまだ陽が明るい時間帯に到着するのか。 受け渡しの深夜帯までの暇つぶしに困るが、圭介は仮眠を取る事で待ち時間をやり過ごす事に決めた。両親じゃないが、三重県の観光地や名産物などには全く興味が湧かなかった。 そっちに気を取られ、仕事に集中出来なくなるのも嫌だった。漂白者と処理人の両方をするようになって数年経つが、油断した事は1度だってなかった。 勿論、検問などにハマり、万が一警察に死体を見つかったとしても、ラピッドの存在を口に出す事はないが、それによって失う物も大きい事くらい圭介は自覚していた。 だからこそ一切の油断を廃して、意識を研ぎ澄ませていたかった。その為、観光気分など圭介の中には微塵も存在していなかった。 高速道路の大型トレーラーの玉突き事故によって渋滞に巻き込まれて、到着予定時間が大幅に遅れてしまった。 圭介は渋滞のせいで起こった空腹を堪えながら、高速を降りたら直ぐに目についたラーメン屋に入った。 排尿は車内にいる時にペットボトルに済ませていた。夕食を済ますと一旦、車に戻り尿を溜めたペットボトルを持ち、ラーメン屋側のコンビニへ立ち寄りゴミ箱へと捨てた。 缶コーヒーとガム、そしてミネラルウォーターとメロンパンを買ってコンビニを出ると、車に戻りナビを付ける。約束の時間まで3時間とちょっとあった。圭介は下見の意味も含め、その待ち合わせ場所へと向かう事にした。 死体の受け渡し場所は意外にも歓楽街と呼べるような所だった。勿論、歌舞伎町や渋谷などとは比べられないが、まぁ、そこそこ人の行き来があるような場所だった。 キャバクラにピンサロ、カラオケボックスなどが等間隔に並んでいた。こんな場所では車も止めにくいし、受け渡しのとき、目撃される確率はかなり高い。 どうしてこんな場所を指定して来たのか理解出来ないが、とりあえずは先方の携帯へ、本当にここで良いのか?といった内容のメールを送ってから一旦、離れる事にした。 指定場所から15分程度、 走った所に閑静な住宅地があった。 その中央部にあたる場所に集いの園という公園があり、圭介はそこに車を止めた。約束の時間から逆算し、30分前に携帯アラームを設定する。ガムを食べながらリクライニングを倒した。 そしてしばらく頭を空っぽにしてただ天井を眺めていた。ガムを捨てミネラルウォーターを一口飲む。頭の下に両腕を置き、目を閉じた。徐々に住宅の明かりが消えていき辺りはいつしか静まり返っていった。 人々の寝息まで聞こえそうな程、辺りは静けさに包まれている。静まった夜というものが、こんなにもその存在感を主張してくるものなかと、圭介は目を閉じたままニヤけた。そして耳を澄ませると、すぅーと睡魔がやって来て、圭介はいつしか眠ってしまっていった。 かけた目覚ましより数分早く、メールの音で目が覚めた。 「ご安心ください。大丈夫です」 という簡単なものだった。ならば大丈夫なのだろうと圭介はリクライニングを起こし一旦、車外へ出た。車の側で用を足し、ミネラルウォーターで、顔を洗った。 こういう時、きっと煙草は美味しいのだろうなと、漠然と思った。高校生の頃、何度か吸った事はあったが、癖になるまでは吸わなかった。 だからといって煙草は不味いとも圭介は感じていなかった。 今回の仕事を終えたら、再度、吸ってみよう。そんな風な事を考えながら車へと戻った。 待ち合わせ場所の歓楽街入り口には10分前に到着した。まだ早いので先方に電話をするのは約束時間になってからでいい。そう思った圭介の考えを読まれていたかのように、スマホがなった。番号を確かめてから電話に出た。 「仲野部さんで間違いないですか?」 電話の主は女性だった。 「ええ。仲野部です」 相手が女だったのは意外だった。会社からも聞いていなかったし、そもそもラピッドに女社員は少ない筈だ。 唯一知っているラピッドの女社員といえば、名前は忘れたが名古屋で爬虫類系も扱っているペットショップを経営している人だけだ。同じく処理人をしていた筈だ。 「初めまして。吉田萌と言います」 「どうも」 こんな時の圭介は意外とそっけない。 というより、素早く仕事を終わらせたい為に無駄口は利かないようにしている。 吉田萌という女は圭介の乗った車の特徴と、偽のナンバープレートの番号を読み上げた。 「それで間違いないですよ」 「わかりました。今からそちらへ運んで行きますので、トランクと後部座席のドアを開けておいてください」 後部座席?と思った瞬間、電話が切れた。 仕方なく圭介は運転席から出る前にトランクを、そして腑に落ちなかったが言われたように車外に出ると後部座席のドアを開けた。 そして辺りを見渡すと車椅子を押しながらこちらへ向かってくる人物があった。 車椅子がカモフラージュになっているわけか。 そう思ったが、死体は死体だ。最終的にはトランクへしまわなければいけない。二度手間じゃないか、と僅かに不満が湧き上がって来る。 だが圭介はその不満を飲み込んだ。 「こんばんは」 吉田萌が、そう言った。 圭介は軽く会釈だけに留めておいた。 近くでみると車椅子に乗せられている人間には人工呼吸器がつけられている。特注品なのか車椅子の背にはご丁寧に2本の酸素ボンベが取り付けられていた。 死体に対してここまでする人間は初めてみた。不足の事態に巻き込まれた時の事を考え、万が一にもバレないようにこのようにしているのか。この女は徹底している、と圭介は思った。 続くようにこの女は処理人なのか?と思考が作動する。それとも殺人を実行する漂白者なのだろうか? 「予備の酸素ボンベは後部座席に積み込んでください」 「わかりました」 圭介はまだ使用していない方の酸素ボンベを後部座席に積んだ。その後で、吉田萌と名乗った女は酸素ボンベの使い方、設置の仕方を圭介に説明し始めた。圭介は話を聞きながら横目で車椅子の方を見た。車椅子に乗せられている死体はぐったりとうなだれている。黒髪のショートで顎辺りでバッサリとカットされている。 死体は女か、と圭介は思った。 「わかりました?」 わかったも何もない。死人に酸素なんて必要ないだろう、そう口に出かけたが、その言葉を圭介は飲み込んだ。 「名前は五月女マリヤと言います。19歳です」 流石に文句の一言でも言いたくなる。処理する人間の事などどうでもいい。 「処理するだけだからそんな情報はいらないですよ」 「まぁ、そうでしょうけど、一応、お伝えしておいた方が良いかと思いまして」 「いえ、大丈夫です」 「そうですか。ならこれ以上はお話しませんが、最後に1つだけいいですか?」 「何でしょう?」 「五月女マリヤ、この子は生きています」 「なんだって?」 「致死量の筋弛緩剤を投与したのですが、何故か死ななかったのです」 話の流れからいってこの吉田萌という女は漂白者だろうと圭介は思った。だがそうだとしても本来、漂白者は殺害するまでが仕事だ。 なので後処理や処理人に受け渡しするのが他のラピッドの人間の役割な筈。今の時代、人手不足という懸念がないとは言えないし、たまたま複数の受け渡しが重なり致し方なく、といった場合がないとも言えない。 だとしても、この吉田萌という女は、醸し出す雰囲気から、侮れない人間だと圭介は思った。圭介の予想が当たっているとするならば車椅子に乗せられている者はこの吉田萌という女に筋弛緩剤投与をされた可能性が高い。 「どのみち、生きる屍です。なので処理するのは薬が効いている間の方が楽に済むと思います。全く動く事が出来ませんので。ですが、まぁ、もし投与した薬が切れて生きているようであっても、この子は産まれながら無痛病だったらしいので、全く痛がる事はないでしょう。ですので処理屋としたら、楽しみが増えるかと思います」 「それはどういう意味でしょうか?」 「生きているわけですから、漂白者の気分を味わえますねって意味です」 圭介は吉田萌の目を警戒するような目で見返した。 「ちなみになんですが、筋弛緩剤の効力が切れ、元通りになる可能性は?」 「ないとはいえないです。実際、アメリカでの死刑執行時に使われていましたが、数日後、蘇生した囚人もいたという話もありますから」 「その話だと死亡確認がされた後、蘇生したという事ですよね?ですがこの子は呼吸をしている。つまり筋弛緩剤を打たれた後でも生きているという事ですよね」 「そうなりますね。その辺りが私も不思議でならないのです。筋弛緩剤を打った直後は心停止したのですが、数分後に再び心臓が動悸を打ち始めたのです。なので、万が一にでもそのような事が起きないよう早目に処理して下さい」 「わかりました」 圭介は車椅子に乗せられている五月女マリヤの側に近寄った。抱きかかえ後部座席に押し込む。車椅子を折り畳みトランクへ入れた。 「ちなみになんですが、この女は何をやらかしていたのですか?」 「それは聞きっこなしでしょう。ラピッドが定めたターゲットの情報は、実行する漂白者には全て開示されますが、その他の者には決して教える事はありません。それくらい処理人をしている仲野部さんもご存知ではないですか」 全く知らなかった。父親が処理人をしている頃、つまり俺が学生の頃は漂白者や処理人関係なく、ターゲットの情報は全て教えてくれていた筈だ。それがいつからこのようになったのだろう? 「その顔は、どうやらご存知では無さそうですね」 吉田萌は僅かに勝ち誇った表情を浮かべた。 「数年前、九州で起きた事なのですが…」 「はい」 「ある漂白者がターゲットを殺す前に、処理人の1人が偽の人間を用意し、漂白者に殺させた事件がありました。そしてしばらくそのターゲットを匿っていました。ですが、元来、ターゲットにされるような人物です。まともに言うことを聞くわけありません。どうやらその処理屋はラピッドの全貌を話し、自宅から出ないよう指示していたらしいのですが、元来、ターゲットにされるような人物です。都市伝説的な話しなど信じるわけありません。なので2日で逃げ出しました。それがラピッドの人間にバレ、再び捕らえられたのですが、偽造した処屋人は事もあろうか、そのターゲットと共に逃亡を図ったのです。それまでは、仲野部さんもご存知のように当然、全ての情報は漂白者、処理人関係なく、開示されていました。ですが、その事件以降は、一切の情報は漂白者以外には伝えない、という決まりが出来たのですよ」 「俺はそのような話は聞いてないな」   「当然と言えば当然かも知れませんね」 「どういう意味でしょう?」 「逃亡した処理人はそのターゲットを殺す漂白者でもあったんです。つまり仲野部さん、今の貴方と同じ立場にあった、という事ですよ」 なるほど、殺したと偽り、別の死体を用意する、というわけか。指紋や歯形が取れないようにしておけば、幾らでも誤魔化せる。それにラピッドには警察のような鑑識能力には長けていない。その必要もないからだ。 「つまり、両方掛け持ちしている者は信用されていないという事ですか」 と言った後で、とある疑問が頭の隅に浮かび上がった。この吉田萌という女、何故俺が両方掛け持ちしていると知っている?同じ地域のラピッドの社員でさえ、掛け持ちしている事は知らない筈だ。 「そういう事では無いと思います。ですが、やっぱり過去にそのような一例があった以上、会社としても慎重にならざる負えないのでしょうね。別の死体を用意する為には無関係の人間を殺さなければなりませんし。それにその殺人で万が一にでも警察につかまりでもしたら、ラピッドの存在をバラさないとは言えませんから」 「そうですね」 圭介は言った。疑問を口に出そうとした時、吉田萌が再び喋り始めた。 「仲野部さんのお噂はかねがね伺っていますので」 圭介は、吉田萌のいうお噂という言葉に少し苛ついた。煽りの為のハッタリと言えなくもないが、かと言って俺にそうする必要性があるとも思えない。仲野部圭介という人間の度量を量っているのだろうか。情報漏れという程ではないと思うが、関西地方のラピッドの社員の中にはよく滑る舌を持っている幹部がいるのかも知れない。圭介はそのように考えておいた方が良さそうだと思った。 「良い噂なら嬉しいですけどね」 圭介は軽くお辞儀をしてわざと車のキーを取り出してみせた。 「気をつけてお帰りくださいね」 「ありがとうございます」 圭介は車に乗り込んだ。ハンドルを握る手に力が入る。ダッシュボードに手を伸ばせば、小さいが手入れの行き届いている工具類が揃っている。それを使えば簡単に吉田萌は殺せるだろう。だが、圭介は気持ちを沈めるよう深く呼吸をした。 サイドミラーで吉田萌の姿を確認する。時間も時間だし、しミラーからだと吉田萌の表情はよく見えなかった。吉田萌は手を振るわけでもなく、ただその場に立ち、圭介が立ち去るのを待っているようだった。 圭介はエンジンをかけた。ナビを稼働させる。 機械的な音声が車内に広がっていく。 吉田萌とは再び会うことがありそうだ、圭介は予言めいた感情ではなく、何となくそう思い、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
/192ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加