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第四章 ③⑦
泡沢が生の世界から遠ざかっていた1ヶ月間、
捜査中だった連続猟奇殺人事件と思われるような、事件は起きてはいなかった。つまり、自分が拉致された時にミミ事、楠木美佐江とチッチが殺されてから以降、1つも殺人事件は起こっていなかったという事だ。
勿論、それは良い事であった。つまり楠木美佐江が犯人の可能性が高まるからだ。勿論、まだそう言える根拠も証拠も出ていないが、出来るなら、そうであって欲しいと泡沢は思っていた。
だがもし自分を助けるような真似をした、つまり楠木美佐江とチッチを殺害した者が鰐男だとしたら……
不謹慎ではあるが別に犯人がいるとするならば、新たな事件を起こし何らかのミス、例えば物的証拠を残してしまうとか、複数の目撃者が出たり防犯カメラに映っているという事も無いという事だ。
もしそうなら完全に出口のない迷路に迷い込んだかも知れない、一抹の不安が泡沢の中でシコリのように塊となっていた。
その不安は的中した。
この連続猟奇殺人事件に楠木美佐江が噛んでいると睨んでいた泡沢の想いは、小川刑事の調べによってわかった新事実によって無残にも打ち砕かれてしまった。
拉致されていた時に2人がしていた会話が事実だったからだ。楠木美佐江は本名桜井真緒子、数年前、不動産勤務の田町京太郎という男性を殺害し、逃走中であったが、吉祥寺でその桜井真緒子を見つけたのが泡沢であった。だが、泡沢は桜井真緒子に性的に絡まれ、取り逃してしまった。丁度今から10年近く前の話だ。そこから桜井真緒子は整形をし、戸籍を変え、名前を楠木美佐江と名乗り、全国を転々としていたようだった。だから、もしかすると、全国の何処かで起きた未解決事件の中には桜井真緒子、現、楠木美佐江が絡んでいる事件もあるのかも知れない。
古玉珠世は楠木美佐江の腹違いの妹だった。チッチは小学四年生の秋に、性的暴行を繰り返す義理の父親を刺し殺し、施設に入っていたようだった。そこで戸籍を変え、養子縁組となり古玉珠世と名乗るようになった。その後、2人が何処でどう言う経緯で出会ったのかは、小川さんにもわからないようだった。
だが、年月が経ち、古玉珠世は警察官となった。そして刑事に抜擢され勃起刑事の泡沢の相棒となった。小川さんからの話を聞いた泡沢は、幼少期に酷い目に遭った女の子が何故?泡沢に対しあそこまでの性行為が出来たのか理解出来なかった。
例え、それが泡沢が取り逃した楠木美佐江からの指示だとしても、普通は出来ないのではないだろうか?そう感じるからだ。自分なら絶対に出来やしない。だがチッチは常に泡沢を欲望に駆り立てるよう泡沢のチンポを弄った。
泡沢もそうされる事を望んでいたし、それをする事で事件解決にも繋がるので、ウィンウィンの関係だと思っていた。
だがチッチには思い出したくもない凄惨な過去があったのだ。泡沢は小川さんの話を聞きながら既に死んでしまったチッチに対し、改めて謝罪しなければならないと思った。
2人の姉妹の正体がわかると、杉並署では杉並署内で起きた未解決事件の2つが解決するという、署にとっては汚名であった事件が解決となり面目を保てた事で刑事達も中々上機嫌らしかった。
その1つは泡沢が取り逃した事件でもう1つは現職で殺された木下さん殺害事件だ。
杉並署まで足を運んでいた小川さんは、その光景を目の当たりにし、うちも早いとこ事件解決と行きたいとこだなと、寂しげに言い復帰したての泡沢の肩を叩いた。
泡沢と小川は、再び気持ちを入れ替え、被害者の遺留品の写真に目を通した。共通点を探ったが遺留品からそれらに繋がるような物は何一つ得られなかった。
「お前はどう思うよ?」
「どう思うって何がです?」
「一連の連続猟奇殺人事件とママやミミ達を殺したホシは同一犯だと思うか?」
「んー。正直な気持ちを言えば、そうとは思いませんね。確かにママさんを殺害した形はかなり異常と言えなくはないですが、それまでのバラバラ死体などと比べると、やはり手口は違っています。猟奇殺人を犯すような犯人は、大体自尊心が異常に高いでしょうし、死体をオブジェみたいに飾るなら、ママさんもそのような殺され方をされていた筈です。自分の殺人はアートだと言わんばかりに、それは段々とエスカレートする筈です。ですが、ママさんや楠木美佐江を殺害した時はそれはなかった。おまけに私を助けるかのように止血まで施した。そのような犯人と連続殺人事件の犯人は別人だと私は考えます」
「だよな。普通はそう思うよな。おまけにホシは鰐のマスクをつけていた。それをホームレスの老婆に目撃されていただろう?」
「あ、そうでしたね」
「そうでしたじゃねーだろ」
「すいません」
泡沢は頭を下げた。
「鰐男がホシだってのはわかってはいる。が、ホームレスのババァに見つかった以外、その後は誰一人目撃者がいねえ。これはどう言う事だ?」
「わざと、殺人を犯す所を見せた?」
「俺はそう睨んでいるぜ。だが目撃したのがホームレスのババァだ。信憑性も糞もねぇ。金や酒をやれば平気で嘘もつく」
「ですが真実も言うのではありませんか?」
「あぁ。そうだとも言える。だからホームレスのババァの言った事は恐らく本当だろうな」
「でも、それだけじゃ、犯人には繋がらないですよ」
「そこでだ」
小川さんはいい、泡沢に小声で耳打ちをした。
鰐のマスクをつけていた事はかんこう令がひかれていて、未だ世間には知られていない。そこで、小川さんはメディアに鰐のマスクの情報を流し、ホシの自尊心を煽ってみようぜ?と悪人面をしながら泡沢に話したのだった。
「再び事件を起こさせるつもりですか?」
「このまま未解決で良いのか?」
「そりゃ良くは無いですよ」
「だよな。だけど考えてもみろ。ひょっとしたらホシはこのまま2度と殺人は犯さないかもしれねぇ。そうなったら俺ら刑事は被害者の遺族や世間に顔向け出来ねーじゃねーか?な?そうだろ?」
「そうですが、メディアで煽った結果、新たな被害者が出るとなると、それは又、別問題だと思いますよ」
「お前はつくづく馬鹿だな?良いか?良く考えてみろ?殺された奴等は皆、世の中には必要のないクズ野朗共ばかりだ。つまりホシは善人は殺さねーって事だ」
「そんな事はわからないですよ。殺すかも知れません。何故なら正義というのは個人差があるからです。犯人からしたら悪でも、家族、友人、知人、果ては地域の人からすれば、善人の場合だってあるわけじゃないですか?そうなるとやはり、クズだけが殺されるとも私には思えません」
「なら反対なんだな?」
「ええ。私はメディアに煽らせる事は反対です」
「そうか。わかった」
小川さんがそう言った数日後の朝刊の一面には
「鰐男の殺人は再び行われるのか?」という大きな太文字で書かれ、それまで起こった事件の概要が事細かく説明されていた。
泡沢は寝癖のついた頭を掻きむしりながら、新聞を床に叩きつけた。恒例の寝起きのタバコも1本の筈が、知らず知らずの内に5本以上吸っていた。
当然、今朝の捜査会議では情報の漏洩の件が議題となった。小川さんは何食わぬ顔で怒り心頭の管理官の話を聞いていた。泡沢は早く捜査会議が終わり小川さんと話したいと思った。
「情報を流した奴は懲戒解雇だと思え!」
その管理官の怒声を最後に捜査会議は終了となった。
懲戒解雇は大袈裟だが、謹慎は食らう筈だ。
泡沢は部署に戻り自分のデスクについた。
前のデスクに座る小川さんは飄々とした顔で、資料に目を通していた。
「小川さん」
泡沢は辺りに目を配りながら小声で声をかけた。
「先に言っとくが、俺じゃねーからな」
「そうなんですか?」
「おう。正直、俺もやるつもりでいたのは本当だ。だが誰かさんに先を越されたようだ」
小川さんはニヤニヤしながらそう言った。
願ったり叶ったりと言わんばかりのほくそ笑みだ。その笑みに正直、苛ついたが、情報を流したのが相棒ではなかった事にとりあえずはホッとした。
「じゃあ、一体誰が…」
「さぁな。まぁ誰が流そうが知った事じゃねぇ。どの道、いつかは誰かの口からこぼれ出す情報だ。早いか遅いかの違いはあるが、こういうのは早いに越した事はねぇよ」
犯行が止まっている今、この情報漏洩は、犯人を刺激するのは間違いない。それで新たな犯行が行われ逮捕に至るのであれば、結果、情報漏洩は良かったという事になる。が、逆にそれは新たな人間が殺されるという意味でもある。今まで全く証拠を残さなかった犯人が、次にミスをし証拠を残すとは泡沢には思えなかった。
「お前は怪我明けだからまだ無理はさせられねーな」
「平気ですよ」
「そうか?」
「ええ」
「なら再三、繰り返してるが、今日は、第1の現場から付近の聞き込みに行くぞ」
小川さんはそういうと両腕を突き上げながら大きなあくびをした。
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